第116話 迷いの峡谷、ただの道
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強烈な磁気嵐が吹き荒れる「迷いの峡谷」。
かつては岩肌スレスレを怯えながら進んだ暗黒の迷路ですが、今の彼らにはただの「障害物競走」です!
ラスト・ドロップの宴の翌日。
ザックたちやガラン親父の熱烈な見送りを受け、アルバトロス号は再び南へと機首を向けた。
船内には、昨夜の宴会で出された極上のエールと、豪快に焼かれた肉の脂の匂いが微かに残っている。
「……うう、頭が痛い。ガランのオッサンの勧める酒を断りきれなかったのが運の尽きだ……」
後部座席でカイルが額を押さえ、青白い顔でうめいている。
「だらしないわね。あんな美味しいお酒、タダで飲めるなんて最高じゃない。私は商売のツテもさらに広げられたし、最高の夜だったわ!」
リゼはご機嫌な様子で、手帳の売上予測を眺めながら鼻歌を歌っている。
助手席のシェリルは、真鍮のアストロラーベをピカピカに磨きながら、窓の外の景色を楽しそうに眺めていた。
アルバトロス号は特級浮遊石の圧倒的な反重力により、カーゴに莫大な荷物を満載しているにもかかわらず、極めて安定した巡航を続けている。
やがて、前方の視界から青空が消え、分厚い暗雲の壁が立ち塞がった。
雲海から天を衝くようにそびえ立つ、無数の黒い岩柱の群れ。その岩柱の周囲には紫色の放電が走り、空間そのものが磁場の歪みで不気味に揺らめいて見える。
「……見えてきたね。『迷いの峡谷』だ」
カイルが手帳を閉じ、丸眼鏡の奥の瞳を鋭くした。
「行きはここで、強烈な磁気嵐にコンパスを完全に狂わされて、岩肌スレスレの暗闇の中を死に物狂いで飛んだんだったな」
僕も真新しい浮根杉の操舵輪を握り直し、少しだけ顔をしかめた。
目視と風の感覚だけを頼りに、いつ岩壁に激突するか分からない恐怖に怯えながらすり抜けた、巨大な暗黒の迷路。
だが、今の僕たちは、あの時のような貧弱な装備じゃない。
「カイル、結界の波長を磁気ノイズの遮断に最適化しろ。シェリル、星の道は見えるか?」
「ええ、任せて!」
シェリルがアストロラーベをコンソールにセットする。
「昼間でも、暗雲の向こうにある星の光の屈折率を計算すれば、絶対に正確な方角が分かるわ。……磁場の歪みなんて関係ない。私たちが進むべきは、真っ直ぐ南よ!」
「了解だ! 突っ込むぞ!!」
僕はスロットルレバーを押し込み、アルバトロス号は猛スピードで暗雲の峡谷へとダイブした。
突入した瞬間、周囲の景色が昼から夜へと反転する。
バチバチッ! という鋭い音と共に、岩柱から放たれた強力な磁気ノイズの火花が船体に襲いかかった。
だが、そのすべては、船体を覆う蒼い『音叉の結界』の表面で弾け飛び、火の粉となって四方八方へ散っていく。
「磁気シールド、完璧に機能している! ノイズによる計器への干渉はゼロだ!」
カイルが計器板を見つめながら叫ぶ。
親父の形見のコンパスの針は、微かに震えてはいるものの、行きのようにデタラメに狂い回ることはなく、しっかりと南を指し示そうと踏みとどまっていた。
「レオ! 正面に巨大な岩柱! 右へ三十度、その奥の狭い隙間を抜けて!」
シェリルの鋭い指示が飛ぶ。
「おう!」
僕は操舵輪を滑らかに切った。
行きは、不規則な突風に煽られて船体が横滑りし、岩壁に激突しそうになる恐怖から、速度を極限まで落とさざるを得なかった。
だが、今は違う。
ゴォォォォッ! と横殴りの強烈な乱気流が船体に吹き付けるが、音叉の結界がその気圧変化を波紋のように滑らかに受け流し、機体はミリ単位たりともブレることはない。
風の抵抗を無力化し、機体が絶対に横滑りしないという「絶対の信頼」。それがあるからこそ、僕はスロットルを一切緩めることなく、岩柱と岩柱の狭い隙間へと、まるで糸を通すように猛スピードで突っ込んでいくことができる。
「すごい、すごい速さよ! 行きの三倍以上のスピード出てるんじゃない!?」
リゼが窓にへばりつき、恐ろしい速度で流れていく漆黒の岩肌を見ながら大興奮している。
「ああ! 大自然の迷路も、今の俺たちにとってはただの『景色』でしかねえ!」
操舵輪から伝わる、絶対にブレない確かな手応え。
恐怖は完全に消え去り、そこにあるのは、風と空間を完全に支配しているという圧倒的な全能感だけだった。
アルバトロス号は、暗黒の迷路を迷うことなく一直線に駆け抜けていく。シェリルの的確なナビゲートに従い、巨大な岩柱が迫れば、あえて減速せずにスレスレをかすめるように美しく旋回する。
それはもはや命懸けのサバイバルではなく、圧倒的なハイスペックを持った機体で障害物競走を全開で楽しんでいるような、極上のフライトだった。
「出口が見えたわ! このまま真っ直ぐ突き抜けて!」
シェリルがアストロラーベから顔を上げ、前方を指差した。
暗雲の切れ間から、眩い光が差し込んでいる。
「了解! 野良犬特急便、迷いの峡谷を突破するぜ!」
僕は機首をわずかに上げ、光の出口へと向かって最後の一伸びをかけた。
パァァァァッ……!
