第110話 嵐を切り裂く翼
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本日から【第5部 帰還と、空の時代の幕開け】が開幕します!
無敵艦となったアルバトロス号の最初の関門は、あの「黒い嵐の壁」。
行きは死に物狂いだったあの絶壁を、圧倒的な力でぶち抜きます!
空は、目の前にそびえ立つ黒い嵐の壁を除けば、どこまでも澄み切った青色を湛えていた。
かつて死に物狂いで越えてきたあの閉ざされた国、アエテリアの島影は、僕たちの後ろで小さく、しかし確かな温もりを宿して雲海に沈んでいった。
僕の手元にあるのは、セトが精魂込めて削り上げてくれた『浮根杉の操舵輪』だ。鉄のように硬く、羽のように軽いその感触は、握るだけで掌に不思議な信頼感が伝わってくる。
船体は古代の神鋼で打ち直され、キメラ・ドライブの鼓動も以前とは比べ物にならないほど力強く、そして穏やかだった。僕たちのアルバトロス号は、今やただの「空飛ぶ鉄屑」ではない。この広大な空を切り拓くための、正真正銘の「無敵艦」へと生まれ変わったのだ。
「……感傷に浸ってる場合じゃないわね。私たちの二つ目の故郷、本当に素晴らしい場所だったわ」
助手席のリゼがふと寂しそうに呟き、すぐに手元の分厚い帳簿を開いて商人の顔つきに戻った。
「でも、ここで立ち止まってたらアエテリアの王様も呆れるわよ! あの国を救った私たちの実績と、積み込んだこの『天空の塩』と『神鋼』が、外の世界でどれだけの革命を起こすか……考えただけで笑いが止まらないわ!」
「やれやれ、相変わらずえげつないマネージャーだ」
僕は苦笑しながらスロットルを微調整した。琥珀の液状結晶がもたらす暴力的なエネルギーが、船を羽毛のように軽く押し上げている。これだけの規格外の重量を積んでいるというのに、船体が重みを微塵も感じない。アエテリアの技術が、僕たちの野蛮なエンジンを完全に掌握してくれているのだ。
だが、その圧倒的な全能感は、前方の視界が完全に開けた瞬間、一気に冷や水を浴びせられたように凍りついた。
「……見えてきたわね」
助手席で新しいアストロラーベを抱きしめたシェリルが、息を呑んで呟く。
水平線の端から端まで、そして天の頂から雲海の底までを完全に塞ぐようにそびえ立つ、漆黒の絶壁。分厚い黒雲の内部では紫色の稲妻が絶え間なく明滅し、遠く離れたこの距離でも、腹の底を揺さぶるような重低音の雷鳴が地鳴りのように響いてくる。
伝説の都と外の世界を隔てる絶対防壁、『黒い嵐の壁』だ。
「相変わらず、趣味の悪い景色だ……」
カイルが眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、計器盤の針を鋭く睨みつけた。その声は、微かに震えている。
「行きは、エンジンが死んだ状態でここに突っ込んだんだよな。……本当によく生きてたもんだ」
僕も、操舵輪を握る手に思わず力が入る。かつて僕たちは、無風地帯の地獄のサバイバルで燃料も水も使い果たし、ただの巨大なグライダーとしてあの嵐に飲み込まれた。骨が砕けるような激突の痛みと、冷たい死の感触が、嵐の姿を見ただけでフラッシュバックしてくる。
「……レオ、手が冷たいよ」
シェリルが、操舵輪を握る僕の右手にそっと自分の手を重ねてくれた。
「大丈夫。今の私たちは、あの時のボロボロの野良犬じゃない。最高の翼と、最高の盾があるんだから」
「ああ、そうだな」
僕はシェリルの手の温もりに救われ、深く息を吐き出して前を向いた。
「ビビってんじゃないわよ、あんたたち! ここで落っこちて、私の大切な商品を水泡に帰すような真似をしたら、絶対に許さないんだからね!」
リゼが後部座席から身を乗り出し、バンバンと僕たちの肩を叩く。その言葉には、かつてのような追い詰められた切迫感はなく、確かな自信が漲っていた。
「へっ、分かってるよ。カイル! 結界の準備はどうだ!」
「理論上は完璧だ。首席調律師カシム殿が施してくれた『音叉』の周波数は、キメラ・ドライブの振動とミリ単位の狂いなく同調している。……だが、あの古代の魔法技術が、本当にこの荒れ狂う嵐の物理エネルギーを相殺できるのか、やってみるまでは分からない!」
カイルは緊張で額に汗を浮かべながら、コンソールに新設された特殊なスイッチに指をかけた。
「信じろよ、カイル! あんたの頭脳と、アエテリアの技術をな! シェリル、風の道は!」
「……読めるわ。あの真っ黒な壁の中に、一番気流が安定している突破口がある! 仰角十度、面舵いっぱいで突っ込んで!」
「よっしゃ、いくぜ!!」
僕はスロットルレバーを一番奥まで叩き込み、キメラ・ドライブの出力を最大まで跳ね上げた。
ドォォォォォン!!!
