第65話 切れたアースとスパナの調律
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推力を失い落下する機体。狂った和音を直すため、レオが嵐吹き荒れる船外へと身を投げ出します!
フワリ、と内臓が宙に浮くような強烈な無重力感が四人を襲った。
アルバトロス号は完全に推力と浮力を失い、猛烈な向かい風に押し戻されながら、真っ暗な暴風の底へ向かって落下を始めていた。
「うわぁぁっ!」
「落ちる! 推力が完全に抜けたぞ!!」
リゼの悲鳴とカイルの絶叫が、濁った不協和音と雷鳴の轟音に掻き消されそうになる。
「カイル! 操縦桿を代われ!!」
僕はシートベルトを乱暴に外し、無重力状態の船内で壁を蹴って立ち上がった。
「機首だけは絶対に下げるな! 風の抵抗で少しでも落下速度を殺すんだ!」
「レオ!? 何をする気だ!」
操縦席に飛び込んできたカイルが、僕の腕を掴んだ。
「決まってんだろ! 外に出てアースを繋ぎ直し、歪んだパネルを物理で叩き直す!」
「正気か!? この雷の嵐の中だぞ! 一歩間違えればお前自身が避雷針になって黒焦げだ!」
「俺たちがここに来るまでに捨ててきたもんの重さに比べりゃ、雷の一つや二つ、なんてことねえよ!」
僕は工具箱をひっくり返し、予備の太い銅線ワイヤーと、分厚い絶縁用のゴムシートを引っ張り出した。
かつて『雷鳴の巣』を突破した時に使ったゴムシートの残りだ。それを両腕と両脚、さらに胴体に何重にもきつく巻き付け、革のベルトで縛り上げて即席の『絶縁アーマー』を作る。さらに、太い命綱のロープを自分の腰と船内のメインフレームにガッチリと結びつけた。
「シェリル!」
僕は、恐怖で顔をこわばらせているシェリルの両肩を掴んだ。
「あの『雷鳴の巣』を抜けた時、お前は雷雲の電気が溜まる場所を見分けてくれた。今もできるか!?」
シェリルは息を呑み、そして強く首を横に振った。
「無理よ! 私たちの船が電気の道を作っちゃってるから、雲じゃなくて空間そのものから雷が引き寄せられてるの! どこから落ちてくるか、予測できない!」
「場所じゃない! 雷と雷の『間隔』を読め!」
僕は食い下がる。
「自然の雷だろうが、俺たちの船が引き寄せてようが、大気に電気が限界まで溜まってから放電するまでのサイクルが必ずあるはずだ! 次の雷が落ちるまでの『安全な秒数』を教えろ!」
シェリルはハッとして、すぐにアストロラーベを抱えて窓の外の暗闇を睨みつけた。
紫色の閃光が走り、轟音が響く。その後の大気の揺らぎ、見えない光の粒子の集まり方を、彼女の特異な目が必死に追いかける。
「……空間の静電気がチャージされて、次に放電するまで……不規則だけど、最低でも『十二秒』の隙間があるわ!」
「上等だ! お前が合図した瞬間から、俺に十二秒くれ!」
「レオ……死なないでよ! 絶対よ!」
リゼが、涙目で僕のコートの裾を力強く掴んだ。
「ああ。必ず戻ってくる」
僕はスレッジハンマーとスパナを腰にねじ込み、予備のワイヤーを肩に巻きつけて、右舷のハッチのハンドルに手をかけた。
「――今よ!!」
シェリルの鋭い絶叫。
僕はハッチを力任せに蹴り開けた。
ドバァァァァァッ!!
