静かなる異変
数時間後
「…カイくん、いつまで待つんです?もう日が暮れ始めましたよ。」
「もうちょっと待って。もうすぐ来るはずだから。」
遠くの方から聞こえる馬車の走る音に僕は耳をすませた。
「…来た。いくよ、アイリス。」
アイリスの手を握り、馬車の音が聞こえた方へと走る。
馬車を視認できる位置まで移動して、アイリスの手を離した。
「アイリス、馬車の後方を走っているゴブリンたちの処理を任せていいかな?」
「分かりました。」
アイリスはそれ以外何も言わないで風魔法を使い空中へと飛ぶ。
「…さて、僕はこっちを片付けますか…」
腰から短剣を抜いて、茂みに隠れていた魔物に殺気をおくった。
背丈の高い草から出てきたのは角が一本額に生えた狼だった。ホーンラビットならぬ、ホーンウルフである。危険度はDランクだが、群れに出会えばちょっと厄介な相手だ。
ちらりとアイリスの方を確認する。こいつらは魔法を使わないから空中にいるアイリスを攻撃することはないだろう。
「さて、君たち。僕を襲ったことを後悔しながら逝くといい。」
地面を蹴り相手の目に突き刺した。
ギュァアアアア!!!
飛び散った血で服が汚れないように、すぐに短剣を引き抜き違う個体に向かって投げつける。
しかし、投げた短剣は首ではなく相手の皮膚をかすっただけだった。
「Dランク風情が今のを避けた?ありえないな。…まっ、いいや。どちらにせよ僕の敵ではない。」
僕を取り囲む狼は7体。そして隠れて様子をうかがっている狼が10体。
「…はぁ…めんどくさいな。」
僕を取り囲んでいる7体の足を一気に凍らせて動けなくする。
「…氷の矢」
凍って身動きが取れない狼めがけて氷の矢を放つ。もうちろん頭に。
「今なら見逃してあげるけど、どうする?」
そんな僕の言葉が分かったのか、隠れていた狼たちは皆走り去っていった。
「カイくん、大丈夫ですか?」
「うん。ただ、やっぱり強さがおかしいね。」
「やはりそうですよね…あのゴブリンたちも強さが異常でした。…ところカイくん、あの馬車を待っていたみたいですが、どなたが乗っているんです?」
「あー、あれね。ハレールのお隣に領地をもつシデン男爵家の当主じゃないかな。」
「えっ、どうして分かるんですか?」
「昼、彼に手紙を送ったんだ。早便だと30分かからずに手紙が届くはずだから、そろそろこの辺を通る頃だと思って。その推測はどうやら当たったみたいだね。」
馬車が僕らの前で止まり、綺麗な服を着た老人が降りてきた。
「お嬢さん、先ほどはゴブリンを倒してくれてありがとう。おかげで助かった。」
「いえ、当然のことをしただけですよ。…お初にお目にかかります、シデン男爵。フローレス家が長女、アイリス・フローレスと申します。」
アイリスがそう言うと、男爵は目を見開いた。しかし、すぐに表情を戻し胸に手を当てて挨拶をした。
「これはご丁寧に。私はレディス・シデンと申します。そちらの方は…もしや…」
「カイ・ハルシャと申します。以後お見知りおきください。」
「公爵家の公子様がこんな老いぼれに敬語を使いなさるとは、長く生きてみるものですな。」
「男爵のよい噂は遥か遠い場所まで届いております。私はあなたのその人柄に敬意を払っているだけですよ。」
「…そうですか。ところで、高貴なお二方がどうしてここに?護衛の方はいらっしゃらないのですか?」
「護衛はいますよ。ただ、どうも気配を消す趣味があるらしくて、どこにいるのかはさっぱり分かりませんが。…どうしてここにいるのかとおっしゃられましたね?私はあなたに会いに来たのですよ、男爵。」
「どうしてです?あと数時間待ってくだされば、ハレールでお会いできたでしょう。」
「男爵が護衛もつけずにハレールに来るのではないかと思いましてね。低ランクの魔物しか出ないとはいえ、今は魔物が通常よりも強くなっていますから。」
「……そこまで見越しておられたのですか。」
男爵は感心したように目を細めた。
「見越していたというより、実際に『見た』んですよ。私の『眼』は特殊ですから。」
意味ありげなことを言いながら、僕は足元に転がるホーンウルフへ視線を向ける。
普通なら、ここまで街道沿いに魔物が出てくること自体珍しい。
しかも、さっきの個体は明らかに動きが鋭かった。
「しかし、本当に異常ですな……。」
男爵も同じことを思ったのか、険しい顔で周囲を見回した。
「この辺りは比較的安全な街道だったはずなのですが。」
「ええ。だからこそ問題なんですよ。魔物の活性化が局地的ではなく、広範囲で起きている可能性があります。」
その言葉に、男爵の従者たちが不安げに顔を見合わせた。
護衛の騎士も、先ほどから剣の柄に手を置いたまま周囲を警戒している。
風が吹くたび、草がざわざわと揺れた。
その音だけで誰もが緊張している。
「……カイ様。」
男爵が少し声を落とす。
「正直に申し上げます。今回の件、我々シデン男爵家はお力になれないでしょう。」
「知っていますよ。」
僕はそう言って言葉を続けた。
「しかし、私もそう簡単には折れませんよ。…詳しい話はハレールに戻ってからにしましょう。」
僕はそう言って、小さく笑った。
「立ち話をするには、少し物騒すぎる場所ですから。」