分厚い暗雲を突き破り、視界が一気に白と青の世界へと反転する。
荒れ狂っていた磁気嵐のノイズが嘘のように消え去り、澄み切った青空と、眼下に広がる純白の雲海がどこまでも広がっていた。
「……ふふっ。さーて、そろそろお仕事の時間ね」
リゼが窓から顔を離し、手元の計算尺を弾きながら、肉食獣のようなえげつない笑みを浮かべた。
「現在のアイアンポートの正規市場での、最高級塩の取引価格がこれくらいだから……私たちの『天空の塩』なら、その五倍……いや、十倍の値段から交渉をスタートできるわね」
「相変わらずだな、リゼ。だが、入港許可証もない違法船がまともに取引できると思っているのか?」
カイルが呆れたように言うと、リゼはふんぞり返って鼻を鳴らした。
「馬鹿ね。今の私たちが『まともな取引』なんかするわけないでしょ? 行きに燃料代を吹っかけて、私たちをスラムに追いやったあのギルドの役人どもに、きっちり利子をつけてお返ししてあげるのよ」
「違いねえ」僕は笑いながら、浮根杉の操舵輪をポンと叩いた。「あのお上品なエリートどもが、この無敵艦とアエテリアの宝を見たら、一体どんな顔をするだろうな」
「彼らのプライドも、既存の市場のルールも、すべてひっくり返るだろうね。……少し、同情するよ」
カイルも手帳を閉じ、不敵な笑みを浮かべて眼鏡を押し上げた。
「さあ、シェリル。このまま南へ真っ直ぐだろ?」
「ええ! もうすぐ、あの巨大な岩峰が見えてくるはずよ!」
僕たちは顔を見合わせた。
南の空の彼方。雲海を貫くようにそびえ立つ、巨大な天然の岩峰と、そこに寄生するように増築された無数の鉄骨の群れ。
飛行ギルドが絶対の権力を握る、分断された空の象徴――尖塔都市『アイアンポート』だ。
かつては自分たちを縛り付け、見下していた巨大な権力の壁。
だが、今の僕たちには、それを真正面から叩き壊せるだけの圧倒的な力と誇りがある。
「さあ、凱旋フライトのメインイベントだ! 野良犬がどれだけ空を広げてきたか、あいつらに思い知らせてやろうぜ!」
「「「おう!!」」」
アルバトロス号は銀色の翼を太陽に輝かせ、キメラ・ドライブの力強い咆哮を響かせながら、巨大な鉄の街が待ち受ける空域へと、真っ直ぐに突き進んでいった。
読んでいただき、本当にありがとうございます!
磁気ノイズを完全に弾き返す結界と、絶対に横滑りしない無敵の安定感!
シェリルのナビゲートで岩柱の隙間を猛スピードで駆け抜ける姿は、まさに無双状態ですね。
「行きに吹っかけられた燃料代、きっちり利子をつけてお返ししてあげるわ」というリゼの頼もしい(えげつない)宣言と共に、ついに権力の象徴「アイアンポート」の姿が見えてきました!
明日、ギルドの連中の度肝を抜きます! 絶対にお見逃しなく!




