冬の終焉
カイ視点
街の中心部から禍々しい何かが噴き出した直後、屋敷がある方角から金色の光が見えた。
「…成功したんだね、アイリス。さすがだよ。」
水と氷を操ることができるようになった今、氷によって滑ることがなくなった。
街は凍り付き、一面真っ白の世界に立っていたが、不思議と寒さを感じることはなかった。
足元の氷を10メートルほど伸ばして、高所からフィオーラの姿を探す。
「…いた」
フィオーラの姿を捉えたその瞬間、ものすごいスピードで氷の矢が僕に向かって飛んできた。
「ちょっ…はやすぎっ…」
支配下に入れようと意識をそっちに向けたら避けることができないし、避けることに意識を向ければ、支配下に入れることはできないだろう。
とっさに氷から飛び降りた。
しかし、氷の矢は意味の分からない角度で曲がり、落下する僕を追いかける。
およそ10メートルの距離を落下しながら、落下地点に水の塊を出現させて、そこに着地した。
体制が整った瞬間、持っていた剣で即座に矢をはじき返す。
はじき返してもはじき返しても、矢は執拗に僕を攻撃してきた。
このままじゃキリがない。どうにかしてフィオーラに近づいてその首を切り落とさなければ…
ギィンッ!!
再び氷の矢を弾く。
弾いたはずの矢は空中で軌道を変え、再びこちらへ襲い掛かってきた。
「それ、やっぱり反則じゃない?」
思わず愚痴が漏れてしまう。
普通の氷魔法ならまだいい。
だがこれは違う。
まるで、矢そのものに意思があるみたいだ。
この氷はフィオーラが操作しているのだろう。
それも恐ろしい精度で。
「なら……」
僕は周囲を見回した。
凍った家屋。
凍った道。
凍った噴水。
この街に存在する氷の量は、もはや小さい湖にも匹敵する。
だったら。
「使わせてもらうよ。」
足元へ神力を流し込む。
その瞬間、まるで呼応するように街中の氷が微かに震えた。
次々と僕の支配下へ入っていく。
遠くの建物を覆う氷。
街灯に張り付いた氷。
屋根の上に積もった雪。
全てが僕の感覚と繋がる。
「っ……!」
痛い…頭が割れそうだ。
情報量が多すぎる。
けど、
今だけは無視だ。
「道を作れ。」
ゴゴゴゴゴッ!!
地面の氷が盛り上がり、フィオーラを封じ込めるように氷が覆う。
わずか1秒もないうちに、氷にヒビが入りフィオーラが姿を現した。
ほんの1秒ではない。『1秒』も稼げたのだ。
その少しの時間で僕とフィオーラの距離は20メートル縮まった。
あと少し。
あと少し時間を稼げれば、首を切れる。
フィオーラもそれを理解したのだろう。
蒼かった瞳は完全に赤黒く染まり、その周囲には無数の氷片が浮かんでいた。
「来ないで……!!」
叫びと同時に氷片が弾け飛ぶ。
一つ一つは小さい。
だが速度が異常だった。
銃弾の雨のように走る僕へ襲い掛かる。
「っ!」
とっさに自分の頭の上に氷の壁を作った。
ガガガガガッ!!
壁が削られ、砕け散る。
その隙を縫うように飛んできた一発が肩に当たった。
激痛が走り、思わず足を止めてしまいそうになった。
でも、ここで止まるわけにはいかなかった。
血が飛び散ろうが、片腕がなくなろうが、止まってしまえばそこで終わりだからだ。
『邪なるもの』は回復を阻害する。肩の傷は治る様子がなく、血が流れ落ちていた。
その痛みに歯を食いしばりながら、僕はさらに加速する。
残り三十メートル。
二十五。
二十。
そして――
「捕まえた。」
足元の氷を伸ばし、フィオーラの足を拘束する。
一瞬、本当に一瞬だけ動きが止まった。
今だ。
神力を込めた剣を振り上げる。
フィオーラの首目掛けて全力で振り抜いた。
だが、
キィィィィン!!
甲高い音が響く。
剣が止まった。
「なっ……!?」
首に触れる寸前。
透明な氷の膜が防いでいた。
フィオーラ自身ですら気付いていない反射防御。本能だけで発動したのだろう。
その直後、腹部に強烈な衝撃が走った。
「がっ……!」
吹き飛ばされる。
氷の槍。
いつの間にか生成されていたそれが僕の腹を貫通し、叩き飛ばしたのだ。
地面を何度も転がり、肺の空気が抜ける。
口の中に鉄の味が広がった。
「痛っ……。」
立ち上がろうとして顔をしかめる。
明らかに重症である。ただの人間だったら即死でもおかしくないケガに、自分が『人』でないことを嫌でも分からせられた。
フィオーラの姿を捉えるために、吹き飛ばされたところから足早に移動する。
「見つけたっ…!」
そのとき、フィオーラと目が合った。
赤黒い瞳と元の蒼い瞳が何度も入れ替わる。
理性が、まだ残っている。
まだ完全には堕ちていない。
なら。
まだ助けられる。
「フィオーラ!」
僕は叫んだ。
「もう少しだけ頑張って!」
フィオーラが顔を上げる。
驚いたような表情だった。
その一瞬。
僕は気付いた。
周囲の氷の支配がわずかに緩んだことに。
迷い。
躊躇い。
天使としての心。
それが今のフィオーラを支えている。
なら――そこを突く。
僕は神力を一気に解放した。
さっきよりも大胆に周りを探り周囲の氷を全て掌握する。
道路。
建物。
雪。
空中の氷片。
ありとあらゆる氷が僕の支配下へ入る。
激痛で視界が揺れた。
それでも止めない。止まることはない。
「全部、借りるよ。」
ドォォォォン!!
街中の氷が一斉に動いた。
巨大な鎖のように。
無数の腕のように。
フィオーラへ絡みつく。
「っ!!」
動きが止まる。
完全ではない。
数秒も保たないだろう。
だが十分だ。
僕は地面を蹴った。
残り十メートル。
五メートル。
二メートル。
フィオーラの目の前へ辿り着く。
蒼い瞳がこちらを見た。
そして。
微笑んだ。
「ありがとう。」
その言葉は確かにフィオーラのものだった。
だから僕は迷わない。迷えるはずもない。
神力を込めた刀身が薄く光った。
そして――
一閃。
世界が静止したように感じた。
次の瞬間。
フィオーラの首が宙を舞う。
吹雪が止んで、空から落ちていた氷も、荒れ狂っていた天気も、全てが嘘のように消えていく。
ドサリ。
フィオーラの体が崩れ落ちた。
その顔は穏やかだった。
まるで長い悪夢から解放されたかのように。
そして消えかける意識の中で、僕は最後に小さな声を聞いた。
「……次は、夏を。」
その言葉だけを残して、
冬の天使フィオーラは静かに光となって消えていった。




