第73話 金属のない村
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隔離されたアルバトロス号と、案内された美しき村。
ご馳走にありつき安堵する彼らですが、商人リゼの目が「ある違和感」を捉えます。
緑の船に牽引され、アルバトロス号は鬱蒼とした原生林が途切れた岸辺に辿り着いた。
僕たちがフロートから土の地面に降り立つと、そこには驚くべき光景が広がっていた。
「……信じられない。これが、本当に人が住む村なのか?」
カイルが眼鏡を押し上げ、呆然と呟く。
アイアンポートのジャンク街で育った僕たちにとって、「村」や「町」といえば、レンガやトタン板がひしめき合い、煙突から黒い煤煙が立ち昇り、どこからともなくハンマーの音が聞こえてくるような、無骨で騒々しい場所だった。
だが、ここは全く違った。
コンクリートも、鉄の釘も、一切使われていない。
住居は、巨大な木の幹をそのまま生かして精巧に組まれた木造建築や、白く滑らかな石を積み上げて作られたものばかりだった。屋根には特殊な繊維が織り込まれた蔓が幾重にも重ねられ、雨風を完全に防ぐ構造になっている。
村のあちこちには、山から引かれた澄んだ水が水路を巡り、水車をゆっくりと回している。そして、木々の間を縫うように、蔓で編まれた美しい吊り橋が家々と集落の広場を繋いでいた。
「すごい……。接合部に接着剤はおろか、金属の留め具一つ使ってない。木材の反りと繊維の弾力だけで、完璧な強度を保ってるんだ……!」
僕は職人としての本能から、手近な木組みの家の柱に駆け寄り、その滑らかな表面を撫で回した。ノミやカンナの跡すら見えないほど、完璧に磨き上げられている。
「おいおい、そんなにベタベタ触るな。君の手は油まみれだぞ」
「おっと、いけねぇ」
カイルに注意され、僕は慌てて手を引っ込めた。
ふと視線を感じて振り返ると、村の広場に集まった数十人の住人たちが、遠巻きに僕たちを見つめていた。
彼らもまた、船の男たちと同じように、精緻な刺繍が施された清潔な貫頭衣を着ている。老人も子供も、皆一様に穏やかな表情をしているが、僕たちから漂う「鉄と油の匂い」に気づくと、そっと鼻を覆い、露骨に距離を取ろうとする。
湖畔では、先ほど僕たちを牽引してくれた若い男たちが、アルバトロス号を村の中心部からできるだけ遠ざけるように、岸辺の端にある入り江にロープで係留していた。
それだけでなく、彼らは巨大な葉と蔓で編んだ分厚いシートを持ち出し、アルバトロス号をすっぽりと覆い隠し始めた。
「ちょっと! 何してるのよ!」
リゼが抗議の声を上げたが、若い男は申し訳なさそうに、しかし断固とした態度で答えた。
「ソナタたち、客として迎える。しかし、その『穢れし鉄』は、神聖な水と土を病に侵す。この布で封じなければ、村の者たちが不安になる」
「布を被せたって、エンジンの熱と匂いがすぐに消えるわけじゃないわよ!」
「それでも、視界から消し、風を遮らなければならない。これは村の掟だ」
男の言葉に、僕は強く反論できなかった。
確かに、この完璧に清潔な村において、オイルを漏らし、焼けた鉄の臭いを放つアルバトロス号は、猛毒を撒き散らす疫病神のようなものだ。僕たちの命を救ってくれた相棒が「汚物」として隔離されるのは無性に腹が立ったが、ここで争うわけにもいかない。
「……わかった。布を被せるのはいい。でも、中に入って修理するのは許してくれよな?」
僕が言うと、男は少し顔をしかめたが、渋々といった様子で頷いた。
「ソナタたち、長旅、疲れた。休むが良い。広場に、食糧と水、用意した」
男はそう言って、僕たちを村の中央にある大きな石のテーブルへと案内した。
テーブルの上には、僕たちが今まで見たこともないような色鮮やかな果実、香草をふんだんに使った焼き魚、そして、澄み切った水が並べられている。
「……食べて、いいの?」
シェリルがおずおずと手を伸ばすと、周囲の村人たちは優しく微笑んで頷いた。匂いに対する警戒はあっても、彼らには本質的な「悪意」がないのだ。
次の瞬間、僕たちは理性を吹き飛ばして食事に食らいついていた。
何しろ、嵐の壁を越えるまでの数日間、まともな食事など口にしていなかったのだ。干し肉とカビの生えたビスケットばかりだった胃袋に、新鮮な果実の甘みと魚の脂が染み渡る。
「んん〜っ! 美味しい! この赤い果物、すっごく甘いわ!」
「ああ……水が、水がうまい……!」
リゼとカイルも、なりふり構わず無言で食事を腹に詰め込んでいる。
しばらくして、膨れた腹を抱えて息をついた時、リゼがふと周囲を見回して言った。
「ねえ、この村……すごく綺麗で豊かなんだけど、やっぱり何かが足りなくない?」
