第69話 奇跡の多島海『アエテリア』
いつも応援ありがとうございます。 嵐の壁を抜け、ついに光の中へ。
彼らが命懸けで目指した「空の果て」の景色が、いよいよその全貌を現します!
静かなアイドリング音だけを響かせながら、アルバトロス号は澄み切った青空の下を緩やかに滑空していく。
風防ガラスの向こうに広がる景色は、僕たちが今まで見てきたどんな光景とも違っていた。
「……見て」
シェリルが、震える指先で眼下を指し示した。
純白の雲海が、まるで巨大なカーテンが引かれるように薄れ、その下から信じられないスケールの光景が姿を現し始めていた。
「なんだ、あれは……」
カイルが息を呑み、眼鏡の奥の瞳を限界まで見開いた。
空中に、島が浮いていた。
一つや二つではない。視界の果てまで、大小無数の島々が重力という絶対の法則を嘲笑うかのように、空のあちこちにぽっかりと浮かんでいるのだ。
ある島は巨大な山脈をそのまま削り取ったようなスケールでそびえ、またある島は小ぶりな丘のように寄り添っている。どの島も、鬱蒼とした深い緑の原生林に覆われ、生命の息吹に満ち溢れていた。
そして、その島々を繋ぐようにして、空から空へ、巨大な滝が幾重にも重なって流れ落ちている。
上層の島に湧き出した水が、中層の島の湖へと滝となって降り注ぎ、さらにそこから溢れた水が、雲海の底へと白糸のように落ちていく。太陽の光を浴びた水しぶきが、空中のあちこちに鮮やかな七色の虹の橋を架けていた。
「すごい……! こんなの、おとぎ話の中だけの景色だと思ってた……!」
リゼが窓ガラスに額を押し付け、感極まった声で叫んだ。
「水が……あんなにたくさんの澄んだ水が、空から流れてる! あそこの森、果実みたいな赤い実がいっぱいなってるわ!」
損得勘定に誰よりも厳しい彼女が、積載量の心配や燃料の残量など完全に忘れ去り、ただ純粋な子供のように目を輝かせている。
「重力異常じゃない。あれは、すべての島が超巨大な『浮遊石の鉱脈』をその岩盤の奥深くに抱え込んでいるんだ」
カイルは計器ではなく、眼下の奇跡の多島海を食い入るように見つめながら、震える声で解説した。
「島そのものが巨大な反重力場を形成し、互いの磁場と引力でバランスを取りながら、この空の空間に固定されている……。僕たちのように機械で無理やり飛ぶのではなく、大自然の摂理として、最初から『空に浮くように』設計された生態系だ」
「完璧な、自然の調和……。これこそが、アエテリア……伝説の都なのね」
シェリルはアストロラーベを胸に抱きしめ、頬に伝う涙を拭おうともせずに、その絶景を見つめ続けていた。
僕は操縦桿を軽く握り、ゆっくりと船を旋回させた。
開け放たれた窓からは、甘く、冷たい風が吹き込んでくる。
煤煙と鉄錆の匂いしか知らなかった下町。氷点下の猛吹雪に肺を焼かれた白い山脈。太陽に焼かれ、狂気の蜃気楼を見た絶望の海。そして、雷鳴と暴風がすべてを引き裂こうとした漆黒の嵐の壁。
そのすべての過酷な旅路が、今、この美しい風の匂いに報われたような気がした。
「……おい、お前ら」
僕は、涙ぐんでいる三人に声をかけた。
「ほっぺたをつねってみろ。痛てえか?」
「……痛いわよ。すっごく痛い」
リゼが自分の頬を両手でつねりながら、ボロボロと大粒の涙をこぼした。
「……僕の計算尺も、本物だ。幻覚じゃない」
カイルも、震える手で計算尺を握りしめ、くしゃくしゃの笑顔を見せた。
「……星の導きは、正しかったわ」
シェリルは、泣き笑いの表情で僕を見て、力強く頷いた。
「そうか。なら……」
僕はスロットルレバーを撫で、傷だらけのメインコンソールをポンと叩いた。
「俺たちは本当に、世界で一番すげえ場所を、自力で見つけちまったってことだな」
「……ええ、そうね! 私たち、本当に着いたのよ!!」
リゼが涙声で叫び、シェリルがアストロラーベを高く掲げた。
「はいっ! 一番乗りです!」
「最高だ! カッシーニの理論を、僕たちが証明したんだ!!」
船内に、爆発的な歓声が上がった。
リゼがシェリルに抱きつき、二人はその場でぴょんぴょんと飛び跳ねて喜ぶ。カイルは僕の肩をバンバンと乱暴に叩き、僕は痛む左腕を押さえながらも、腹の底からガハハッと大声で笑い返した。
死の淵に立たされた恐怖も、限界を超えた疲労も、今はすべてが心地よい達成感へと変わっていた。
ギルドの大人たちに「不可能だ」と笑われ、外の世界を目指した先人たちがことごとく力尽きた、絶望の空。
その最後にして最大の防壁を、僕たちは自分たちの足と、知識と、絆だけで、見事にぶち抜いたのだ。
アルバトロス号の船体は、落雷で装甲板がひしゃげ、アンカーのワイヤーは千切れ、気嚢のあちこちには焦げ跡や補修パッチが痛々しく縫い付けられている。
どこからどう見ても、ボロボロの鉄屑だ。
だが、この透き通るような青空と、眼下に広がる奇跡の多島海を飛ぶ僕たちのアルバトロス号は、世界中のどんな豪華な客船よりも、どんな巨大な軍艦よりも、誇り高く、美しかった。
「よし、高度を下げるぞ! 一番デカい島にある、一番綺麗な湖を探すんだ!」
僕は歓喜に沸く仲間たちに声をかけ、操縦桿をゆっくりと前に倒した。
「了解! 左舷前方、巨大な滝壺の下にエメラルドグリーンの湖があるわ!」
シェリルの明るい声が響く。
「よっしゃ、あそこだ! 着水して、腹が弾け飛ぶまで美味い水を飲もうぜ!」
「レオ! 着水前にちゃんと脚を出してよ! また船底をガリガリ削ったら承知しないからね!」
「わかってるっての! カイル、エンジンの余熱は大丈夫か?」
「アイドリングなら問題ない。だが、これ以上無理させたら本当に爆発するぞ。優しく降ろしてやれ」
「ああ。よくやってくれた相棒だからな」
僕は熱を持った計器板を優しく撫で、大きく息を吸い込んだ。
静かな風と、遠くで響く滝の音。
緑と水の匂いに満ちた奇跡の多島海『天水都』の空を、泥と油にまみれた勝者たちを乗せたアルバトロス号が、静かに、そして誇り高く降下していく。
長かった「地図のない海」の旅が終わり、僕たちの前に、全く新しい世界がその扉を大きく開こうとしていた。
読んでいただき、本当にありがとうございます! 浮遊島が重なり合い、空から滝が流れ落ちる奇跡の多島海『アエテリア』。
煤と油にまみれ、何度も死の淵を歩きながらも、自分たちの力でこの絶景にたどり着いたアルバトロス号と4人の姿に、胸が熱くなります。
次話、いよいよ第3部最終話となります。
奇跡の世界に降り立つ彼らの姿を、最後まで見届けてください!




