第70話 泥だらけの勝者たち
ついに第3部最終話です!
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございます。 ボロボロの鉄屑と、泥だらけの勝者たち。 彼らの誇り高き着水シーンを、どうぞ最後までお楽しみください!
巨大な滝壺から続くエメラルドグリーンの湖に向けて、アルバトロス号は緩やかな螺旋を描きながら降下していく。
風を切り裂くプロペラの音に驚いたのか、鬱蒼とした緑の原生林から、見たこともないほど色鮮やかな鳥の群れが一斉に飛び立った。
彼らは空中に浮かぶ島々を縫うように優雅に舞い、僕たちの頭上を通り過ぎていく。
眼下には、透き通った水を湛えた広大な湖が広がり、水面には太陽の光が宝石のようにキラキラと反射していた。
「……綺麗な場所ね」
リゼが窓枠に頬杖をつき、うっとりとしたため息を漏らした。
「ああ。天水都……完璧に調和した、大自然の箱庭だ」
カイルも眼鏡を押し上げ、その絶景を一つ残らず記憶に焼き付けようとするかのように、瞬きすら忘れて見つめている。
この美しく静寂に包まれた世界の中で、僕たちのアルバトロス号は、どう控えめに言っても圧倒的な『異物』だった。
ひしゃげたジュラルミンの装甲板。継ぎ接ぎだらけの分厚い気嚢。そして、澄み切った空気を汚すように吐き出される黒煙と、耳障りなトラクターエンジンの爆音。
長老バルカが誇っていた『音も立てずに自然と調和する船』とは正反対の、不格好で暴力的な機械の塊。
この奇跡の多島海において、僕たちは間違いなく、世界の調和を乱すノイズであり、バグだった。
だが、四人のうち誰一人として、その不格好さを恥じる者はいなかった。
雷の直撃に耐え、無風地帯の地獄を乗り越え、嵐の壁を真正面からぶち抜いた。
泥と油にまみれ、ボロボロになったこの鉄屑こそが、僕たちの命をここまで運んでくれた、世界で一番誇り高い『勝者』の姿なのだ。
その時だった。
――ゴフッ、ガハッ……。
トラクターエンジンが、不意に重苦しい咳き込みのような音を立てた。
キメラ・ドライブの甲高く澄んだ和音に、濁ったガラガラというノイズが混じり始める。
「エンジンが……!」
シェリルがハッとして振り返る。
メインコンソールの針が、ブルブルと震えながら少しずつ低下し始めていた。
天欠島での泥臭いチューニングと、バルカからもらった植物油だけで、限界の限界まで回り続けてくれた奇跡の心臓。
だが、安全弁すら壊し、嵐の壁を抜けるために常軌を逸したオーバーヒートを強要されたその金属の塊は、文字通り『燃え尽きよう』としていた。
いつもなら、船内でパニックが起きる瞬間だ。
カイルが顔を青くして計算尺を弾き、リゼが悲鳴を上げ、僕が怒鳴りながらスパナを振るう。
だが今は、誰も焦らなかった。
「……カイル、油圧と水温は」
僕が静かに尋ねると、カイルも落ち着いた声で答えた。
「油圧低下。水温計はとっくに振り切れてる。シリンダーの圧縮も限界だ。……ゆっくりと、確実に出力が落ちている」
「そうか」
僕はスロットルレバーから手を離し、熱を持って震えている計器板のフレームを、油まみれの手で優しく撫でた。
「よくやったな、相棒。……もう無理しなくていい。ゆっくり休め」
その言葉に応えるように、キメラ・ドライブは最後に小さく「プスッ……」と息を吐き出し、ゆっくりと、本当にゆっくりと、その力強い回転を止めた。
ガラス管の中の浮遊石が、燃え尽きたように青い光をスッと消す。
エンジンの爆音が消え、アルバトロス号を再び『無音』が包み込んだ。
だが、絶望の海で聞いたあの恐ろしい静寂ではない。
窓の外から聞こえてくるのは、遠い滝の水音と、風が森の木々を揺らす穏やかな葉擦れの音だけだ。
推力を失ったアルバトロス号は、巨大なグライダーとなって、エメラルドグリーンの湖面へと静かに滑空していく。
僕たちは何も言わず、ただその心地よい風の音と、迫り来る美しい水面を見つめていた。
「レオ、高度五十。速度も十分に落ちているわ」
シェリルが、アストロラーベを置いて僕に微笑んだ。
「ああ。……着水準備! リゼ、フロート展開!」
「了解!」
リゼが座席の下のレバーを力強く引き上げる。
ガチャンッ! という重たい金属音と共に、機体の両脇から折りたたまれていた木とキャンバス製の巨大なフロートが展開された。
「カイル、衝撃に備えろ!」
「いつでもいいぞ!」
僕は操縦桿を両手で軽く引き絞り、機首をわずかに上げた。
エメラルドグリーンの水面が、窓のすぐ下まで迫る。
「行くぞ……!」
ザバァァァァァァッ!!!
