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空はまだ設計途中だった ―浮遊石と未完成の飛行船―  作者: 空木 零
第3部 地図のない海と嵐の壁
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第63話 嵐の壁へ

今日もページを開いてくださり、ありがとうございます。

常識をねじ伏せる圧倒的な力を見せつけた野良犬たち。

かつて希望を失った天欠島の人々から、彼らはある想いを託されます。

すさまじい推力テストを終え、エンジンを止めたアルバトロス号からは、高熱の蒸気が白い吐息のように立ち昇っていた。


静寂が戻った天欠島(アマカケジマ)の岩場で、僕が操縦席から地面に飛び降りると、遠巻きに見ていた村人たちが、ざわめきながらゆっくりと近づいてきた。

彼らの目つきは、数週間前とは全く違っていた。

僕たちを「狂人」や「死にたがり」と蔑んでいた冷たい視線は消え去り、その瞳の奥には、熱に浮かされたような強烈な光が灯っていた。


「……すげえ。あんな重たい金属の塊が、風もないのにあんな力で空を掴もうとするなんて……」


最初に僕たちに食ってかかった若い男が、信じられないものを見るように、アルバトロス号の巨大な気嚢を見上げて呟いた。

村の子供たちが、恐る恐る機体に近づき、まだ熱を持っているジュラルミンの装甲にそっと触れて、パッと顔を輝かせる。


「……恐れ入ったよ、『外』の野良犬たち」

人垣を掻き分けて、長老のバルカがゆっくりと歩み出てきた。


彼は杖を突き、深く刻まれた皺の奥にある瞳で、僕たち四人を静かに見渡した。


「我々は、お前たちのやり方を『野蛮で不格好だ』と嘲笑っていた。……だが、それは違った。お前たちのその泥臭い執念が、この島でただ朽ちていくだけだった先祖の遺物に、再び命を吹き込んだのだな」

「長老さん……」

「カッシーニという天文学者が言っていた『内の技術と、外の活力が交わる』という意味が、今ならわかる気がするよ」


バルカが背後の村人たちに顎でしゃくると、若い男や女たちが、木製の樽や陶器の壺をいくつも抱えて進み出てきた。


「これは……?」

リゼが戸惑ったように声を上げる。


「村で精製していた岩生の植物油と、湧き水だ。備蓄のすべてをお前たちに譲ろう」

「す、すべてって……! ダメよ、こんなにもらったら、あんたたちが生きていけなくなるじゃない!」


リゼが慌てて手を振って断ろうとするが、村の女の一人が、優しくリゼの手を握った。


「いいのよ。どうせこの島の土は死にかけていて、私たちは少しずつ飢えていくだけだもの」

彼女は、泥と油で汚れたリゼの頬の煤を指でそっと拭いながら、どこか悲しげに、けれど晴れやかな笑顔を見せた。


「……私の兄も、十年前にあの壁に挑んで死んだわ。バルカ様の息子さんたちもそう。若い者たちが何度か船を組み直して飛んだけれど……みんな、あの嵐に木の葉のように引き裂かれて、海の底へ落ちていった」


その言葉に、僕たちは息を呑んだ。

彼らはただ「先祖からの言いつけ」で空を諦めたわけではなかった。希望を抱いて飛び立った自分たちの家族が、無惨に墜落していく姿を何度も目の当たりにしてきたのだ。


「だから私たちは、もう空を見上げるのが怖かったの。希望を持つことが、一番残酷だったから……」

女の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。


「でも……あなたたちは違う。私たちの『静かな船』にはなかったその荒々しい力で、あの嵐を真っ向からねじ伏せようとしている。だったら……私たちの代わりに、もう一度あの空を飛んでほしいのよ。兄たちの夢の続きを、見せてほしいの」


「みんな……っ」


リゼの大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。

損得勘定に誰よりも厳しい彼女が、血を吐くような悲劇を乗り越えた純粋な「祈り」としての供物に、声を詰まらせて泣き崩れた。


「ありがとう……っ。絶対に、無駄にしない。絶対に、残さず使い切ってやるんだから……っ!」

僕たちは、村人たちからもらった物資を、次々とアルバトロス号へ積み込んでいった。


しかし、重い木樽を運ぶ僕たちの足取りはひどく覚束なく、カイルは包帯から血を滲ませ、シェリルも時折ふらついて岩肌に手をついていた。無風地帯の過酷なサバイバルと、その後の不眠不休のチューニング作業。四人の肉体は、誰の目から見てもとうに限界を超えていた。


