第78話 こぼれ落ちる大地
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使者ルシアンに導かれ、最下層の端の巨大な滝へとやってきた彼ら。
そこでカイルが、この国の「寿命」を物理的に証明します。
「一番上におわす王が、この穢れし旅人たちに会いたいと……? そ、そのような馬鹿な」
ゲストハウスの前にやってきた使者の一団を前に、村長のバウワは杖を取り落としそうになりながら狼狽していた。
使者の先頭に立つのは、ルシアンと名乗った若い男だった。白く滑らかな生地の服に、滝と星を象った美しい紋章の刺繍。下層の村人たちとは明らかに違う、洗練された身のこなしと、透き通るような冷たい声を持っていた。
「バウワよ。これは王の勅命だ。あの狂気じみた嵐の壁を、自らの力で破って現れた外の世界の若者たちに、王は大変な興味を持っておられる」
「だ、だがルシアン様! 彼らは鉄と油の毒に当てられているのです! これ以上、神聖な上層へ近づけるわけには——」
「爺さん、そりゃあないぜ」
僕はバウワの言葉を遮り、ゲストハウスの扉を蹴り開けて堂々と外へ出た。後ろにはリゼ、カイル、シェリルの三人も、不敵な笑みを浮かべて続いている。
「俺たちの『穢れ』が嫌で船ごと隔離したんだろ? だったら、さっさと一番偉い奴と話をつけさせてくれよ。そうすりゃ俺たちも、すぐにこの村から出て行ってやるからさ」
油の染みが取れない作業着のまま、僕は使者ルシアンの前に立った。
ルシアンは僕の泥臭い身なりを見て、わずかに眉をひそめたが、すぐに興味深そうな視線を向けてきた。
「……なるほど。これが『進む力』を持つ者の瞳か。良いだろう。王がお待ちだ、ついてきなさい」
「ルシアン様!」
「よいか、バウワ。これは王の意志だ。下層の長が口を挟むことではない」
ルシアンの冷徹な一言に、バウワは無念そうに唇を噛み締め、道を譲った。
僕たちは使者の一団に囲まれるようにして、村の奥へと歩き出した。
案内されたのは、集落の中心部ではなく、島の一番外側——切り立った崖が続く、雲海に面した絶壁の方向だった。
「上層へ行くってのに、なんで島の下へ向かってるのよ?」
リゼがいぶかしげに尋ねると、前を歩くルシアンが振り返りもせずに答えた。
「王の神殿がある最上層は、はるか上空だ。我々の『風切』は風を頼りに進むため、滝の周囲の不安定な気流を垂直に登り切るのには適していない。確実に行くためには昇降機を使うしかないのだ。その乗り場が、この島の端にある」
やがて、原生林を抜けた僕たちの視界が一気に開けた。
そこは、この島の端だった。
見渡す限りの白い雲海が眼下に広がり、僕たちの立っている島は、その雲の海にポツンと浮かぶ巨大な岩の塊であることがよくわかる。
そして、耳をつんざくような凄まじい轟音が響いていた。
「うわぁ……すごい……!」
シェリルが思わず声を上げる。
島の縁から、幅数十メートルにも及ぶ巨大な川が、そのまま滝となって雲海の下へと一直線に流れ落ちていたのだ。
上層の島々から降り注いできた水が、この最下層の島に集まり、最後に雲の底へとこぼれ落ちていく。エメラルドグリーンの水流が白い飛沫を上げながら奈落へと吸い込まれていく様は、神々しいほどの絶景でありながら、吸い込まれそうな恐ろしさがあった。
「昇降機が下りてくるまで、少し時間がかかる。ここで待機しろ」
ルシアンが冷たく言い放ち、使者たちは滝のそばにある石造りのテラスで足を止めた。
轟音を立てる滝を見下ろしながら、カイルが眼鏡の位置を直し、手帳を取り出した。
「……これが、昨日シェリルが遠目から観測した『底の抜け穴』の正体か。上層のすべての島を巡った水がここに集まり、最後に結界の外へとこぼれ落ちているんだ」
彼は崖の端まで歩み寄り、滝が流れ落ちている岩肌の断面と水の色を食い入るように見つめ始めた。
「カイル、危ないわよ。落ちたら雲海の底まで真っ逆さまだわ」
シェリルが注意するが、カイルは計算尺を取り出し、目にも留まらぬ速さで数字を弾き始めた。
「昨日、僕たちはこの国がゆっくりと死に向かっている巨大なテラリウムだと結論づけた。だが……事態は僕たちの想像をはるかに超えて深刻だ」
「深刻って、どういうことよ?」