途端に、息をするのも不可能なほどの暴風雨が船内に吹き込んできた。
僕は命綱を掴み、雨でズルズルに滑るジュラルミン装甲の上へと身体を投げ出した。
「一、二、三……!」
シェリルのカウントダウンが、伝声管を通して微かに聞こえる。
機体は激しく揺さぶられながら落下を続けている。僕は這いつくばるようにして、ドロドロに溶け落ちた右舷の放電索の基部へと向かった。
横殴りの風に煽られ、身体が宙に浮きかける。命綱がギリッと食い込み、肋骨が折れそうな痛みが走った。
「くそっ、風圧がメチャクチャだ!」
何とか基部に辿り着き、肩のワイヤーを解いて巻きつけようとするが、強烈な風のせいでワイヤーが鞭のように暴れ狂い、うまく結べない。
「七、八……レオ! 急いで!」
「わかってる!!」
僕は絶縁ゴムでぐるぐる巻きになった不器用な手でスパナを握り、基部の焦げついたボルトを強引に緩めた。そこにワイヤーの先端の金具をねじ込み、渾身の力でボルトを締め直す。
ガキンッ! と金属が食い込む確かな手応え。
「十一! 雷が来るわ!!」
「逃げろおおおっ!!」
僕は結びつけたワイヤーの太い束を、虚空に向かって思い切り蹴り落とした。
重たい銅線のワイヤーが、暗闇の下方へと長く垂れ下がる。
直後。
ピシャァァァァァンッ!!!!!
視界が完全に白く反転し、全身の骨が砕けるような轟音が鳴り響いた。
アルバトロス号の右舷に引き寄せられた紫色の稲妻が、装甲を伝って僕のすぐ横を走り抜ける。だが、その強烈な電流は僕の身体ではなく、より電気抵抗の少ない真新しいワイヤーを通って、一気に嵐の底へと放電されていった。
「……ああっ、はぁっ、はぁっ!」
鼓膜から血が流れ、全身の産毛が焦げるようなオゾンの匂いが鼻を突く。
だが、僕は感電していなかった。即席のアースは見事に機能し、機体内への電流の逆流を防ぎ止めたのだ。
ハッチの奥から、カイルの「計器の火花が収まったぞ!」という声が聞こえた。
「よし……これで雷はやり過ごせる!」
僕は荒い息を吐きながら、装甲にへばりついたまま顔を上げた。
だが、安堵している暇はない。
機体は相変わらず激しい落下を続けている。気嚢の噴射口からは微弱な光しか漏れておらず、推力は戻っていない。
原因は、狂った和音。
雷の物理的な衝撃波でひしゃげた、右舷ジュラルミンパネルの歪みだ。
「パネルを叩き直す! 元の音に戻せば、石が光るはずだ!」
僕は腰からスレッジハンマーを引き抜き、横滑りする機体の側面をさらに這って進んだ。
右舷の装甲板のどこかが歪んでいるはずだ。目で見ても、強烈な雨と暗闇で判別がつかない。ならば、音で狂いを見つけるしかない。
「どこだ……! どこが不協和音を出してやがる!」
僕はパネルに耳を押し当てようとした。
だが――。
ゴロゴロゴロ……!! ドシャアァァン!!
絶え間なく続く雷鳴。耳を劈く暴風雨の音。そして、限界まで回転を続けるトラクターエンジンの爆音。
ここは、嵐の壁の内部という大自然の暴力のド真ん中だ。
「……ダメだ、何も聞こえねえ……!」
僕は絶望的な声を漏らした。
いくら僕の耳が、ミリ単位の金属の摩擦音を聴き分ける整備士のものだとしても、この天地がひっくり返るような圧倒的な轟音の中では、パネル一枚の微妙な音のズレなど、完全に掻き消されてしまう。
音の高さが分からない。どこをどう叩けば、元の和音に戻るのかが全く判断できない。
その間にも、アルバトロス号は容赦なく黒雲の底へ向かって落ちていく。
狂った和音と嵐の轟音の中で、僕はスレッジハンマーを握りしめたまま、漆黒の絶望に直面していた。
読んでいただき、ありがとうございます!
シェリルのカウントダウンに命を預け、雷と雷のわずかな隙間でアースを繋ぎ直すレオ。
しかし、本当の困難はここからでした。
鼓膜を破るような轟音の中で、どうやって数ミリのパネルの歪み(音の狂い)を見つけ出すのか?
明日、整備士レオの「神業」が炸裂します!




