#02.
侍女に従って廊下に踏み出すと、窓の向こうに闇に沈む純白の村が見えた。
部屋がやたら明るかったこともあり、見慣れない場所という緊張感のせいで気づかなかったが、村に明かりがほとんどないのを見ると遅い夕方のようだった。
(この時間に召使いの面接をするのだろうか?)
もちろんアリーが気絶したせいで遅くなったのかもしれない。しかし貴族、それも辺境伯という者が私的な時間にわざわざ賤しい召使いのために時間を割くというのは何かおかしかった。
(瞳に反応した侍女。呪われた辺境伯……)
考えを繋げながら歩を進めることどれくらいだったか。侍女が廊下の向こうにある大きな扉を開けると、ロウソク数本だけを灯した薄暗い部屋がアリーを迎えた。
照度が非常に低い部屋だったが、降り積もる雪が光を反射して思っていたより暗くはなかった。
壁の一面を埋め尽くした蔵書たち、ガラス窓の向こうのテラスに白い雪がこんもりと積もっていた。色の暗い机にはまだ処理しきれていない書類が載せられていた。
「ご主人様。召使いになりたいとやって来た子が目を覚ましたので、連れてきました」
侍女の言葉にアリーはそこでようやく部屋の中に人がいることに気づき、目を大きく見開いた。アリーが先ほど見て通り過ぎた机の向こうに人が座っていた。
ただでさえ暗い部屋で黒いフードまで深くかぶっているため、なかなか認識するのが難しかった。驚いたアリーがまばたきをすると、伯爵が妙に不自然な動作でその場から立ち上がるのが見えた。
(……)
伯爵は背が本当に高い人だった。アリーも女性としては背が高かったが、彼女より頭一つ分高かった。相変わらずうつむいているから、おそらくもっと大きいはずだ。
アリーが黙々と伯爵を探索していると、下ろされたフードの向こうから低い声が聞こえてきた。
「……ご苦労だった。ウィリル。下がりなさい」
「はい」
伯爵の言葉にアリーを案内していた侍女、ウィリルが深く頭を下げたあと、音もなく部屋を出て行った。薄暗い部屋に伯爵と二人きりになったアリーは、伯爵をじっと見つめた。
「召使いになりたいと聞いた」
伯爵の声にアリーの瞳が細くなった。
レッシュとハジャンの戦争で活躍した将軍なら明らかに若い人のはずなのに、聞こえてくる声は八十歳を迎えた老人のようにかすれて力なかった。アリーはこういう声を聴いたことがあった。
「はい」
頭の中に浮かぶ疑問を整理しながらアリーが短く答えた。
「名前は?」
「アリーです」
「外見はレッシュ人だがアクセントはハジャンだな。混血か?」
「生まれた場所はレッシューです。ですが、生きてきた場所はハジャンです」
アリーの答えにうつむいていた頭が少し持ち上がった。黒いフードの向こうから銀色の髪が流れ落ちるのが見えた。
「……ここに関する噂を聞いた上でも召使いになろうというのか?」
「はい」
「無事に生きて帰れないかもしれない。それでもここで働こうとする理由は何だ?」
バカげた質問だった。噂を知りながらもわざわざ召使いになろうとやって来る理由に何があるというのか。アリーがふっと笑うと、彼の頭がもう少し持ち上げられた。
アリーは自分の顔がよく見えるように一歩彼に近づいた。アリーの突発的な行動に伯爵がびくりと後ろに下がったが、アリーはその分さらに彼に近づき、うつむいた頭の向こうの彼の顔を見つめた。
「……!」
アリーのピンク色の瞳を見つめた伯爵の目がこれ以上大きくならないほど大きくなった。触れ合った瞳の色が同じだった。彼の瞳を見つめたアリーが口元を釣り上げた。
「ピンク色の瞳は呪われた者の証ですよね。本当に噂通り呪われていたのですね。グレイル伯爵」
フードの向こう、伯爵の顔はレッシュ貴族らしく美しい顔をしていた。年齢は二十代後半くらいだろうか。自分の顔に見慣れているアリーですら感嘆するほど、彼の顔は端正だった。
ちょうど半分だけは、だが。
美しい左顔に比べ、伯爵の右顔は瞳からこめかみを経て耳と首の下まですべて硬質化されていた。鉱石化したその姿は呪われた者の標本と言えるほど不気味だった。
「ここまで酷い呪いは珍しいですが。恨みをたくさん買われたようですね? 伯爵」
その場から立ち上がった時の動きからして、硬質化はかなり進行しているはずだ。アリーが相変わらず口元を釣り上げたまま言葉を続けると、一つだけ残った伯爵の目が細くなった。
アリーの挑発的な言動に伯爵が低く答えた。
「そうだ。とても酷く強烈な呪いにかかっている。怖くないのか?」
「どうして恐れなければならないのですか?」
「この呪いは伝染し、周りにいる者たちはやがて私と同じ姿になるからだ」
「ああ、それ。野蛮なレッシュ人らしいバカげた噂のことですね」
伯爵の答えにアリーがくすっと笑みをこぼした。彼女の笑みに伯爵の目がさらに細くなった。
「呪いは病気ではありません。移すことも治すこともできないから呪いと呼ばれるのでしょう?」
「……」
「呪いは<気まぐれな女神>が<冥界の神>との賭けで手に入れた世界の混乱。人間なら誰でも使える<神の権能>です」
机にもたれかかった首をこくりと傾けて笑った。とても愛らしい仕草だったが、瞳のほうは霜のように冷たかった。
「神の権能が伝染するだなんて。それは気まぐれな女神と冥界の神を侮辱する言葉ですね。レッシュ人たちは大したものですね。神を侮辱する言葉を平然と吐き捨てるなんてね」
深い軽蔑が込められたピンク色の瞳に伯爵の姿が映し出された。伯爵がゆっくりと言葉を続けた。
「お前も、呪いにかかっているのか?」
「いいえ。私の瞳は先天的なものです。呪いとは関係ありません」
「ピンク色の瞳は気まぐれな女神の色だ。女神の権能が下されたからこそ持てる瞳であり、呪われ者の証のはずだが」
「どこに行っても例外はあるものですから。それとも? 私が呪われた人のように見えますか?」
アリーの質問に彼の瞳がアリーをなぞるように通り過ぎた。レッシュ人の視線が届くにもかかわらず不快ではないのは、彼の瞳の色があまりにも見慣れているからだろうか。
「……いや。呪われ者にしては苦痛の気配がないな」
「その通りです。呪われ者は生きているだけでも激しい苦痛が伴いますからね。平然と演技するのが不可能なほどの苦痛がね」
伯爵の言葉にアリーがにっこり笑った。




