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空はまだ設計途中だった ―浮遊石と未完成の飛行船―  作者: 空木 零
第4部 天水都『アエテリア』と野良犬の交易
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第75話 巨大なテラリウム

今日も読んでくださり、ありがとうございます。

完璧に見えた天水都。しかし、シェリルとリゼの調査によって、この美しい箱庭の「残酷な真実」が暴かれます。

「レオ! カイル! ちょっと来て! 大変なことに気づいちゃったわ!」


緑の船『風切(かざきり)』の甲板に、息を切らしたリゼが駆け込んできた。

その後ろには、いつもは物静かなシェリルまでが、血相を変えて天体観測用のアストロラーベを抱えてついてきている。


「おいおい、そんなに慌ててどうしたんだ? また金貨が通じないってボヤキか?」


僕が軽口を叩くと、リゼは凄い剣幕で僕の胸ぐらを掴んだ。


「冗談言ってる場合じゃないわよ! シェリル、二人に説明してあげて!」

「え、ええ……」


シェリルはコクリと頷き、僕とカイルの前に、昨夜彼女が描いたという数枚の星図と気象観測のメモを広げた。


「昨日の夜から今朝にかけて、気流と磁場の流れを観測していて……あの『嵐の壁』の正体がわかったの。あれはただの異常気象じゃないわ」


「ただの異常気象じゃないって、どういうことだ?」


僕が首を傾げると、シェリルは深刻な顔で言葉を継いだ。


「昨日、セトたちの船で見た『空間の結界』を覚えてる? あれと全く同じものが、この多島海全体を覆い尽くしているの。地下に眠る巨大な浮遊石の岩盤が発する磁場が、外界からの干渉を完全に弾き返す『絶対の隔離障壁』を作っている。あの黒い嵐の壁は、その結界の境目で生じている摩擦のようなものだわ」

「島全体が、巨大な結界に引きこもっている……?」


カイルの顔色が変わった。


「そうよ! それの何がヤバいか、あんたたちもわかるでしょ!?」

リゼが、メモの束をバンッと叩いて身を乗り出した。


「普通の海の孤島ならね、渡り鳥が種を運んだり、海流が漂着物を運んできたりするわ。でもこの結界の中には、外からのチリ一つ、土埃一つすら入ってこない! 外界の『大きな循環』から完全に切り離された密室なのよ!」


「なるほど……。新しい物質(入力)が一切供給されないのか。昨日、この村に金属がないのも、道具が異常なまですり減っているのも、新しく採掘できる資源が最初から存在しないからなんだな」

カイルが顎に手を当てて納得する。


「だが、物質の総量が増えなくとも、彼らのようにモノを大切にし、極限までリサイクルを徹底すれば、理論上は自給自足で永遠に生き延びられるはずだ」


「それが違うのよ、カイル」

リゼは、下町で一番の商人だった頃の、冷徹な目で周囲の風景を睨みつけた。


「この巨大な密室(テラリウム)には、致命的な『底の抜け穴』があるわ」

「底の抜け穴?」

「昨日、島の下層部で滝の水が落ちていくのを見たでしょ?」


シェリルが星図の上に、島と滝の簡単なスケッチを描いた。


「浮遊石の力は、『岩盤そのもの』を浮かせる力や、結界を作る力よ。でも、水や風によって削り落とされた『細かな土砂』まで空中に留めておくことはできない。重力の理に従って、滝の水と一緒に、島の土は少しずつ雲海の下——結界の外へこぼれ落ちているの」

「……待てよ。普通の山だって、雨や川の水に削られて土は下に流れるだろ?」


僕が疑問を口にすると、カイルがハッとしたように目を見開き、震える手で眼鏡を直した。


「レオ、地球上の普通の山なら、削られた土砂は海に積もり、何千万年という時間をかけた『地殻変動』で再び隆起して山に戻る。それが星の大きな循環だ。……だが、ここは空に浮かぶ独立した岩の塊だぞ」


カイルのその言葉に、僕は背筋が凍るような悪寒を覚えた。


「マグマの隆起も、プレートの移動もないこの空では……一度雲海の下へ落ちた土が、再び空の島に戻ってくることは物理的にありえないんだ……!」


「そういうことよ」

リゼが重々しく頷いた。


「水は蒸発して雨になって戻ってくるけど、『(質量)』は確実に失われ続けている。入力がゼロなのに、出力だけがマイナス。……この国は、持っているパイ(大地)を極限まで薄く削りながら食い延ばしているだけの、完全に破綻が確定した社会なのよ」


カイルが計算尺を取り出すまでもなく、答えは明白だった。

「……最悪のモデルだ。このままいけば、あと何百年か後には、この島々は完全に痩せ細って作物が育たなくなる。ここは、ゆっくりと沈没に向かっている船なんだ」


リゼの冷酷な宣告が、静かな船の甲板に響き渡った。

「誰も死なない永遠の春なんて嘘っぱちよ。ここは全員が緩やかに餓死するのを待ってるだけの、巨大な棺桶だわ!」


自然と調和した美しい箱庭。争いのない平和な村。

だが、その正体は、外の世界の『大きな循環』から切り離され、ガラスケースの中で自分たちの体を削りながら、ゆっくりと死に絶えていくのを待っているだけの、停滞したユートピアだったのだ。


「……おい、セト」

僕は、そばで黙ってうつむいている若い船大工に声をかけた。


「結界を作って自然に寄り添うなんて聞こえはいいが……要するにアンタらの祖先は、『結界の外へ土を取りに行く力』を最初から諦めて、この鳥籠の中で大人しく死を待つ道を選んだってわけだ」


僕の問いに、セトは顔を上げず、ギリッと唇を噛み締めた。

「……我々に、どうしろと言うのだ。我々の『風切』の帆では、あの巨大な結界()の摩擦を越えることはできない。外の世界の質量を取りに行くことなど、不可能なのだから……」


彼の声には、昨日までの誇りはなく、ただ重苦しい諦念だけが滲んでいた。


「ふん」

僕は鼻を鳴らし、自分の油まみれの手のひらを見つめた。


泥臭くて、騒音を撒き散らす、不格好な鉄の塊。

それが僕たちの技術だ。

だが。その自前の推力(プロペラ)を持つ「野蛮な槍」こそが、この美しい結界に風穴を開け、外の世界の質量()を取りに行くための唯一の鍵なのだ。


「……なあ、カイル。俺たちのエンジンを、結界で包んでぶち抜くって話。あれはまだ有効か?」


僕が問いかけると、カイルは眼鏡を押し上げ、口元に不敵な笑みを浮かべた。


「ああ。計算上は完璧だ。あとは、あの布で隔離されている『穢れし鉄』を、堂々といじり回す許可さえ取れればね」

「なら、話は早い」


僕は甲板から身を乗り出し、はるか上空——無数の滝が降り注ぐ島々の、最も高い場所にそびえ立つ、白亜の神殿を見上げた。


「この国の『一番偉い奴』に会いに行こうぜ。俺たちの泥臭い技術を、最高の値で売りつけてやるんだ」

読んでいただき、ありがとうございます!

嵐の壁、補充されない資源。ここは「ゆっくりと沈没していくガラスケース(テラリウム)」でした。

欲を捨てることで生き延びてきた住人たちと、現状をぶち壊して進もうとする野良犬たち。

彼らが持つ「泥臭い力」こそが、この国の未来を救う唯一のカードになります。

さあ、交渉の準備は整いました!

明日も夜にお待ちしています。

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