第85話 奇跡の翼の設計図
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会議室では、物理学のカイルと調律理論のカシムが真っ向から激突!
決して交わらないと思われた二つの叡智に、シェリルの「星読みの目」が橋を架けます。
玉座の間に隣接する円卓の会議室では、深夜になっても激しい怒号にも似た議論が続いていた。
「だから、そこが間違っていると言っているんだ! 推力と操作性を得るためには、前方の『マイナス質量の放出孔』、後方の『プロペラ』、そして『操舵用のフラップ』を結界の外に突き出さなきゃならない。完全な球体の結界じゃ、いくら中でエンジンを吹かしても前に進めないんだよ!」
カイルが計算尺を振り回し、黒板代わりの大きな石板をバンバンと叩いた。
「馬鹿なことを言うな、若き学者よ! 我々の『風切』が結界の外に帆を出せるのは、帆が『音を立てない』からだ! 結界は極めて繊細な和音で編まれている。お前たちの狂ったように回る鉄の刃が発する騒音や、強引な質量放出の衝撃波などという『不協和音』を結界から突き出せば、和音が打ち消され、結界は一瞬で弾け飛ぶ!」
首席調律師のカシムも負けじと白髭を震わせ、石板の端に自分たちの理論である「波長の図形」を激しく書き殴る。
アルバトロス号を「絶対の安定を誇る無敵のクレーン船」、そしていずれは「嵐を貫く弾丸」に改造するための理論設計。
だが、二つの学問は真っ向から衝突していた。
カイルの操る「近代物理学」は、数字と数式で自然を力ずくでねじ伏せ、最適解を導き出そうとする。
カシムたちの「調律理論」は、自然の波長に音を寄り添わせ、完全な調和と安定を生み出そうとする。
前提となる思想が真逆なのだ。
「カシム殿、計算上は可能なはずだ。この方程式の変数に、君たちの音叉の周波数を代入すれば、結界の『穴』を維持できる!」
「数字上の理屈など音の真理の前では無意味だ! お前の数式は『音の干渉』を完全に無視している。穏やかな海へ降りるにせよ、強烈な振動と爆音を発する穴を空ければ、そこから和音が崩壊するぞ!」
円卓の端で頬杖をついていたリゼが、大きくあくびをした。
「……もう三時間よ。あの二人、まったく同じところをぐるぐる回ってるじゃない」
「学者の意地ってやつさ」
僕は苦笑しながら、カイルが投げ捨てた丸めた紙くずを拾い上げた。
カイルは正しい。物理的に前に進むためには、前方の空間を切り開くマイナス質量と、後方から押すプロペラの推力、そして舵を逃がす道が必要だ。
だが、カシムの言うことも正しい。音を立てない帆ならともかく、爆音と激しい振動を発するエンジンを和音の結界の外に出せば、シャボン玉を大音量のスピーカーで吹き飛ばすようなもので、結界はすぐに割れてしまう。
「……ねえ、カイル。カシムさん」
堂々巡りの議論が続く中、それまでずっと自分の観測メモと星図を睨みつけていたシェリルが、おもむろに立ち上がった。
彼女は、怒気を含んだ二人の学者の間にスッと入り込み、円卓の中央に数枚のスケッチを広げた。
「シェリル? 今は君の天文学の出番じゃない。流体力学と音波の干渉問題なんだ」
カイルが遮ろうとしたが、シェリルは首を振った。
「私が観測したのは星だけじゃないわ。私たちがこの国に来る時、あの『嵐の壁』を抜けた時の気圧と振動のデータよ」
彼女はスケッチに描かれた、複雑に波打つグラフのような線を指差した。
「あの狂気じみた嵐の壁も、ただ無秩序に轟音を上げているわけじゃなかった。ちゃんと一定の『リズム』を持って呼吸していたわ。……どんなに乱暴な環境音でも、波長を分析すれば規則性を見つけ出せるの」
「規則性……?」
カシムが怪訝な顔をして、シェリルのグラフを覗き込んだ。
「ええ。二人がぶつかっているのは、プロペラの回転やエンジンの爆発音が発する『激しい騒音や振動』が、結界の和音を乱す不協和音になるからでしょ?」
「その通りだ。鉄の刃が空気を切り裂く暴力的な音など、我々の神聖な音叉の波長とは決して相容れない」
カシムが腕を組んで頑なな態度を見せる。
「だったら、そのプロペラの回転音やエンジンの振動を、最初から結界の和音に『同調』するように組み込んでしまえばいいんじゃないかしら」
シェリルのその一言に、カイルとカシムの動きがピタリと止まった。
