第95話 稼働する心臓
今日も読んでくださり、ありがとうございます。
完成した「天空のバケツリレー」。
海水を満載した数トンのエレベーター船を、大自然の力と神鋼のバネで一気に空へ撃ち出します!
息を呑む初稼働の瞬間をお楽しみください!
海面すれすれに建設された、要塞のような巨大な第一ステーション。
黒々とした荒波が絶え間なく打ち付け、白波が砕け散る神鋼と木組みの人工島の上で、僕たちは皆、固唾を呑んでその歴史的な瞬間を待っていた。塩辛い潮風が吹き抜ける中、巨大な機構が軋む音だけが重々しく響いている。
「揚水ポンプ停止! 第一エレベーター船、海水の注水完了したぞ!」
セトの力強い声が、荒れる潮風に乗って真っ直ぐに響いた。
フロートの中央にそびえ立つ、巨大な射出用のカタパルト。その発射台の上には、セトたち熟練の船大工が何日もかけて寸分の狂いもなく組み上げた、樽のような巨大な『エレベーター船』が鎮座している。
船の内部には、先ほど揚水ポンプで海から汲み上げたばかりの、数トンにも及ぶ膨大な質量の海水がたっぷりと満載されていた。木の継ぎ目がギリギリと鳴り、恐ろしいほどの重量感がそこにはあった。
「これだけのとんでもない質量の海水を、本当にあのはるか上空の島まで飛ばせるのね……」
シェリルが、見上げるような巨大なエレベーター船を前にして、ゴクリと喉を鳴らす。
「飛ばすさ。そのために、俺たちの持つ技術を全部ここに注ぎ込んだんだからな」
僕は油まみれの手で、カタパルトの要である射出レバーを力強く握り締めた。
この何十トンもの質量の船を空へ一直線に撃ち出すためのエネルギーは、すべてこの世界の自然から引き出している。
上空の島々から海面へと何百メートルも突き刺さるように落ちる、巨大な滝の『水力』。その途方もなく圧倒的な水流を鋼鉄の歯車で受け止め、地鳴りのような音を立てて巨大なウィンチを回し、僕が徹夜で叩き出した極太の『神鋼の板バネ』をミリ単位で極限まで押し縮めているのだ。外界のエンジン燃料に頼らずとも、アエテリアの尽きることのない自然エネルギーと、俺の打った鉄の凶悪な反発力だけで、空を貫くのに十分すぎるほどの射出パワーを生み出せる。
「カイル! 音叉とマウントの最終チェックはどうだ!」
僕が叫ぶと、計器盤の前に張り付いていたカイルが、分厚い眼鏡の奥の瞳をギラリと光らせて振り返った。
「結界の和音、完璧だ! エレベーター船に取り付けた『自動調律コアマウント』の初期設定も完了している。気圧と温度の変動データとのリンクに異常は一切なし! いつあの予測不能な乱気流に突っ込んでも、バネが自動で和音を維持してくれる手筈になっている!」
「よし! カシムさん、ルシアン!」
「応!」
僕の呼びかけに、白亜の神殿から出張ってきている首席調律師カシムと、使者ルシアンが神妙な面持ちで調律用の小槌を構えた。
「大いなる石よ、空へ還る力を! 静寂の壁をここに!」
彼らが熟練の手つきでエレベーター船の外部に取り付けられたメインの音叉を叩くと、フォォォォン……という、周囲の波音すら凌駕する澄み切った神聖な和音が響き渡った。直後、巨大な水の樽を美しい蒼い光を放つ『結界』がすっぽりと包み込む。
同時に、船体に組み込まれた古代の浮遊石が強く共鳴し、満載された数トンの海水の莫大な重量を完全に相殺して余りある、強烈な『浮力』を生み出した。ギチギチと音を立てていた発射台の土台から重さが消え去り、逆に船体が空へ向かって引っ張り上げようとする力が生まれる。
これで、大気による空気抵抗と摩擦は完全にゼロになり、船体は大地を縛る重力の鎖から完全に解放された。
「セト! 射出レールのロック機構は!」
「寸分の狂いもない! 凄まじい浮力で今すぐ跳ね上がろうとする船を、極太のロックでしっかり押さえ込んでいる! 摩擦ゼロの結界ごと、真っ直ぐに上空の第二ステーションへ導いてやる!」
セトが誇らしげに木槌を天へ突き上げた。
「さあ、すべての準備は整ったわよ、レオ! 私たちの途方もない投資の回収、その一番最初の輝きを、きっちり見せてもらうわよ!」
リゼが腕を組み、風に髪を揺らしながら不敵な商人の笑みを浮かべて発射台を見上げる。
僕たちの持ってきた『|泥臭い力《神鋼のバネによる射出推力》』と、彼らが数百年守り抜いてきた『美しい調和』。
相反する二つの技術が、この一つの射出装置の上で、奇跡的なほど完璧に噛み合っていた。
「……いくぜ!」
僕は深く息を吸い込み、全身の体重をかけて水力巻き上げ機の射出レバーを力任せに引き倒した。
ガコンッ!!!
