氷の槍獄
「その様子なら、手紙は見たみたいだね。」
そう言って冬の天使フィオーラは微笑んだ。
「手紙を書ける理性は残っているのに、どうしてここまで『堕ちた』のか、理由を聞きたいところだね。」
「僕はまだ『堕ちて』ない。その証拠に、人を殺してはいないから。…デも、もウ…げんかイだよ。」
透き通っていた瞳が赤黒く濁り、白い髪が黒くなった。
「…っまずい」
とっさに土魔法を使い自分を守るように周りを囲む。
フィオーラからはとてつもない量の魔力に似た何かがあふれ出し、あっという間に周囲の地面や建物が凍り付いた。
「…土魔法で守ってなかったら間違いなく冷凍人間になってたな…」
にしても困ったことになった。
氷の上を歩いても滑らない特別製の靴を履いてはいるが、『絶対』に滑らない保証はない。足の踏み場が全て氷なら100回に1度くらいは滑るだろう。滑った瞬間僕の首と胴体はバラバラになるのは間違いない。さすがにそれは遠慮願いたい。
「さて、どうしようか。」
そう呟きながらも視線は一瞬たりともフィオーラから離さない。
吹雪の中心に立つ彼は、苦しそうに頭を抱えていた。
「にげ、て……」
フィオーラのか細い声が口からこぼれた。
だが次の瞬間には、
「殺ス。」
まるで別人のような声が重なった。
二つの意識がせめぎ合い、どちらかを殺さんとしていた。
今ならまだ間に合うかもしれない。
そんな希望を抱いた瞬間だった。
バキバキバキッ!!
無数の氷柱が地面から生えた。
「うわっ!?」
横へ飛び退く。
着地した瞬間、足が僅かに滑った。
ドクンと心臓が跳ね上がり、心拍数が速くなるのが分かった。
反射的に土魔法で足場を作り直し、なんとか体勢を立て直す。
危ない。
本当に危ない。
一度でも転べば終わりだというのに何をやってるんだ、僕は。
「カイ……」
吹雪の向こうから声が聞こえる。
「君は、どうして戦うの?」
その問いを僕は聞いたことがある。ただ、いつ聞いたのか分からない。『忘れた夢』で、なのだろうか?ひとまず話を合わせよう…
「急に哲学的な質問だね。」
「答えて。」
フィオーラは俯いたまま続ける。
「守るため?」
昔の僕ならそう答えていただろう。
「正義のため?」
僕にそんな正義はない。
「名誉のため?」
名誉なんて求めちゃいない。
僕は全てに首を振った。
「じゃあ、何のため?」
何のため?そんなの…
「大好きな人のため。それ以外にこんな無謀な戦いに挑む理由があると思うの?」
そう言いながら、頭の中で魔法陣を組み立てる。
その傍らで、僕は魔法鞄に手を突っ込み杖を取り出した。
「だいたい、戦う理由なんてさほど重要じゃないんだよ。重要なのは『理由』じゃなく『結果』だ。理由がどんなに尊いものであったとしても、何も守れなかったのなら意味はない。」
黒い何かが蛇のようにフィオーラの顔を覆っていく。
あと40秒。そう思って僕は口を開けた。
「誰かのために生きて、誰かのために戦う人は、皆等しく尊い存在だ。…君も、その一人なんだよ。フィオーラ。」
「…とうとい?」
しばらく沈黙が流れた。
やがてフィオーラは小さく笑った。
「君らしいね。」
その笑みを、僕はどこかで見たことがあった。
何かを言おうと口を開いたその時だった。
ドクンッ。
空気が震えた。
フィオーラの背中を突き抜けて黒い翼が生える。
それは、よく見たら翼ではなく、翼の形をした何かだった。
見ているだけで吐き気がするほど禍々しいもので、僕は思わず目を逸らした。
「っ!」
背筋に冷たいものが走り、嫌な予感がした。
あと少し。
あともう少しだけ耐えてくれ。
さっきまでとは比べ物にならない気配を感じるということは、フィオーラが堕ちかけている証拠だ。
「お願イ……」
フィオーラの瞳から涙が零れた。しかし、水滴は氷となって地面に落ち結晶化した。
「僕が僕じゃなくなる前に……」
吹雪がさらに激しくなって、周囲の温度が一気に下がる。
「早く。」
黒い翼が広がる。
「殺シて。」
その言葉と同時に。
空を覆うほどだくさんの氷槍が出現した。
僕は思わず息を呑んだ。
「あー……」
頭上を見上げると、数百…いや、数千本はある氷の槍が見えた。
「やっぱり相性最悪だな。」
今創りあげている魔法陣は何の意味もなくなった。
今から防御魔法を展開したところで防げるだろうか?
否。
万事休したか?
この氷の槍を避けきることなんてできやしない。しかも、槍に『邪なるもの』の気配がすることから、体に刺さればまた、傷の再生ができなくなり、夢の世界に来てしまうだろう。
どうする?
僕には何がある?何をしたら、この状況から脱却できる?
考えろ。考えるんだ。
まだ、戦いは終わってない。
僕はゆっくりと目を開けた。
ある。まだ方法が。それに全てを賭けようか。
そう思い、魔力を自分の周りに放出したその瞬間、無数の氷槍が一斉に降り注いだ。




