表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
空はまだ設計途中だった ―浮遊石と未完成の飛行船―  作者: 空木 零
第4部 天水都『アエテリア』と野良犬の交易
PR
72/125

第72話 言葉と匂いの摩擦

今日もページを開いていただき、ありがとうございます。

未知の住人たちとのファーストコンタクト。

言葉は通じたものの、彼らの間には「とてつもなく大きな壁」がありました。

エメラルドグリーンの湖面で、巨大な二つの船が対峙していた。

かたや、爆音と黒煙を上げながら嵐を突破してきた、油と泥にまみれた鉄の船、アルバトロス号。

かたや、波音一つ立てず、風の力だけで優雅に水面を滑ってきた、木と蔓で編まれた無音の緑の船。

緑の船の甲板から、一人の若い男が一歩前に出た。亜麻色の髪を風に揺らし、精緻な刺繍が施された白い貫頭衣のようなものを纏っている。


男は僕たちのボロボロの船を見下ろし、強い警戒の色を浮かべて何かを叫んだ。

「|ファル・アスーラ、エル・ナ・ティオ?《空の向こうから来た者か。その鉄の塊は何だ?》」


透き通るような、しかし威厳のある声だった。

少し古い時代の言い回しや独特の訛りはあるものの、彼らが使っているのは、僕たちが普段使っている公用語と根源を同じくする言葉だった。


「……よかった、言葉は通じるみたいね」

シェリルが胸をなでおろす。


「どうやら、カッシーニの手帳にあった古代語の文法がベースになっているようだな。数百年前に大陸から切り離された後も、彼らは古い言葉をそのまま受け継いでいるんだ」

カイルが手帳をパラパラとめくりながら冷静に分析し、男に向かって声を張り上げた。


「我々は空の向こうから来た! 敵意はない! 船が壊れて動けないんだ!」


カイルの言葉を聞いて、緑の船の甲板にいた数人が顔を見合わせ、大きくざわめいた。彼らにとって、あの狂気じみた磁気嵐の壁の外から無事に現れた僕たちは、文字通り「異世界からの来訪者」なのだろう。

リーダー格の若い男は、カイルをじっと見つめた後、ふっと警戒を解くように両手を広げて見せた。


「ソナタたち、(ゼフェル)を越えた、勇敢なる者。我々、歓迎する。岸まで、引く」


その言葉に、船内にようやく安堵の空気が流れた。


「ふふっ、話が早くて助かるわ! 交渉事は私に任せて!」


リゼはパチンと指を鳴らすと、自分のリュックサックから小さな革袋を取り出した。

中には、彼女がスポンサーとして周到に準備していた、純度の高い金貨や、色鮮やかな宝石の粒がいくつか入っている。


「いい? どんな世界だろうと、助けてもらう以上は『借り』を作っちゃダメ。最初にしっかりとした『対価』を支払って、対等な取引相手だと認識させるのよ。これが独占交易の第一歩ってやつね」


リゼは自信満々に微笑むと、革袋を手に窓から身を乗り出し、隣に停泊している緑の船の男たちに向かって、とびきりの営業スマイルを向けた。


「助けてくれてありがとう! これはほんのお礼よ! 純度の高い金貨と、南大陸のルビー! そっちの船の立派な造りなら、これくらいの価値はわかるでしょ?」


リゼが金貨と宝石を手のひらに乗せて、太陽の光でキラキラと反射させて見せる。商人たちなら、これを見ただけで目の色を変えてすり寄ってくるはずの代物だ。


だが——。


若い男は、リゼの手の中にあるきらびやかな鉱石を見て、ただ怪訝そうに首を傾げただけだった。彼の後ろにいた仲間たちも、「綺麗な色の石だね」とでも言いたげな、無邪気で興味本位の視線を向けるだけだ。