「足りない? そうか? これだけ美味いもんがあって、家も立派じゃないか」
僕が答えると、リゼは商人としての鋭い目を細めた。
「違うのよ。……『市場』がないの」
言われてみれば、その通りだった。
アイアンポートなら、広場といえば商人が屋台を並べ、客と怒鳴り合いながら値切り交渉をする場所だ。しかし、この村の広場には物を売る店も、看板も、商人の姿もない。
「おい、あんた」
僕は案内してくれた若い男を呼び止め、少し古い言い回しを思い出しながら尋ねた。
「この村で、一番大きな商会……ものを売り買いする場所はどこにあるんだ? ギルドのような組織はあるのか?」
男は僕の言葉に首を傾げ、困惑したような笑顔を見せた。
「ソナタたち、奇妙なことを言う。ウリカイ……とは何だ? 我々、作物は皆で作る。必要な分を分け、余りは他の島と交わすだけ。それ以上のもの、何がある?」
「……ダメだ。彼らには『商売』という概念そのものが存在しないんだ」
カイルがため息をつきながら言った。
「はあ!? じゃあ、私のこの金貨は本当に……」
リゼがリュックの奥に押し込んだ革袋を忌々しそうに睨む。
船の上で試した時と同じだ。この世界では、金も宝石も何の価値もない。
「ぐっ……! 資本主義の完全敗北……ッ!」
リゼはその場に崩れ落ち、頭を抱えた。
彼女が用意周到に準備してきた資金は、この美しいユートピアでは文字通り「ただの石ころ」なのだ。
「まぁ、いいじゃないか。腹一杯食わせてくれたんだ。悪い連中じゃないさ」
僕が慰めると、リゼはむっとして立ち上がった。
「甘いわね、レオ! タダより高いものはないのよ。彼らが無欲で親切なのはわかったわ。でも、私たちがここに滞在して、あの隔離された船を直すための『材料』はどうやって手に入れるの? 彼らにお願いして、タダで恵んでもらう気?」
その言葉に、僕はハッとした。
アルバトロス号を直すためには、代わりの金属パイプ、シリンダーのパッキン、そして何より、あの焼き付いたトラクターのエンジンそのものを直すか、新しい動力を手に入れる必要がある。
だが、この村を見渡す限り、「金属」というものは一切存在しない。あるのは木と石と蔓だけだ。
「……確かに。この村には、鍛冶屋もスクラップ工場もなさそうだ」
僕が腕を組んで考え込んでいると、シェリルが村の奥を指差した。
「レオ、あれ見て」
彼女が指さした先では、数人の村人が畑仕事をしているようだった。
だが、その手にある農具——石の刃がついた鍬——を見て、僕は少しだけ違和感を覚えた。
「……あの鍬、ずいぶんと刃がすり減ってるな」
遠目から見ても、石の刃は本来の大きさの半分ほどに丸く削れ、持ち手の木の部分も手垢で黒光りしている。
視線を転じると、広場の端で機織りをしている女性の織り機も、何度も何度も木を継ぎ足し、蔓で縛って補修した跡があった。
この村の建物や衣服は、どれも信じられないほど精巧で美しい。
だが、彼らが日常的に使っている「道具」は、どれも極限まですり減り、修理に修理を重ねた年代物ばかりなのだ。
「……奇妙だわ。これだけ木造建築の技術があるのに、どうして農具や機織り機は、あんなにボロボロになるまで使い続けているの?」
リゼもその違和感に気づいたようだ。
「モノを大切にする文化……というレベルじゃないな。まるで、新しい石や木を『新しく削り出す』ことを極端に避けているようだ」
カイルが眼鏡を光らせて推測する。
「……とりあえず、腹も膨れたことだし、休ませてもらおうぜ。腹減ってちゃ、頭も回らねぇしな」
僕は大きく背伸びをして、違和感を振り払うように言った。
僕たちは案内された石造りのゲストハウス——もちろん、ふかふかの蔓のベッドと清潔な湧き水が用意されていた——で、久しぶりに揺れのない地面の上で深い眠りにつくことになった。
だが、その夜。
僕は窓の外から聞こえてくる、風が木々を揺らす穏やかな葉擦れの音を聞きながら、一つの疑問を抱き続けていた。
この村は、完璧に美しく、豊かだ。
だが、スパナで鉄を叩き、新しい機械を生み出そうとする、あの「泥臭い活力」が、ここには一切存在しない。
そして、隔離されたアルバトロス号。金属を持たない村人たち。
ここは本当に、僕たちが目指した理想郷なのだろうか。
答えの出ない疑問を抱えたまま、僕は深い眠りへと落ちていった。
最後まで読んでいただき、感謝です!
金属が一切なく、道具が極限まですり減っている村。そして「市場」が存在しない社会。
争いのないユートピアに見えて、どこか不自然な空気が漂い始めました。
この村には何が隠されているのか?
次回、天水都の「技術の秘密」が明らかになります。
明日も夜に更新します!