「おい、お前ら。せめて数日は、この島で体を休めていけ」

荷積みを終えようとしていた僕に、バルカが心配そうに声をかけた。


「船の準備が整ったのはわかる。だが、お前たちのそのボロボロの体で、あの荒れ狂う嵐の壁を越えられるわけがない。傷が塞がり、体力が戻るまでここに留まるんだ」


村人たちも口々に「そうだ、休んでいけ」「温かいスープを作ってある」と、僕たちを引き留めようとしてくれた。

その温かい気遣いは、下町で野良犬のように生きてきた僕たちの胸に深く染み渡った。


だが。


「……恩に着るぜ、バルカさん。あんたらの優しさは一生忘れない」

僕は短く頭を下げ、そして、東の空を指差した。


雷鳴が轟く漆黒の絶壁『嵐の壁』。伝説の都へと続く、最後の扉がそこにある。


「でも、俺たちの目の前には、ずっと追いかけてきたゴールが見えてるんだ。……それに、あんたらの家族が空の底でずっと待ってる。これ以上待ってたら、待ちきれなくて心臓が破裂しちまうよ」

僕がニッと笑って仲間たちを振り返ると、彼らも同じ顔をしていた。


カイルは新しい帳簿と計算尺を片手に不敵に笑い、リゼは涙を拭って力強く頷き、シェリルはアストロラーベを胸に抱きしめて真っ直ぐにあの黒雲の壁を見据えている。

満身創痍の体などどうでもいい。彼らの瞳には、狂気にも似た純粋な熱だけが燃え盛っていた。

それは、打算も恐怖もすべて捨て去った、ただひたすらに空を焦がれる者の「魂」の輝きだった。


バルカは、その揺るぎない四人の瞳を見て、静かに息を吐き出した。

「……どうやら、止めても無駄なようだな」


長老の枯れた瞳に、不意に光るものが浮かんだ。彼は呆れたように、けれどどこか嬉しそうに目を細め、一歩引いて道を開けた。


「勝手にするがいい、野良犬たち。お前たちのその眩しい魂に……かつて散っていった我々の息子たちの夢も、一緒に乗せて行ってくれ」

「ああ、任せとけ!」


僕はポンと機体のフレームを叩き、操縦席へと飛び乗った。

限界まで身軽にしていた機体に、再び「命の重さ」が乗る。だが、今のこの奇跡のエンジンなら、これくらいの重さはハンデにすらならない。


「さあ、出発よ! これだけもらったんだから、もし途中で落ちたりしたら、私が化けて出てあんたを一生呪ってやるわよ、レオ!」

リゼが後部座席に乗り込み、いつもの調子で怒鳴りつける。


「僕の計算を信じろ、リゼ。今のエンジンが生み出す推力なら、あの壁の乱気流すら真っ向から切り裂いて進めるはずだ。……論理も物理も超えた力だが、今の僕たちなら何でもできる気がする」

カイルも自分の席につき、シートベルトを固く締めた。


「風向き良し、コンパスの乱れも計算済みよ」

シェリルが助手席に座り、アストロラーベのダイヤルをカチリと合わせた。


「あの嵐の壁の乱気流のパターンを読んだわ。一番気流がぶつかり合って弱くなっている『目』の部分を狙って飛ぶの。私の星図が、必ずそこへ導くわ」

「上等だ」

僕はスロットルレバーを強く握りしめた。


「しっかり捕まってろよ。こいつはもう、ただの不格好な鉄屑じゃねえ。伝説の都の扉をこじ開ける、魔法の楽器だ!」

僕はスターターを力強く引いた。


キュルルルッ……フォォォォォォォン……!!


トラクターエンジンの爆音は完全に消え去り、代わりに船全体が巨大な音叉となったかのように、高く澄み切った一つの『和音』が天欠島に響き渡る。

ガラス管の中の浮遊石が、太陽よりも眩く青い閃光を放った。


「アンカー、解除!!」

ガキンッ! と岩肌からアンカーが外れた瞬間。


気嚢の前に設けたスリットから、空へ上がろうとする猛烈な空気の力が前方に向かって一気に噴き出された。


ズォォォォォォンッ!!!