そこには、「富」や「財産」に対する執着や、価値を値踏みするようなギラついた感情が一切なかった。


「……え? 嘘でしょ? 金貨よ? 宝石よ? これでアイアンポートなら家が一軒建つわよ?」

リゼの笑顔が引き攣る。


僕たちは言葉を失った。この世界には、おそらく「貨幣」という概念自体が存在しないのだ。

「金を見ればどんな相手でも目が眩む」というリゼの商人としての常識が、第一手から見事に崩れ去ってしまった。


「……どうやら、君の自慢の資金も、ここではただの綺麗な石ころと同じらしいな」

カイルが少し意地悪く言うと、リゼは悔しそうに革袋をリュックに突っ込んだ。


「まぁ、いいわ。とりあえず岸まで引っ張ってもらえるのは助かるし。ロープを投げるわよ!」

僕は後部座席の下から太い麻ロープの束を引っ張り出し、窓から相手の船の甲板へと投げ渡した。

男の一人がそれを受け取り、アルバトロス号の機首にある牽引用のフックに結びつけようと、緑の船からふわりと跳躍した。

彼はフロートの上に音もなく着地し、アルバトロス号の機体に手を伸ばした。

その瞬間だった。


「ッ!?」


機体のジュラルミン製の装甲に触れた男が、まるで焼け火箸にでも触れたかのようにビクッと手を引っ込めた。

彼は自分の手のひらを見つめ、激しく顔をしかめる。その手には、機体にこびりついていた真っ黒な機械油と、(すす)の汚れがべったりと付着していた。


「どうした?」と僕が尋ねるより早く、男は露骨な嫌悪感を示して後退った。

そして、鼻をつまむような仕草をして、自分の船の仲間たちに向かって何かを強く訴え始めた。


マズ・クア(穢れだ)! 鉄の腐る臭い! 黒い血()が、吐き出されている!」

男の言葉に、緑の船の乗組員たちも一斉に顔をしかめ、口元を覆った。


言われてみれば、無理もないことだった。

彼らの緑の船からは、森の清浄な空気と、ほのかな花の香りしかしない。

対するアルバトロス号はどうだ。長旅と限界のオーバーヒートで、機体のあちこちからオイルが滲み出し、焼けた鉄とゴムの悪臭、そして僕たちの汗と泥の匂いが混ざり合った、強烈な刺激臭を放っている。

僕たちにとっては、この「鉄錆と燃えた油の匂い」こそが、死線をくぐり抜けて生き延びた『勲章』だった。この匂いがするからこそ、エンジンが動き、僕たちは空を飛べるのだ。

しかし、この完璧に清らかな自然の箱庭の住人たちからすれば、それは世界を汚染する耐え難い「毒」の臭いでしかなかった。


フロートに乗った男は、ロープを結ぶことすらためらい、ひどく困惑した表情で僕たちを見上げていた。


「……わかったよ。無理しなくていい」

僕は窓からフロートへと飛び降りた。


ドンッ、と重たい靴音を立てて着地した僕の姿を見て、男はさらに一歩後退った。僕の作業着は油と泥で真っ黒で、手には油圧フルードがこびりついている。


「俺が結ぶ。そっちは引っ張るだけでいい」


僕は男からロープをひったくるように受け取ると、機首のフックに手早くもやい結びを施した。

結び終えて相手の船の男に手で合図を送ると、彼はホッとしたような顔をして、跳躍して自分の船へと戻っていった。


「……なんだか、バイ菌扱いされてるみたいでムカつくわね」

リゼが窓から顔を出し、不満げに唇を尖らせた。


「仕方ないさ。彼らにとって、僕たちは圧倒的な『異物』なんだ」

カイルが眼鏡を直しながら冷静に分析する。


「金属を一切使わない船。貨幣の概念がない社会。そして、汚れに対する異常なまでの忌避感。……レオ、ここはどうやら、僕たちの常識が一切通用しない世界のようだぞ」

「ああ、望むところだ。その方が面白い」

僕はフロートから船内へと戻り、操縦席にどっかりと腰を下ろした。


やがて、緑の船の帆が微かな風を孕み、ピンと張った。

水面を滑る無音の船に引かれ、アルバトロス号はゆっくりと、エメラルドグリーンの湖を岸辺に向かって進み始めた。

静かな波音だけが響く中、窓の外を流れる美しい景色を眺めながら、僕は自分の油まみれの手のひらに染み付いた匂いを嗅いだ。


空の向こうにある、伝説の都市王国。

そこは確かに、僕たちが夢見た美しく平和な世界だった。

だが、この透き通るような清らかさの中に、僕たちのような泥臭い野良犬の居場所はあるのだろうか。

湖の対岸、鬱蒼とした原生林の切れ目に、石と木で組まれた美しい集落の姿が、少しずつ大きくなってきていた。

お読みいただき、ありがとうございます!

リゼの必殺アイテム「金貨と宝石」が全く通用しない世界! 商人にとっては致命的ですね。

そして、彼らの誇りであるアルバトロス号が、まさかの「穢れ(バイ菌)」扱い……。

アイアンポートの常識が一切通じないこの完璧な箱庭で、野良犬たちはどう立ち回るのでしょうか。

明日もお楽しみに!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