「カイル。エンジンの回転数や爆発のタイミングをコントロールして、一定の周波数を作り出すことはできる?」
「ああ……ギア比と燃料の噴射タイミングを調整すれば、ある程度の周波数帯に固定することは可能だが……」
「カシムさん。もし、そのエンジンの周波数が、音叉の和音と完全に調和する『音階』になっていたら……それは結界を壊すノイズになるかしら?」
「……!」
カシムが息を呑み、白髭を震わせた。
「そ、そうか……! プロペラとエンジンの発する騒音の周波数を、音叉の和音を構成する一つの『音』として計算に組み込む! そうすれば、鉄の刃が発する騒音は和音を打ち消す破壊者ではない。結界の和音をより強固に維持するための『重低音の伴奏』として機能するのだ!」
「しかも、その周波数をあの嵐の壁の波長と同調させれば、将来帰路で嵐を抜ける時にも、外部の轟音と内部の騒音が完全に相殺し合う完璧なステルス結界になる!」
カイルは狂ったように計算尺を弾き始めた。
「おお……おおおっ!! なんと美しい考え方だ……!」
カシムも歓喜の声を上げた。
物理学と調律理論。
反発し合っていた二つの学問が、シェリルが提示した「自然の観測データ」という架け橋によって、今、完璧な形で繋がり合ったのだ。
「カイル! プロペラの正確な回転数と放出のタイミングは弾き出せるか!?」
「当たり前だ! 君たちの音叉の基準周波数をこっちの式に当てはめれば、一分間に必要な回転数とトルクが割り出せる!」
「よし、ならばその数値に合わせて、我々が音叉の『調律』を変更しよう!」
そこからの二人は、まるで人が変わったかのようだった。
数分前まで互いの理論を否定し合って怒鳴り散らしていたというのに、今は肩を並べて石板の前に立ち、互いの足りない部分を補い合うように、猛烈な勢いで数式と図形を書き連ねていく。
「ここの気圧変化の定数はどうだ?」
「ならば音叉の配置を三ミリずらして、和音の響きを厚くしよう」
僕とリゼは、顔を見合わせてニヤリと笑った。
「まったく。学者ってのは、これだから面白いわね」
「ああ。火が点いたら、寝食を忘れる連中だ」
夜が更け、やがて窓の外から白々と夜明けの光が差し込んでくるまで、二人の作業は止まらなかった。
そして。
「……完成、したわね」
シェリルが静かに呟いた。
円卓の上に広げられた巨大な羊皮紙には、アルバトロス号の船体を包み込む「完全なる流線型の結界」と、その前方から放たれる「マイナス質量の波形」、後方から突き出された「プロペラと操舵フラップ」の設計図が描かれていた。
数字の羅列と、音の波長を示す幾何学模様が美しく融合した、まさに『奇跡の翼』の設計図だった。
カイルは計算尺を机に置き、深く息を吐いた。
「……見事な理論だ、カシム殿。君たちの『音に寄り添う調和の力』がなければ、この極限状態での結界の維持は絶対に不可能だった。僕の物理計算だけでは、いかに穏やかな海であろうと、自らの振動で自壊していただろう」
カイルが素直に頭を下げると、カシムもまた、深い敬意を込めて首を振った。
「いや、礼を言うのはこちらの方だ、若きカイルよ。我々の音叉は、静寂を保つことしかできなかった。君の『力ずくでも前へ進む』という野蛮で力強い数式がなければ、この閉ざされた鳥籠から抜け出すための設計図は引けなかった」
カシムは皺だらけの手を差し出し、カイルがその手をしっかりと握り返した。
近代科学と、自然調和の魔法。
決して交わるはずのなかった二つの叡智が、完全に融合した瞬間だった。
「よし! 頭のいい連中の仕事はここまでだな」
僕は円卓に歩み寄り、完成したばかりの設計図をバシッと叩いた。
故郷の下町で染み付いた、油と鉄の匂いがする僕の手に、朝日の光が反射する。
「こっから先は、俺たち職人の出番だ。この美しすぎる設計図通りに、あのボロ船を完璧な無敵艦に仕立て上げてやるぜ!」
徹夜明けの疲労など微塵も感じない。
僕の胸の中には、未知の改造に挑む整備士としての、熱い高揚感だけが燃え上がっていた。
読んでいただき、本当にありがとうございます!
エンジンの爆音やプロペラの振動を、結界を壊すノイズではなく「和音を強化する伴奏」として組み込む。しかも嵐の波長と同調するステルス仕様!
シェリルの自然観測データが、相反する二つの学問を完璧に融合させました。
4人全員の力が合わさって、ついに完成した『奇跡の翼』の設計図。
「こっから先は、俺たち職人の出番だ!」