トラクターのエンジンブロックが爆発的な咆哮を上げ、排気管から青白い炎が噴き出す。琥珀の液状結晶がもたらす暴力的な振動が、ガラス円柱の中の浮遊石を激しく叩き起こした。
「カイル、結界起動!!」
「……頼むぞ、古代の奇跡!!」
カイルが祈るようにスイッチを強く弾いた。
キィィィィィン……!
エンジンの爆音に重なるように、極めて高く、澄み切った『音叉』の共鳴音が船体全体を駆け巡る。一瞬、何も起きないように見えた。
「あれ!? 何も出ないわよ!?」
リゼがパニックになって叫んだ、次の瞬間。
パァァァンッ……!
空間が歪むような微細な振動と共に、アルバトロス号を覆うように、複雑な幾何学的な魔法陣の模様を描く薄い蒼色のドーム状の光――『音叉の結界』が完全に展開された。それはまるで、船全体を巨大で弾力のあるシャボン玉が包み込んだような、神秘的で絶対的な防壁だった。
「展開完了! 結界の出力、最大値で安定!」
「突っ込むぞ!! 舌を噛むなよ!」
ズガアァァァァァァンッ!!
アルバトロス号は、猛烈なスピードで漆黒の嵐の壁へと突入した。
途端に、視界が完全に奪われる。窓の外は濃密な黒雲と、真横に叩きつけるような猛烈な暴風雨。行きに僕たちを死の淵まで追い詰めた、大自然の暴力の渦だ。
ピカァァァッ!!
目も眩むような紫色の閃光が弾け、船を完全に焼き尽くす軌道で、巨大な落雷が落ちてきた。
「うわあああっ!!」
リゼとシェリルが悲鳴を上げ、目を瞑る。
だが――バチィィィンッ!!
落雷が船体に届く寸前、蒼い光のドームが弾力のある水風船のように波打ち、その凄まじい雷撃を「プンッ」とあっけなく四方八方へ弾き飛ばしてしまった。
「なっ……!?」
「す、すごい……! 雷が、船に触れる前に全部散っていくわ!」
目を開けたシェリルが、信じられないものを見るように叫んだ。
「雷だけじゃない! 強烈な乱気流の突風も、結界の反発力で完全に相殺されている!」
カイルが計器盤を見つめ、歓喜に震える声を上げた。
「船体の揺れがほとんどない! 装甲への物理的なダメージは『ゼロ』だ!」
かつてはジュラルミンのフレームがミシミシと悲鳴を上げ、気嚢を支えるワイヤーが千切れるほどに揺さぶられた死の領域。だが今のアルバトロス号は、古代の神鋼による無敵の装甲と、調律された結界の絶対的な守護によって、荒れ狂う嵐を無抵抗のまま正面から『切り裂いて』いく。
ヒューゥゥゥン……。
窓の外では恐ろしい暴風雨が吹き荒れているというのに、結界の中の船内は、まるで穏やかな湖面を滑っているかのように静かで、コーヒーの入ったマグカップすら微動だにしていなかった。
「ハハハハッ! なんだこれ、最高じゃねえか!!」
僕は操舵輪から伝わる、ブレのない確かな手応えに腹の底から笑い声を上げた。
「これなら向かい風だろうが雷だろうが、ただの景色と同じだ! 嵐の怪物も、今の俺たちには触れることすらできねえ!」
琥珀の液状結晶を燃やすキメラ・ドライブの推力は、分厚い雲の壁を紙のように貫いていく。
数分間。
まるで永遠にも感じられた行きとは違い、あっという間の出来事だった。
パァァァァッ……!