フロートが水面を捉え、巨大な白い水しぶきが両舷から勢いよく舞い上がった。
強い減速Gが身体を前へと引っ張るが、誰もがその衝撃を心地よく受け止めていた。
アルバトロス号は水面を滑るように走り、やがてそのスピードを完全に殺しきって、穏やかな湖の真ん中へふわりと停止した。
チャプ、チャプ……。
機体の腹を、穏やかな波が優しく叩く。
「…………」
僕は操縦桿から完全に手を離し、深く、長く息を吐き出した。
終わったのだ。
故郷の時計塔の屋根裏部屋で、シェリルの星図を見たあの日から始まった、僕たちの無謀な冒険。
ギルドの追手から逃れ、猛吹雪の白い山脈を越え、狂気の蜃気楼と渇きに耐え、嵐の絶壁を真正面からぶち抜いた。
「……着いたな」
僕がシートに背中を預けて天井を仰ぎ見ると、隣から「くすっ」という笑い声が聞こえた。
シェリルが、涙で目を潤ませながら、最高に晴れやかな笑顔で僕を見ていた。
「ええ。私たちの星図は、ちゃんとここまで届いたわ」
「レオ、カイル、シェリル……」
後部座席から、リゼが身を乗り出して僕たちの首に両腕を回し、力いっぱい抱きしめてきた。
「あんたたち……本当に、最高の大バカ野郎よ……っ!」
彼女の目からも、ボロボロと安堵の涙がこぼれ落ちている。
「まったく、とんだ計算外の連続だったよ。寿命が何十年縮んだか分からない」
カイルも眼鏡を外し、目元を拭いながら、たまらなく嬉しそうに笑った。
「だが……カッシーニの理論を証明し、この絶景を一番に見られたなら、安い代償かもしれないな」
僕はリゼの腕の中で笑い声を上げ、血と油と泥で真っ黒になった手を伸ばして、操縦席の窓を全開に押し開けた。
甘く、清らかな風が、狭い船内を吹き抜けていく。
見上げれば、果てしなく広がる澄み切った青空と、無数の浮遊島から降り注ぐ七色の滝の虹。
それは、僕たち四人が命を懸けて追い求めた、間違いなく本物の「新しい世界」だった。
煤煙と鉄錆にまみれた故郷を飛び出した、四人の野良犬たち。
彼らを乗せた不格好な鉄の船は、今、すべての困難を乗り越え、伝説の都の美しい湖の真ん中で、静かに、そして誇らしくその翼を休めていた。
第3部「地図のない海と嵐の壁」、これにて完結です!
最後までお読みいただき、本当に、本当にありがとうございました!
無風地帯の絶望から始まり、狂気の蜃気楼、天欠島でのハイブリッドエンジンの誕生、そして嵐の壁の強行突破……。 限界を超えて回り続けたエンジンが静かに息を引き取り、美しい湖面へ滑空していくラストシーン。彼らの過酷すぎる旅路が報われた瞬間に、作者自身も書きながら感極まってしまいました。
皆様の温かい応援があったからこそ、野良犬たちは空の果てにたどり着くことができました。
ここから物語は、【第4部 閉ざされた箱庭、天水都】へと続きます。
長老バルカが「死にゆく鳥籠」と呼んだこの美しい世界で、彼らは何を知り、どう世界を変えていくのか。
もし、ここまでの第3部を読んで「最高に熱かった!」「絶景に感動した!」「4人の冒険をもっと見たい!」と思っていただけましたら、
ぜひページ下部の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマークをいただけますと、第4部執筆の何よりの原動力になります!
(皆様からの応援ポイントが、アルバトロス号の新しい燃料になります!)
明日からの第4部も、引き続きアルバトロス号の冒険を楽しんでいただけますように!




