第十五話 治すということ——ウエン・クイン
私が物心ついたとき、言葉にすらならない感情で思ったのは、「治したい」だった。
だから傷つけた。お母さんに嚙みついた。お父さんにコップを投げた。
治すために。
でも、両親は私に傷を治させてくれなかった。暴力的な場からは遠ざけられ続けた。愛というやつなんだろうと思った。今でもずっと実感はできないけど、愛という言葉があるのなら、愛は存在するんだろう。
愛を理解できない私は、いろんな生き物を傷つけて治した。はじめは花で、つぎは昆虫だった。チョウチョの羽をむしって治して、むしって治したし、アリを潰して治して、潰して治した。
いろんな虫を壊して治しても、あまり満足しなかった。
もっと治したことに満足できる相手がほしかった。
だから、私が生まれる前から家族だった飼い犬のガウを治すことにした。
ナイフで刺して治して、ナイフで刺して治しているうちにガウは頭がおかしくなって私の右腕を咬んだ。血だらけになった私をお母さんは抱きしめてきて、お父さんはガウを殺した。ガウが可哀そうだなと思った。私がいたら治してあげられたのに。
ガウがおかしくなったってことは心は治せないんだなと学んだ。治してきた虫たちにも心があったのなら、可哀そうなことをしたなと思った。
咬み傷の手当を受けてベッドに入った私は、ふと自分を治してみようと思った。
傷は治らなかった。
自分に興味がないからだと思った。
私はこの世に生きているすべてのものに興味があった。壊して治す対象だから。私自身は治す対象じゃない。私は私に興味がなかった。だから治せない。
ガウのことは嫌いじゃなかったから、咬み傷の跡は形見だと思うことにした。
それから暫く、私は能力を隠して生活していた。自分の傷を治せないことだけが不満で、何度も手首を切ったけど治せなくて、左腕は傷だらけだった。
私が暮らす第五都市は、他とくらべて格段に治安がいい都市だった。「寄り添う統治者」と呼ばれる、ヌフガ・バレレという上級調弦官のお陰だった。ヌフガ・バレレのせいで、私が治せるひとがいない。
みんなが傷つけあう街になってほしかったけど、みんな無傷でニコニコしていた。
虫を治して動物を治したけど、まだひとを治したことはなかった。
第五都市の子どもは七歳になったら、貴族でも平民でも同じ学校に入らないといけない。
七年生の春、私はヌフガ・エリザという少女と同じクラスになった。
ヌフガ・バレレの娘だった。
「クインって、稀人だよね?」
ある日の放課後、エリザに言われて私は固まった。
「なんで分かったの?」
「分かるよ。稀人は泣きそうな顔をしているから」
「勘ってこと?」
「そうじゃない。お姉ちゃんが言っていたみたい」
稀人は稀人というだけで監獄街に送られる。そんな理不尽な目にあいたくなくて、私は能力を隠すようになっていた。治すために傷つけることをあきらめていた。
「お姉ちゃんは稀人だったの?」
「ちがう。お姉ちゃんは勘が良かったんだって。だから稀人が分かったそう。私が産まれる前に殺されたから、会ったことはないけど」
「バレレ様は、エリザが稀人だって知ってるの?」
「父上には隠している。私が監獄街に送られたら、父上はひとりぼっちになってしまう」
言って笑うエリザは、今にも消えてしまいそうな雰囲気のひとだった。
「私の能力は『赦し』」
言って、エリザは私の額に額を当てた。
「額同士を合わせたひとの罪を赦すことができる」
「悪いことなんてしてないから、私には効かないよ」
エリザの肩を掴んで引き離すと、私の目から涙が流れた。
「大丈夫だよ」
エリザが言う。
大丈夫? なにが?
「クイン、あなたの能力は?」
訊かれるがまま、私はエリザに自分の能力を告白した。
治すために壊しつづけたことも告白した。
「大丈夫、大丈夫だから」
エリザに赦された私は、泣いていた。
エリザは稀人について教えてくれた。ほとんどは難しい話でよく理解できなかったけど、「稀人には自分の能力を使いたくてしょうがない本能がある」という話を聞いた時に、心のモヤモヤが晴れたのを今でもはっきりと覚えている。
エリザは本能でひとを赦す。だけど、ひとりだけ赦せないひとがいるといった。エリザのお姉さんを殺したひとだ。本能さえ拒絶するひと。私にもいつか治したくないひとができるのだろうか?
エリザは私がはじめて心を開いたひとで、親友だった。
だから攫った。
私が捕まったとき、まだ心が壊れていなかったエリザはまた私を赦した。
そうだよね、エリザは赦してくれる。本能だから。
本来なら誘拐は重罪だったのに厳重注意で済んだ。椅子に縛りつけられたエリザが無傷だったからだ。ただの誘拐ごっこ。子どもの行き過ぎた遊びとして事件は処理された。
さすがにエリザと一緒のままとはいかなくて、私は別のエリアにある寮つきの学校に移された。そこで私は泣きそうな顔をしたヒビ・タールと出会った。
エリザの代わりに、タールの罪は私が赦そう——
——あれから三年。
タールとちがって、泥棒とか殺人鬼のスカウトに私はあまり乗り気じゃなかった。私以外の稀人に興味を持つタールがすこしイヤだったから。だからサボることにした。タールも私の性格を知っているからなにも言わなかった。
ヒマだったから、西区の「洞穴食堂」でギョーザを食べることにした。
美味しいと聞いて来たのにそんなでもなかったし、客もあまりいなかった。
二個目のギョーザを頬張ると、相席の客がテーブルの向かいに座った。
「見ない顔だ。ガキがひとりで来ていい場所じゃねえぞ」
偉そうに言う男は、私とそんなに変わらない歳に見えた。
「あんただって子どもだろ?」
「十七だ」
「変わらない。私は十六」
「一年は大きな違いだ」
男は笑い、身体をいたわるようにギョーザをゆっくりと頬張った。
「ゆっくり食べたほうがおいしくなるの?」
「美味さが速度で変わるわけがないだろ。全身が筋肉痛なんだ」
「なんで?」
「仕事だよ」
「どんな?」
「……肉体労働だ」
なんか隠しているな。でも監獄街の人間なんてそんなもんだろう。
「ここのギョーザ、美味しいって聞いて来たんだけど」
「料理を美味しくする能力を持つ稀人のミケが行方不明で、今はこんなもんだ」
料理を美味しくする能力か。面白い。
「俺のあいぼ……元相棒がいま捜している。だからまた来ればいい」
戦力のスカウトなんかより、美味しいギョーザのほうに興味がある。
「あんたは捜しに行かないの?」
「おれは筋肉痛がとれたら、元相棒とは別のルートでミケを捜す」
「面白そう」
立ち上がった私は男の後ろに回って、手をかざした。
心の中で「治れ」と心の中で言う。
「嘘だろ?」
腕を振り回して男が言う。
「私はクイン。あんたは?」
「ノラ」
まだ信じられないといった顔でノラが言った。