突然、窓を叩きつけていた暴雨と黒雲が嘘のように消え去り、強烈な太陽の光が船内に差し込んだ。
視界が一気に開ける。
「……抜けた!」
シェリルがアストロラーベを掲げ、歓喜の声を上げた。
背後を振り返れば、あの恐ろしい黒雲の絶壁が、もはや遠ざかるただの黒い壁として残されている。そして前方に広がっていたのは、どこまでも続く真っ青な空と、眼下に広がる純白の雲海。僕たちが目指し、そして帰るべき、広大な外の世界の空だった。
「やった……っ! 本当に、あの嵐を真正面からぶち抜いちゃったわ!!」
リゼが座席から立ち上がり、窓に張り付いて大はしゃぎする。
「ああ。アエテリアの純粋な技術と、僕たちの野蛮なエンジンの融合。……歴史上、誰も成し遂げられなかった完全な嵐の壁の突破だ。僕たちの船は、名実ともに『無敵艦』になったんだ」
カイルも丸眼鏡を押し上げ、誇らしげに微笑んだ。
行きは死に物狂いで、ボロボロになりながら這いつくばって越えた壁。それを、今度は圧倒的な力でねじ伏せて帰ってきたのだ。僕たちの胸には、強烈なカタルシスと、確かな成長の証が熱く燃え上がっていた。
「さあ、シェリル。王様から託された『あの海図』の出番だ。俺たちの帰る道を教えてくれ」
僕が言うと、シェリルは深く頷き、革の筒からアエテリアの先人たちが守り抜いた巨大な海図を取り出し、コンソールの上に広げた。アストロラーベの光が、海図の複雑な線と記号の上にピタリと重なる。
「……すごい。この海図と私たちのアストロラーベがあれば、本当に世界中のどこへだって行けちゃうわ」
シェリルは感動で震える指で、海図の一点を指差した。
「現在位置、確認。……嵐の壁のすぐ手前に、かつて私たちが墜落した『天欠島』があるはずよ」
「天欠島の連中か。俺たちが無事に帰ってきたら、腰を抜かすだろうな」
僕が笑うと、カイルが頷いた。
「ああ。彼らに、アエテリアが蘇ったこと、そして音叉の技術を使えば嵐は越えられると教えてあげよう。彼らが百年抱えていた『空への絶望』を、僕たちで終わらせるんだ」
「そのあとは、ラスト・ドロップのザックたちに顔を見せて……そして、アイアンポートのギルドの連中の度肝を抜いてやるのよ!」
リゼがえげつない商人の笑みを浮かべて、拳を強く握りしめた。
「そして最後は……俺たちの、帰るべき場所だ」
僕は親父の形見であるゴーグルを額に上げ、はるか彼方の地平線を見据えた。
「了解だ! 野良犬特急便、凱旋フライトの始まりだぜ!」
僕は浮根杉の操舵輪を切り、琥珀色の瞳を輝かせてスロットルを開けた。
無敵の翼を手に入れた僕たちの、分断された世界を繋ぐための帰還の旅が、今、圧倒的な爽快感と共に幕を開けたのだ。
第5部も読みに来てくださり、本当にありがとうございます!
「結界の絶対防御」×「マイナス質量の圧倒的推力」。
行きはボロボロになって這いつくばるように越えた嵐の壁を、コーヒーのマグカップすら揺らさずに真正面から切り裂いていく爽快感! たまりませんね!
野良犬たちの痛快な凱旋フライトが幕を開けました。
次回、あの「天欠島」に立ち寄ります。明日も夜にお待ちしています!