極限まで圧縮され、今にも弾け飛びそうだった神鋼の板バネと、強烈な浮力で空へ逃げようとする船体を押さえつけていた極太のレールロックが、同時に外れた。
ズドバァァァァァァァンッ!!!!
鼓膜を突き破らんばかりの凄まじい轟音が海面を揺らし、発射台の周囲の海水が衝撃波でドーム状に弾け飛んだ。強烈な爆発にも似た物理的な反発力が一気に解放される。
神鋼の板バネがもたらす『圧倒的な初速』と、浮遊石が生み出す『上向きの強烈な浮力』。この二つの力が完璧に合わさり、数トンの海水を満載した巨大なエレベーター船が、カタパルトのレールを滑り、瞬きする間もない猛スピードで上空へ向かって射出された。
「おおおおっ!!」
全員が海面から上空へと視線を跳ね上げる。
結界に包まれた巨大な水の樽は、空気抵抗を一切受けることなく、射出の勢いと浮力に乗って、まるで大砲の弾丸のように一直線に空を切り裂いて登っていく。
だが、本当の試練はここからだ。
海面と上空の島々を隔てる『見えない乱気流の壁』。そこは、異なる温度と気圧の空気が激しくぶつかり合い、嵐のように渦巻く不可視の防壁だ。そこを猛スピードで抜ける時の急激な気圧と温度の変化が、結界の和音を狂わせ、船を空中でバラバラに砕きかねない最大の難関なのだ。
「来たわ……! 乱気流の層に突っ込む!」
シェリルがアストロラーベを構え、叫んだ。
空を真っ直ぐに登っていく蒼い結界の球体が、荒れ狂う乱気流の層に激突した瞬間、グラリと不自然に揺れたのが肉眼でもはっきりと見えた。
パキッ、とガラスにヒビが入るような音とともに、結界の表面に致命的なノイズの波紋が走る。
「耐えろ……! 自動調律マウント、動け……!!」
カイルが祈るように計器を両手で握りしめる。
その直後だった。
エレベーター船の船体に取り付けられた、僕が徹夜で叩き出し、カイルが緻密な計算で仕上げた神鋼の蛇腹——『自動調律コアマウント』が、乱気流による急激な環境変化をダイレクトに感知したのだ。
金属のバネが瞬時に、かつ滑らかに膨張と収縮を繰り返し、巨大な浮遊石を締め付ける圧力をコンマ一ミリの精度で、微細に、そして正確にコントロールしていく。
フォォォォンッ!
揺らぎかけていた結界の和音が、人間の手では絶対に不可能な反射速度で自動修正され、再び完璧な調和を取り戻した。
ノイズの波紋がスッと嘘のように消え去り、結界は元の美しい真球の姿のまま、凄まじい乱気流の壁を完全に無視して、さらに上空へと危なげなく突き抜けていった。
「……抜けた! 結界の和音、完全維持! 乱気流の壁を見事に突破しました!!」
カイルが歓喜の叫びを上げた。
「よっしゃあああああ!!!」
僕とセトは思わず強く抱き合い、飛び上がって喜んだ。
カシムとルシアンも、互いの肩を何度も叩き合い、リゼとシェリルは手を取り合って歓声を上げている。
不可能だと思われていた「無人の弾丸による結界維持」が、僕たちの技術によって見事に実証された歴史的な瞬間だった。
だが、歓喜に浸るのはまだ早い。
これは「バケツリレー」の、ほんの始まりに過ぎないのだ。
僕たちはすぐにアルバトロス号に積んであった通信用の狼煙を打ち上げ、遥か上空の第二ステーションへと合図を送った。
上空——最下層の島にある第二ステーションでは、近衛兵長ガランと下層の村人たちが、息を殺して空の底から飛んでくる巨大な弾丸を待ち構えていた。
「来たぞ! 網のテンションを最大まで張れ!」
ガランの号令で、村人たちが一斉に蔓のロープを渾身の力で引っ張る。
ズドスゥゥゥゥンッ!!
