第66話 嵐の中の不協和音
今日も読んでくださり、ありがとうございます。
落下を続けるアルバトロス号。
視覚も聴覚も奪われた轟音の嵐の中で、レオが取った行動とは……!
ゴォォォォォッ!!
アルバトロス号は、真っ暗な嵐の底へ向かって、巨大な鉄屑のように落下を続けている。
船外にへばりつく僕の身体は、下から吹き上げる猛烈な向かい風に煽られ、命綱がなければ一瞬で雲海まで吹き飛ばされていただろう。
「レオ! 石の光が消えかけてる! 早く、早く音を戻して!!」
分厚いジュラルミンの装甲越しに、伝声管からシェリルの悲痛な叫び声が微かに漏れ聞こえてきた。
わかっている。だが、どうすればいい。
右舷の装甲板のどこかが、落雷の衝撃で歪んでいるのは間違いない。しかし、この完全な暗闇と、横殴りの豪雨の中では、数ミリの金属の凹みを視覚で見つけ出すことは不可能だ。
頼みの綱である「音」も、完全に死んでいた。
絶え間なく轟く雷鳴。鼓膜を内側から破りそうな暴風の咆哮。そして、限界まで回転を続けるトラクターエンジンの爆音。大自然の暴力と機械の悲鳴が混ざり合った圧倒的なノイズの渦の中で、パネル一枚が発する微細な「不協和音」など、砂漠に落ちた一本の針の音を聴き分けるようなものだ。
「くそっ……! どこだ、どこが狂ってやがる!」
僕は絶望的な焦燥感に駆られ、手当たり次第にスパナの柄で装甲板を叩いて回った。
カンッ、コンッ……。
叩いた音は、鳴った瞬間に嵐に掻き消される。
これではダメだ。当てずっぽうに叩き直せば、逆に和音をさらに狂わせ、浮遊石の共鳴を完全に殺してしまうかもしれない。
(落ちる……! このままじゃ、全員死ぬ!)
パニックになりかけたその時。
僕の脳裏に、天欠島で何週間もかけて行った、あの泥臭いチューニングの記憶が蘇った。
――スロットルを開け、足の裏から伝わる微細な振動に全神経を集中させたあの感覚。音の高さがピタリと合った瞬間、船全体が一つの巨大な『楽器』になったような、あの完璧な一体感。
「……そうだ。音は、空気の震えじゃない。金属の震えだ」
僕は横殴りの雨の中で、ハッと息を呑んだ。
僕は深呼吸を一つし、暴風の中で、ゆっくりと両目を閉じた。
視覚を遮断する。
次に、外から鼓膜を叩き潰そうとする嵐の轟音を、意識の外へと追いやる。
頼るべきは、僕が下町で何千、何万という機械に触れ、油まみれになって磨き上げてきた、整備士としての感覚だけだ。
僕は冷たい雨に濡れたジュラルミンの装甲板に這いつくばり、自分の側頭部を、金属の表面に直接ペタリと押し当てた。
片手には重たい鋼鉄のスパナを握り、その先端をパネルの表面に滑らせていく。
――ビリビリ、ビリビリ……。
冷たい装甲板に押し当てた頭と、スパナを握る指先から、船体が発する無数の『振動』が直接、身体の奥底へと流れ込んでくる。
それは最初は、ただの乱暴力な揺れにしか感じられなかった。
だが、極限まで集中力を高めていくと、その無秩序な振動の中に、いくつもの異なる『層』があることがわかってくる。
ドカッ、ドカッという、最も重く力強い振動。これはキメラ・ドライブの心臓部、ピストンが上下する鼓動だ。
ヒューーッという、細かく鋭い微振動。これは排気管に取り付けた共鳴器が発する高音の波長。
そして、船全体を包み込むように震えている、カイルが計算し尽くした『浮遊石と共鳴する正しい和音』のベースとなる振動。
(いいぞ……見えてきた。船の血流が、骨格が、手に取るようにわかる)
僕は目を閉じたまま、側頭部を装甲板に擦りつけるようにして、スパナの先端を少しずつ、数センチ単位で滑らせていった。
正しい和音の振動は、水面に広がる波紋のように、機体全体を規則正しく、美しく巡っている。
だが、その美しい波紋を乱している「異物」が、必ずどこかにあるはずだ。
右へ。下へ。
雨が顔を叩きつけ、雷鳴が轟くが、僕の意識の中は奇妙なほど静まり返っていた。
あるのは、頭や手から伝わってくる金属の震えだけ。
「……っ!」
スパナを滑らせていた右手が、ある一点を通過した瞬間。
ビリッ! と、まるで棘が刺さったような、不快でささくれた振動が頭を殴りつけた。
(ここだ)
僕はピタリと動きを止め、その場所に両手のひらを押し当てた。
間違いない。ここを中心にして、正しい和音の波長がグシャグシャに乱れ、船全体の共鳴を殺す『ノイズ』を撒き散らしている。
雷の直撃によって目に見えないレベルで歪み、本来の音を失ってしまったパネルの中心だ。
「見つけたぜ……。てめえのせいで、うちの石がご機嫌ナナメなんだよ」
僕はゆっくりと目を開き、暗闇の中でそのポイントを鋭く睨みつけた。
狂いの源は特定した。あとは、こいつを元の形に叩き直すだけだ。
「カイル! シェリル! リゼ! 舌を噛むなよ!」
僕の叫び声は嵐に掻き消されただろうが、きっと彼らには届いているはずだ。
僕は腰から、重たいスレッジハンマーを引き抜いた。
足場は雨で滑り、機体は猛スピードで落下を続けている。失敗すれば、パネルに風穴が開き、完全に船が分解するかもしれない。
だが、不思議と恐怖はなかった。
僕の腕には、あの天才の完璧な計算と、星を読む少女の絶対的な信頼、そして何より、この不格好な鉄屑の心臓の鼓動が宿っているのだから。
「戻れぇぇっ!!」
僕は両足で装甲板を強く踏みしめ、全身の筋肉がちぎれるほどの力で、スレッジハンマーを高く振りかぶった。
お読みいただき、ありがとうございます!
視覚も聴覚も捨て、金属に直接頭を押し当てて「振動」だけで歪みを探し出す。
下町で何万という機械に触れてきた野良犬の感覚だけが成し得る、泥臭くも研ぎ澄まされた職人技ですね。
ついに狂いの源を特定しました。
次回、反撃のハンマーが振り下ろされます! 明日も絶対にお見逃しなく!