リゼが顔をしかめる。
「水と一緒に削り落とされている『土』の流出スピードだよ。この水流の規模と地層の脆さから計算すると、昨日僕が言った『あと何百年』なんて悠長なものじゃない」
カイルは計算尺を止め、滝の轟音に負けないような大きな声で、冷酷な宣告を響かせた。
「あと数十年……もって百年だ。そのタイムリミットを過ぎれば、この多島海の表土は完全に痩せ細り、作物を育てるだけの栄養素を失う。村人は飢え、森は枯れ、島はただの乾燥した岩の塊になる。沈没は、もうすぐそこまで迫っているんだ」
カイルの言葉に、僕たちは息を呑んだ。
アルバトロス号で嵐を越えた時、僕たちはこの場所を「奇跡のユートピア」だと思った。争いもなく、豊かで、すべてが美しく調和していると。
だが、その真実は残酷だった。彼らは外の世界から逃げ出し、絶対の安全地帯に引きこもった代償として、「未来の資源」を完全に絶たれていたのだ。
「……君のその計算は、残酷なまでに正確だな」
ふいに、静かな声がした。
振り返ると、ルシアンが僕たちの方へ歩み寄ってきていた。彼の端正な顔には、怒りではなく、諦めのような苦い微笑みが浮かんでいた。
「その通りだ、外の探求者よ。我々上層の者は、とうの昔にその真実に気づいていた。だからこそ、木を切り倒すことを禁じ、道具を極限まで使い回し、質量の流出を少しでも遅らせようとしてきた」
「バウワ村長たちは、そのことを知っているのか?」
僕が尋ねると、ルシアンは首を振った。
「下層の民には知らせていない。彼らは『永遠の春』という幻想の中で、穏やかに生きる権利がある。……知ったところで、どうにもならないのだからな。我々の静かで美しい『風切』の船では、あの分厚い嵐の結界を越え、地上の土を運び入れることなど不可能なのだ」
ルシアンは、雲海の彼方に見える黒い嵐の壁を、憎々しげに睨みつけた。
「美しく調和した技術は、生き延びる役には立たなかった。皮肉なものだ。我々の祖先は自然に寄り添うことを選んだが、自然というものは、ただ残酷に時間を刻むだけだったのだ」
「……だから、一番偉い奴は俺たちを呼んだんだな」
僕は、自分の油まみれの手を胸の前で握りしめた。
「俺たちの泥臭くて不格好な船が、あの嵐の結界をぶち抜いてきたのを知って。俺たちの『野蛮な力』なら、外の世界へ土を取りに行けるかもしれないって」
ルシアンは僕の目を見つめ返し、静かに頷いた。
「……そうだ。王は、ソナタたちのその『進む力』に、この国の未来を懸けようとしておられる」
その時。
ゴゴゴゴゴッ……という重たい地鳴りのような音が、滝壺の下から響いてきた。
見下ろすと、エメラルドグリーンの滝の裏側、絶壁に穿たれた巨大な縦穴の下から、何かがゆっくりと上昇してくるのが見えた。
「来たぞ」
ルシアンが崖の端から少し下がり、姿勢を正す。
それは、想像を絶する巨大な昇降機だった。
何本もの太い木材と、巨大な浮遊石の原石を組み合わせて作られた、三十人は乗れそうな巨大な籠。それが、滝の水流の力と浮遊石の浮力を利用した複雑な滑車システムによって、雲海の下からゆっくりとせり上がってきたのだ。
ガチャンッ! という重々しい音とともに、昇降機がテラスの高さで停止し、鉄格子の代わりに編み込まれた頑丈な蔓の扉が開いた。
「乗れ。王がお待ちだ」
ルシアンに促され、僕たちは巨大な昇降機の中に足を踏み入れた。
カイルとリゼが顔を見合わせ、小さく頷く。
僕たちは「穢れ」を撒き散らす厄介者などではない。この沈みゆく国を救うことができる、唯一の希望を手にしたのだ。
「上等だ。俺たちの『黒煙と爆音』に、いくらの値がつくか……王様とやらと、たっぷり交渉してやろうじゃねぇか」
僕が不敵に笑うと同時に、昇降機の扉が閉まり、僕たちは滝の水音とともに、はるか上空の最上層へと向かってゆっくりと登り始めた。
お読みいただき、ありがとうございます!
毎日少しずつ、雲海の下へとこぼれ落ちていく土と命。
上層の人間たちは、その残酷な真実を知りながらも、嵐の壁を越えられないために「緩やかな死」を受け入れていました。
だからこそ、嵐をぶち抜いてきたレオたちの「進む力」を欲したのですね。
巨大な昇降機に乗り、いざ上層へ!
明日も夜に更新します。




