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空はまだ設計途中だった ―浮遊石と未完成の飛行船―  作者: 空木 零
第4部 天水都『アエテリア』と野良犬の交易
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第76話 拒絶される黒煙

いつも温かい応援、ありがとうございます。

交渉のカードを手に入れ、意気揚々と船を直そうとするレオたち。

しかし、そんな彼らの前に「平和を愛する村人たち」が立ちはだかります。

「一番偉い奴に会いに行くったって、どうやって行くのよ。上層の島に続く道なんて、どこにも見当たらないわよ」


緑の船の甲板から見上げるリゼの言葉通りだった。

僕たちのいる湖畔の村から、白亜の神殿がある最上層の島までは、途方もない高さがある。切り立った岩肌から滝が落ちてきているだけで、登るための階段もロープウェイも見当たらない。


「セト、アンタたち上へ行く時はどうしてるんだ?」

僕が尋ねると、セトは渋い顔をして首を振った。


「我々下層の民が、王のおわす神殿へ勝手に近づくことなどできない。呼ばれた時のみ、特別な昇降機が降りてくるのだ」

「なるほどな。なら、こっちから『呼びつけられる』くらい、ド派手な交渉のカードを用意するしかねぇ」


僕は腕をまくり、船着き場の向こう——入り江の隅で、巨大な蔓で編まれた分厚い布にすっぽりと覆われているアルバトロス号を指差した。


「カイル、俺たちのエンジンの『推力』と、こいつらの音叉の『チューニング技術』を合わせるって計画。あれの設計図、すぐに引けるか?」

「頭の中にはもう出来上がっている。……だが、それを証明するには、焼け焦げたキメラ・ドライブを一度分解して、パッキンとオイルを入れ直す必要があるぞ」

「上等だ。道具と油なら、船に積んである予備がまだ少し残ってる。さっそくオペを開始するぞ!」


僕たちはセトが止めるのも聞かず、緑の船を飛び降りて、隔離されているアルバトロス号へと走った。

分厚い蔓の布をめくって船内に入ると、蒸し風呂のような熱気と、鉄錆、そして古い機械油の匂いがムワッと立ち込めた。村人たちにとっては耐え難い悪臭なのだろうが、僕にとっては我が家に帰ってきたような安心する匂いだった。


「よし、まずは焼き付いたシリンダーの分解だ。カイル、そっちのボルトを緩めてくれ」

「わかった。スパナを渡してくれ」


カンッ、キンッ、ガチャン!


静寂に包まれた入り江に、久しぶりに重たい金属音が響き渡る。

僕はハンマーで固着した部品を叩き外し、こびりついた煤を削り落とし始めた。さらに、予備のエンジンオイルの缶を開け、焼き付いたピストンにドロリとした黒い油を注ぎ込む。


「ふぅ……相変わらず手のかかるじゃじゃ馬だぜ。でも、こいつにあの完璧な『ど真ん中の音』だけを叩き出させてやれば——」


僕が油まみれの手で汗を拭い、ニヤリと笑った、その時だった。


「やめなさい!! 今すぐその恐ろしい音を止めるのだ!!」

布の外から、悲痛な叫び声が響いた。


驚いて顔を出すと、入り江の岸辺に、数十人の村人たちが血相を変えて押し寄せていた。その先頭に立っているのは、白い髭を長く蓄え、杖をついた村の長、バウワだった。


「バウワの爺さん? どうしたんだ、そんなに慌てて」


僕がスパナを持ったまま首を傾げると、長は僕の手にある黒い油と工具を見て、顔を青ざめさせた。


「ソナタたち、いったい何をしているのだ! その『穢れし鉄』を、再び動かそうというのか!」

「動かそうって、修理だよ。この船は俺たちの足だからな。それに、ちょっと試したいアイデアがあって——」


「ならん!!」

バウワの鋭い一喝が、僕の言葉を遮った。


「その黒い血()の匂い、そして鉄が打ち据えられる恐ろしい音……それは、この神聖な土と水を病に侵し、島を枯らす毒だ! これ以上、この村を汚すことは絶対に許さん!」


長の後ろでは、村の女たちや子供たちが、恐怖に顔をゆがめて僕たちを遠巻きに見つめている。まるで、恐ろしい悪魔の儀式でも目撃したかのような目だった。


「……毒って、大袈裟な。少し音を立てて、油を差してるだけだろ?」

僕は苛立ちを隠せずに言い返した。


「俺たちは、この船を直さないと、ここから動くことすらできないんだぞ! ずっとこの入り江に引きこもってろって言うのか!?」


僕の剣幕に、長は少しだけ表情を和らげ、杖を置いて一歩前に出た。


そして、諭すような、ひどく穏やかで優しい声で言った。

「動かなくて良いのだ、若き旅人よ」


「……は?」

「嵐の壁を越え、過酷な外の世界を生き抜いてきたソナタたちの苦労は察する。だが、ここは『永遠の春』。争いも、飢えも、恐ろしい嵐もない場所だ」

バウワは、まるで傷ついた小鳥を慰めるように、僕に向かって手を差し伸べた。


「あの醜く、恐ろしい鉄の塊に頼る必要など、もうどこにもないのだ。船など捨てて、この村に留まりなさい。我々と共に土を耕し、清らかな水を飲み、静かに、自然の理に従って生きれば良い。ソナタたちを、我々の新しい家族として迎え入れよう」


