東部の英雄
レディス・シデン。
王国の東部に住む人間であれば、誰もが知っている名前だ。
それは、50年以上も昔の話。
当時、今の男爵領を治めていたのは『キルギリア子爵家』というとんでもない暴君一族だった。しかし、彼らは国家反逆罪に問われ一族全員が処刑された。
領主のいなくなった領地は、原則国によって管理される。しかし、国王陛下が即位されて間もなく、その上不正している文官の処理、いわゆる大粛清をしていたため、人手が圧倒的に不足していた。
そのため、困った国王はこう言った。
『キルギリア子爵領の住民を対象に選挙を行う。投票者は子爵領地の16才以上の全住民だ。身分、財産、性別の一切を問わない。また、立候補者という形はとらず、投票権を持った全住民が候補者となる。一応言っておくが、不正をしようものなら極刑だからな。』
国王陛下はこの言葉どおり、選挙を行った。不正者を極刑にするという脅しが効いたのか、目立った動きをする人はいなかった。
その際に圧倒的多数で指示を受けてレディスという青年が当選した。
彼は回復魔法と防御魔法の使い手で、キルギリア子爵家の横暴によって傷ついた人達を無償で助けていた。
国王は『シデン』という苗字を与え、青年に男爵位を与えた。
その後青年が治めた領地はさらなる発展を遂げ、子爵家へと陞爵する話も出ていたが、青年は頑なに断った。
その話が盛るに盛られて英雄談となり、小さな子どもでさえも知っている物語となった。
ここで大切なのは、男爵が心優しい人であるということではない。いや、もちろんそれも大切だが、『回復魔法と防御魔法の使い手』という部分が何よりも重要だ。
スタンピードが起こった場合、強力な防御魔法を使える者がいるかいないかだけで戦況が変わる。それほど防御魔法の使い手は大切なのだ。
そう思いながら僕はゆっくりと紅茶をすする。
「男爵が私の頼みを断るとおっしゃる理由をお聞かせくださいますか?」
「はい、もちろんです。少し前から、領地付近を赤い目をした魔物がうろつくようになりまして、その魔物の調査と領地周辺に警備を配置しているため、ハレールへ兵士をおくれば領民を守れなくなってしまうのです。」
「ならば、その問題を解決できれば、兵士をよこしてくれるのですか?」
「…?もちろんですよ。私とて、他領とはいえ人が亡くなるのを見過ごしたいわけではありませんから。」
「そうですか。それならよかった。男爵が憂いているその件についてはもうじき解決いたします。」
「それはどういうことです?」
「男爵の領地の周辺には、ハルシャ家にゆかりのある貴族が何人かいましてね。彼らに連絡をとったのです。男爵の領地を守ってくれないか、と。」
「しかし、彼らが動いてくれる保証など…」
「動いてくれると思いますよ。『私』の言葉はハルシャ家当主の言葉と同じですから。彼らはそのことをよく知っています。」
「…余計わかりませんね。ならば私ではなく、彼らに兵の派遣を頼めばよかったのでは?」
「いいえ。私が欲しいのは、普通の兵士ではありません。情に厚くどんな状況下であっても民を優先する兵士です。スタンピードが起こった際に民を見捨てて逃げ出す兵士は必要ありませんからね。」
「……過大評価ですな。」
男爵は苦笑しながら紅茶の入ったカップを置いた。
だが、その表情はどこか複雑だった。
褒められたことへの照れだけじゃない。
“見抜かれている”ことへの驚きも混ざっている。
「いいえ、事実ですよ。」
僕は静かに答える。
「男爵領の兵は、王国東部でもかなり特殊です。崩壊したダンジョンの影響で、定期的に魔物討伐を強いられている。つまり、実戦経験が豊富なんです。」
普通の領地兵は違う。
彼らの主な仕事は治安維持だ。
盗賊やならず者への対応が中心で、本格的な魔物討伐経験を持つ者はそこまで多くない。
しかし、シデン男爵領は別だ。
崩壊したダンジョン――正式名称『侵食型迷宮災害区域』。
完全攻略に失敗し、内部魔力が外界へ漏れ続けている危険地帯。
そこから定期的に魔物が溢れ出るせいで、男爵領の兵士たちは常に実戦を強いられている。
「加えて、男爵ご自身が回復魔法と防御魔法の使い手だ。」
僕がそう言うと、男爵は少しだけ目を細めた。
「防御魔法の使い手は、戦場では想像以上に重要です。特にスタンピードのような乱戦では。」
「……。」
「どれほど優秀な兵でも、守る術がなければ疲弊します。ですが、防御魔法があれば前線を維持できる。回復魔法があれば継戦能力が段違いになる。」
スタンピードで最も恐ろしいのは、 “数”だ。
一体一体は弱くとも、波のように押し寄せてくる。
そして人間は、魔物と違って疲れる。
だからこそ、防御と回復は重要になる。
「つまり私は、 “男爵の兵”そのものが欲しいんですよ。」
そこまで言うと、男爵はしばらく黙り込んだ。
静かな部屋に、時計の針の音だけが響く。
やがて男爵は、小さくため息を吐いた。
「……カイ様は、不思議なお方だ。」
「そうですか?」
「はい。普通の貴族なら、兵数や装備ばかりを見る。しかし貴方は、 “どんな人間か”を見ている。」
「戦場で最後に信用できるのって、結局そこですから。」
僕は肩をすくめる。
どれだけ綺麗事を並べても、極限状態では本性が出る。
民を置いて逃げる者。
仲間を見捨てる者。
命令がなければ動けない者。
『僕』は、そういう人達を嫌というほど知っている。
「……参りましたな。」
男爵はそう言って、小さく笑った。
「そこまで言われて断れば、私が臆病者みたいではありませんか。」
「違うんですか?」
冗談半分で言うと、男爵は目を丸くしたあと、堪えきれず吹き出した。
その笑い声につられるように、部屋の空気が少しだけ柔らかくなる。
「分かりました。」
男爵は姿勢を正し、真っ直ぐ僕を見た。
「シデン男爵家、総勢120名。ハレールの防衛に協力いたします。」
その言葉に、僕は静かに微笑んだ。
「ありがとうございます、男爵。」
これで、防衛線が一つ形になる。
でも――まだ足りない。
予知夢で見たあの光景を覆すには、もっと多くの力が必要だった。