何重にも強靭に編み込まれた巨大な蔓の捕獲網が、飛んできたエレベーター船をがっちりと受け止め、その凄まじい運動エネルギーをトランポリンのようにしなやかに、そして確実に吸収し尽くした。網が限界までたわみ、ミシミシと音を立てた後、船はピタリと空中で静止した。
「受け止め完了! 休むな、そのまま船をカタパルトへスライドさせろ! さらに上へ撃ち出すぞ!」
ガランの野太い声に応え、中層の若者たちや神殿の学者たち——かつては決して交わることのなかった者たちが、泥だらけになって入り乱れて駆け寄る。彼らは受け止めたばかりの重たい船を、滑車付きのコロとテコの原理を使って皆で声を合わせながら押し出し、すぐ横に並行して設置されている上層行きカタパルトの射出レールへと素早く、滑らかに装填していく。
そして、再び神鋼のバネが解放され、海水を満載したエレベーター船が、第二ステーションからさらに上空の第三ステーションへと、轟音とともに射出されていく。
「空のタンクが戻ってきたぞ! すぐに海水を再注入しろ!」
「次の船の射出準備だ! 巻き上げ機、回せ!」
一方、海面の第一ステーションの横に設置された「落下用ガイドレール」からは、最上層まで到達して海水を空にし、役目を終えた船が、重力に従ってスルスルと次々に戻ってきていた。
第一ステーションで海水を汲み、強烈なバネで上空へ撃ち出す。
第二ステーションの網で受け止め、レールをスライドさせて、さらに上へ撃ち出す。
第三、第四、そして最終到達点である最上層の第五ステーションへ。
ドバァァン! ズドォォン!
静寂が支配していたアエテリアの空に、カタパルトのバネが弾ける腹の底に響く重低音と、水が絶え間なく流れるダイナミックな音が次々と響き渡っていく。
空を飛ぶエレベーター船は一隻だけではない。僕たちが撃ち出した水の弾丸が上層のステーションに届く頃には、すでに水を降ろした空の弾丸が降下用レールを滑り降りてきており、海面で再び水を満たされる。途切れることのない、絶え間ない完璧なローテーションが形成されていく。
蒼い結界に包まれた幾隻もの水の弾丸が、雲海と島々の間を、まるで生き物の血流のように力強く行き交い始めた。
「……動いたな」
僕は、海面のフロートに立ち、忙しく飛び交う空の弾丸の軌跡を見上げながら、深い充実感とともに呟いた。
「ええ。私たちの作った、この国の新しい心臓ね」
リゼが隣に並び、眩しそうに、そして誇らしげに空を見上げた。
数百年もの間、ただ資源が海へと流出するのを指をくわえて待つしかなかった、美しくも絶望的な箱庭。
そこに今、外界からの莫大な質量を汲み上げ、国全体へと力強く送り込むための、巨大な「心臓」と「血管」が完成したのだ。
ドクン、ドクンと。
国全体が、確かな生命の脈動を取り戻していくのを、僕たちは肌で、そして震える空気で感じていた。
さあ、届け。
カラカラに干からびた最上層の、死の世界へ。
僕たちが汗と泥と油にまみれて組み上げた、希望の命の水を。
読んでいただき、本当にありがとうございます!
神鋼のバネによる「剛の射出」と、浮遊石の結界による「柔の飛翔」。
そして、乱気流の壁を見事に突破する「自動調律コアマウント」!
次々と空へ撃ち出され、各階層を巡る海水の弾丸は、まさにこの沈みゆく国に新しく通った力強い「血流」そのものでした。
いよいよ、汲み上げた海水を「命の土」に変える大詰めの作業に入ります。
明日からの展開も、引き続き楽しんでいただけますように!