逆の反動によって、アルバトロス号は弾き出されるように前方へと爆発的に引っ張られ、岩場を蹴り飛ばして虚空へと躍り出た。


「うおおおおっ!!」

あまりの加速力に、身体がシートに激しく押し付けられる。


窓の下では、バルカや村人たちが総出で空を見上げ、僕たちに向かって声の限りエールを送ってくれていた。

ふと見下ろすと、彼らの顔はどれも涙でぐしゃぐしゃになっていた。

かつて同じようにあの絶壁へ向かって飛び立ち、そして無惨に落ちていった息子や兄弟たちの姿。その悲惨な光景がトラウマとなり、彼らは百年もの間、希望を持つことを恐れ、閉ざされた岩山で細々と土に縋り付いて生きてきた。


だが今、彼らの目の前を飛んでいく船は、かつての弱々しい船ではない。

常識外れの力で岩を削り、凄まじい轟音と光を放ちながら空を掴む圧倒的なその姿は、彼らの心に深く刻み込まれていた「絶対に越えられない壁の恐怖」を粉々に打ち砕いていた。


「飛んだ……! 飛んでいくぞ……っ!」


最初に僕たちに食ってかかった若い男が、ボロボロと大粒の涙をこぼしながら、千切れるほど腕を振っている。

女たちはかつて失った家族の面影を僕たちに重ねるように両手を強く組んで祈りを捧げ、子供たちは飛び去る船影を追いかけるように、涙ながらに岩場の端まで駆け出していた。


「頼んだぞ……! 息子たちの無念を……空の果てを、お前たちのその目で見てきてくれ……!」

長老のバルカもまた、深い皺に熱い涙を伝わせながら、遠ざかる僕たちに向かって深々と、祈るように頭を下げていた。


彼らの姿が、あっという間に芥子粒のように小さくなっていく。

機首を真っ直ぐに東へと向ける。

眼前には、天と地を繋ぐ巨大な漆黒の絶壁『嵐の壁』が、すべての視界を覆い尽くすようにそびえ立っていた。

ゴロゴロゴロ……!! と、腹の底を揺さぶるような雷鳴が轟き、紫色の稲妻が分厚い黒雲の中で網の目のように明滅している。

かつて廃船島を出た時、この巨大な黒雲の塊を見た時の感情は「恐怖」と「焦燥」だった。


だが今は違う。

僕たちの胸の中にあるのは、未知への純粋な闘志と、村人たちの魂も乗せているという誇り、そして「絶対に越えられる」という揺るぎない確信だけだ。


「嵐の壁まで、距離二千! 乱気流の層に入るわ!」

シェリルの叫び声と共に、機体が激しい横風に煽られてガクンと揺れる。


「振り落とされるなよ! 強行突破だ!!」

僕は操縦桿を両手で握りしめ、澄み切った和音を響かせるキメラ・ドライブのスロットルを、さらに奥へと押し込んだ。


ドォォォォン!!


アルバトロス号は、荒れ狂う風の壁を文字通り「真っ二つに切り裂き」ながら、猛烈なスピードで突進していく。

稲妻が機体のすぐ横を走り抜け、雷鳴が鼓膜を激しく打ち据える。


「伝説の都へ!!」

「「「ぶち抜くぞ!!!」」」


四人の叫び声が一つに重なり、奇跡のエンジンが最高潮の光を放つ。

退路を断ち切り、すべてをかなぐり捨てた四人の野良犬たちは、ついに世界を隔てる最大の難関、絶対防壁『嵐の壁』の漆黒の闇の中へと、光の矢のように突入していった。

お読みいただき、ありがとうございます!

村人たちからの物資の提供、そして「夢の続きを見せてほしい」という切実な祈り。

打算も恐怖もすべて捨て去り、村人たちの魂も乗せて空へ弾き出されるアルバトロス号の姿は、まさに鳥肌モノです!

いよいよ、最後の難関『嵐の壁』の漆黒の闇へと突入しました。

明日、死の壁との直接対決が始まります!

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