4月 ラブレター 6 継続する勘違い
田中美雪
廊下で長谷川伸二を見つけた瞬間。
田中美雪は反射的に声をかけていた。
「長谷川くん!」
伸二が振り返る。
美雪の心臓が跳ねた。
逃げたい。
でも逃げるわけにはいかない。
「・・・少しだけ
お話できますか?」
怪訝そうな顔だった。
無理もない。
そもそも伸二は美雪のことを知らない。
文芸部の詩織の友達。
その程度の認識すらないだろう。
「えっと……誰?」
「あ、あの!」
美雪は勢いよく頭を下げた。
「ごめんなさい!」
「え?」
伸二が固まる。
「ラブレターを出したの私なんです!」
「え?」
さらに固まる。
数秒の沈黙。
美雪は必死だった。
「あの、あの、その……!」
伸二の顔がみるみる赤くなる。
そして。
「OKです! ぼくと付き合ってください!」
「え?」
今度は美雪が固まった。
「いや違うんです!」
「え?」
「違うんです!」
「え?」
話が噛み合わない。
美雪は深呼吸した。
「私の友達が書いたラブレターの下書きがあったんです」
「うん」
「相手が長谷川くんだと私が勝手に勘違いして」
「う、ん?」
「私が長谷川くんに届けちゃったんです」
「・・・」
「でも本当の相手は長谷川くんじゃなくて」
「え・・・」
「だからごめんなさい!」
勢いよく頭を下げる。
しばらく沈黙。
伸二は力なく笑った。
「あー・・・」
そして。
「勘違いか」
乾いた笑いが漏れる。
「ははは・・・」
思った以上にショックだった。
人生初のラブレター。
その真相が。
誤配送。
郵便事故みたいなものだった。
「そっか・・・」
伸二は遠い目をした。
美雪は申し訳なさそうに俯く。
だが。
詩織の名前だけは出さなかった。
これ以上迷惑はかけられない。
それだけは守りたかった。
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文芸部の部室。
水沢詩織は窓際の席に座っていた。
美雪を待っている。
待っているが。
帰ってこない。
時計を見る。
十分。
十五分。
二十分。
「遅いな・・・」
詩織は小さく呟いた。
やがて立ち上がる。
「今日はもう帰ろう」
そう思い立ち、廊下へ出る。
階段前のロビー。
ちょうどそこに。
田中美雪がいた。
二人の視線が合う。
数秒の沈黙。
先に口を開いたのは美雪だった。
「ごめんなさい!」
また頭を下げた。
今にも泣きそうだった。
「本当にごめんなさい!」
詩織は少しだけ困った顔をした。
そして。
小さくため息を吐く。
「もういいよ」
「え?」
「びっくりしたけど」
「・・・うん」
「でも美雪ちゃんが私のためにしてくれたのは分かってる」
本当は少しだけ怒っていた。
少しだけ傷ついてもいた。
それでも。
美雪が泣きそうな顔をしているのを見たら、
責める気にはなれなかった。
美雪の瞳が潤む。
「ごめんなさい・・・」
「もういいってば」
詩織は少し笑った。
「ちゃんと謝ってくれたし」
ようやく。
二人のわだかまりは解けた。
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廊下に呆然と立ち尽くしたままの長谷川伸二。
伸二は落ち込んでいた。
かなり落ち込んでいた。
人生初のラブレター。
その正体は。
盛大な勘違い。
「はぁ・・・」
力なく廊下を歩き始め、ため息を吐く。
その時だった。
聞き覚えのある声。
階段ロビーの向こう。
水沢詩織と田中美雪が話している。
立ち聞きするつもりはなかった。
だが。
自分の名前が聞こえた気がして。
足を止めてしまった。
「私ね」
美雪の声。
「詩織ちゃんは長谷川くんのことが好きなんだって思ってたの」
(え?!)
しかし。
ちょうどその時。
上階から生徒たちが降りてくる。
足音。
話し声。
一部が聞き取れない。
「だからあのラブレターも・・・」
(ラブレター?!)
途切れる。
「だからせめてその気持ちだけでも・・・」
伸二には聞こえない。
そして。
次の部分だけがはっきり聞こえた。
詩織の声。
「黒田くんにも(小説のこと)バレちゃった」
伸二の中で。
すべてが繋がった。
さっき美雪が言っていた。
友達のラブレター
その友達は。
水沢詩織。
そして。
ラブレターの本当の相手は。
長谷川伸二ではなく。
黒田コウ。
「なるほど」
伸二は一人納得した。
完全に勘違いした。
つまり。
水沢詩織はコウが好き。
コウも水沢詩織を気にしている。
そして。
水沢のその想いはコウにバレてしまった。
そういうことだ。
伸二は静かに笑った。
「良かったな」
誰にともなく呟く。
親友の恋が実るということだ。
そう思った。
もちろん。
その推理が致命的なレベルで間違っていることを。
長谷川伸二はまだ知らない。
自分だけが、
真実から一番遠い場所にいることを。
伸二は純粋な少年なのである。
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水沢詩織、田中美雪
二人きりになった部室で、詩織がぽつりと言った。
「私、長谷川くんに謝ってくる」
「え?」
「今回のこと。長谷川くんまで巻き込んじゃったから」
美雪は慌てて首を振った。
「違うよ! 今回のこと、詩織ちゃんは何も悪くない」
「でも・・・」
「勝手に手紙を持っていったのも、
長谷川くんの下駄箱に入れたのも、
全部私がやったことだよ」
詩織はしばらく黙っていた。
それでも、首を横に振る。
「ううん。それだけじゃないから」
「え?」
「私も勝手に長谷川くんを小説の主人公にしてた」
「それは・・・」
美雪の言葉が止まる。
少しの沈黙。
今度は美雪がおずおずと口を開いた。
「あのね、詩織ちゃん」
「なに?」
「私・・・ さっき長谷川くんに謝ってきたの」
詩織が目を丸くする。
「え?」
「ラブレターを下駄箱に入れたのは私だって」
「・・・」
「詩織ちゃんの名前は言ってないよ」
美雪は慌てて付け加えた。
「友達が書いたラブレターを、私が長谷川くん宛てだって勘違いして、
勝手に渡しちゃったって。それだけ」
「・・・そう」
「ごめん。また余計なことしちゃって・・・」
詩織は小さく首を振った。
「ううん」
そして少し笑った。
「ありがとう」
「え?」
「私の代わりに謝ってくれたんでしょ?」
「詩織ちゃん・・・」
「でもね」
詩織は少し考えてから続けた。
「やっぱり私も、ちゃんと話してくる」
「でも・・・」
「謝るのだったら、誤魔化しちゃいけないと思うの」
美雪は黙った。
「小説を書いてることも。長谷川くんを勝手に主人公のモデルにしてたことも。
あのラブレターが、その小説のために書いたものだったことも」
「全部?」
「うん。全部」
詩織は自分に言い聞かせるように頷いた。
そして、少し迷ってから。
「それにね」
「うん?」
「私・・・ 長谷川くんと、ちゃんとお友達になりたいの」
美雪が目を瞬かせた。
詩織自身にも、それ以上の答えはなかった。
一年生の頃からずっと見ていた人。
優しくて。
お人好しで。
自分より他人のことばかり考えている人。
だから主人公にした。
もっと知りたいと思った。
もっと話してみたいと思った。
今の詩織には、それを表す言葉はまだ一つしかなかった。
友達になりたい。
それだけだった。
「だから、ちゃんと謝ってくる!」