その言葉を聞いた瞬間、僕の頭の中で、何かがプツリと切れる音がした。

彼らには悪意など欠片もない。本気で僕たちを憐れみ、救済しようとしているのだ。

この完璧な平和の中で、危険な空を飛ぶ必要なんてない。「飛ばない安全」こそが最高の幸せなのだと、心の底から信じている。


「……ふざけんな」

僕はギリッと歯を食いしばり、手の中の太いスパナを、足元の泥へ強く叩きつけた。


ビクッとして後退る村人たちを睨みつけながら、僕は腹の底から声を絞り出した。

「船を捨てろだと? 俺たちにとって、飛べない空なんてただの天井だ。あのボロボロの鉄屑が、今まで俺たちをどこまで運んでくれたか知ってんのか!」


ギルドの追手を振り切り、蜃気楼を越え、狂気の雷雨をぶち抜いた。

そのすべてを、この船が、その圧倒的な「進む力」で叶えてくれたのだ。


「俺は整備士だ! 壊れたもんを直して、前よりすげぇもんを作るのが俺の生きてる証なんだよ! それを『汚いからやめろ』『飛ばなくていいからここに住め』って……そんなの、俺たちにここで死ねって言ってるのと同じだ!!」


僕の怒号が入り江に響いたが、長は悲しそうに首を振るだけだった。


「ソナタたちの心は、外の世界の『穢れ』に深く取り憑かれている。……これ以上、好きにはさせん。縛れ!」


バウワの合図とともに、セトをはじめとする屈強な若い男たちが十数人、太い蔓のロープを持って一斉にアルバトロス号に群がってきた。


「おい! やめろ!! 何すんだよ!!」


僕とカイルが止めに入ろうとしたが、多勢に無勢だ。彼らは僕たちを乱暴に押し退けると、アルバトロス号のフロートや気嚢に、幾重にも太い蔓を巻きつけ、完全に動かせないように岸の岩へ縛り付けてしまった。

分厚い蔓の布が二重に掛けられ、エンジンブロックすら外から見えないように再び封印されてしまう。


「ああっ……! 私の買ったジュラルミンフレームに傷つけないでよ!!」

リゼが叫ぶが、男たちは手を止めない。


「ソナタたちの心が静まり、真の安らぎを受け入れるまで、その鉄の塊に触れることは禁ずる」

長は冷酷なまでに穏やかな声でそう宣告し、村人たちを引き連れて去っていった。


後には、ぐるぐる巻きにされ、無惨な姿になった相棒の姿と、立ち尽くす僕たち四人だけが残された。


「……クソッ!!」

僕はやり場のない怒りに任せて、近くの木の幹を力任せに殴りつけた。


拳の皮が破れ、血が滲むが、そんな痛みよりも、相棒を奪われたフラストレーションの方が遥かに大きかった。


「……レオ。落ち着け」

カイルが静かに僕の肩に手を置いた。


「どう落ち着けってんだよ! これじゃあ、エンジンと音叉のテストはおろか、空へ戻ることすらできねぇじゃねぇか!」

「わかっている。だが、力ずくで彼らをねじ伏せるわけにもいかない。ここは彼らの国だ。……それに、あのバウワの言葉の裏にある『本質』が見えなかったか?」


カイルは眼鏡を光らせ、村人たちが去っていった方向を見つめていた。研究家としての冷徹な観察眼が、あの穏やかな言葉の奥にある真実を捉えていた。


「本質?」

「ああ。あの過剰なまでの金属や機械への恐怖。彼らは『汚れ』を嫌っているんじゃない。彼らは『現状が変わること』を極端に恐れているんだ」


カイルの鋭い指摘に、リゼとシェリルも顔を見合わせた。


「先ほどのシェリルやリゼの仮説を思い出せ。ここは、外界から孤立し、資源が枯渇してゆっくりと死に向かっている沈没船だ。彼らも心の奥底では、自分たちの世界が限界を迎えていることに気づいているはずなんだ」


カイルは低い声で続けた。

「だからこそ、彼らは変化を恐れる。自分たちの『完璧な箱庭』が、僕たちの持ってきた『泥臭い力』によって壊され、直視したくない現実を突きつけられるのが怖いんだ。バウワの言う『永遠の春』という言葉は、彼ら自身に掛けた呪いそのものだよ」


「……呪い」

僕は血の滲む拳を握り締め、蔓で縛られたアルバトロス号を見上げた。

誰も死なない、誰も傷つかない、清潔で完璧な世界。

だがそれは、一歩も前に進むことを許されない、見えない巨大な鳥籠だった。


「なら、どうすんだよ。このままおとなしく、こいつらと一緒に鳥籠の中で干からびるのを待つのか?」


「まさか」

カイルは口元に不敵な笑みを浮かべた。


「僕たちは商人(リゼ)と、整備士(レオ)と、観測者(シェリル)と、研究家(カイル)だぞ。現状維持なんて一番性にあわない連中じゃないか」


「……そうね。私に黙ってタダ働きさせる気なら、国一つ買収してでも借りを返させてやるわ」

リゼも腰に手を当て、負けじと笑い返した。


「だったら……やっぱり『一番偉い奴』を引っ張り出すしかねぇな」


僕は縛られたアルバトロス号の機体をポンと叩いた。

「待ってろよ、相棒。必ず俺が、もう一度お前をあの空へ解き放ってやるからな」

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

悪意のない、純粋な善意からの「現状維持の強要」。これほど厄介なものはありませんね。

縛り上げられてしまったアルバトロス号と、軟禁状態の4人。

「飛ばない安全」を押し付けられるのは、彼らにとっては死も同然です。

この絶体絶命の軟禁状態から、彼らはどうやって反撃に出るのでしょうか?

明日も絶対にお見逃しなく!

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