第109話 別れの朝
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ついに第4部「天水都『アエテリア』と野良犬の交易」の最終話です。
数々の絶望をひっくり返し、国を救った野良犬⇒英雄たちが、最高の笑顔と涙で見送られます。いざ、新しい空へ!
冷たく澄んだ夜明けの空気が、昇り始めた朝陽によって少しずつ温められていく。アエテリアの空を覆う雲海が、淡い黄金色から燃えるような茜色へと壮大なグラデーションを描き出す頃、僕たちはアルバトロス号のタラップを降り、最下層の砂浜へと足を踏み入れた。
そこで僕たちを待っていたのは、割れんばかりの拍手と、入り江の崖を揺るがすほどの地鳴りのような大歓声だった。
「レオ! カイル! お前らの造ったあのピカピカのプラント、絶対に俺たちの手で守って、動かし続けていくからな!」
「リゼ! 今度来る時は、外の世界で一番可愛い、ヒラヒラのドレスを頼むわよ! 約束だからね!」
「シェリルちゃん、星の物語、絶対に忘れない! 次はもっとたくさんの国の話を、また聞かせてね!」
最下層の入り江の砂浜だけではない。崖の上、停泊している小舟の上、果ては浮根杉の枝の上にまで、数え切れないほどの群衆が溢れ返り、僕たちに向かってちぎれんばかりに両手を振っている。
かつて僕たちがこの国に不時着した日、彼らは他者との関わりを極度に恐れ、僕たち外界の人間が漂わせる鉄と油の匂いを「穢れ」として忌み嫌い、遠ざけていた。誰もが虚ろな目をし、ただ静かに国が枯渇し、滅びていくのを待つだけだったのだ。
しかし今、彼らの瞳にあの時の暗い影は微塵もない。そこには、僕たちが去ってしまうことへの隠しきれない別れの寂しさと、それを遥かに凌駕するほどの強く熱い「未来への活力」が満ち溢れていた。
「……本当に、行っちまうんだな」
群衆の最前列から進み出たセトが、少しだけ鼻をすするような仕草を見せて笑った。彼のゴツゴツとした手には、昨日まで僕と共に神鋼を打ち据えていた名残の煤が、まだ薄っすらと残っている。
「ああ。この船も、お前たちの国も、これ以上ないくらい完璧に仕上がったからな」
僕が言うと、セトは分厚い胸板をドンと力強く叩き、職人としての誇りに満ちた瞳で僕を真っ直ぐに見据えた。
「お前たちが残してくれた技術と、諦めない熱い魂は、俺たちアエテリアの船大工が絶対に受け継いでみせる! 次にここへ来る時までには、お前のその無敵艦に負けねぇような、とびきりすげぇ飛空艇を俺たちの手で造り上げて、あの雲海を突き抜けて大空まで迎えに行ってやるからな!」
「へっ、大きく出たな。楽しみにしてるぜ。せいぜいノミの腕を磨いて、良い木材を確保しておきな」
僕たちは言葉の代わりに、再び、職人としての固い握手を交わした。セトの掌から伝わる力強い熱が、僕の胸を熱く焦がした。
「レオ殿、カイル殿。それにリゼ殿も、シェリル殿も」
続いて群衆を掻き分けて進み出たのは、バウワ村長と、王の使者であるルシアン、そして首席調律師のカシムだった。
「あなた方がこの国にもたらしてくれたものは、乾いた喉を潤す真水や、食事を豊かにする天空の塩だけではありません。我々が数百年の間にすっかり忘れ去っていた、この胸を焦がす熱い『生きる意志』そのものです。……我々はもう二度と、掟に縛られて死を待つような真似はしません。あなた方が与えてくれたこの命を、未来永劫、誇りを持って次の世代へと繋いでいきます」
バウワ村長が深い皺の刻まれた顔を涙で濡らしながら深く頭を下げると、ルシアンも胸に手を当てて穏やかで誇り高い微笑みを浮かべた。
「あなた方が残した軌跡は、我々アエテリアの永遠の道標です。我々上層の人間も、もう神殿の奥底に籠って無意味な見栄を張ることはありません。上層も下層も手を取り合い、この国をさらに豊かにし、いつか外界の国々と堂々と肩を並べられる交易国となれるよう、すべてを尽くしてみせましょう」
「うむ。閉ざされた星の導きにただ縋るだけではなく、自らの手で未来を掴み取る強さと、汗を流すことの尊さを教えてもらった」
カシムが白髭を春風に揺らし、深く深く頭を下げた。
「欲を持つことの素晴らしさを知ったからには、我らも自らの価値を存分に売り込んでやろうではないか。外の世界の優秀な商人よ、次に会う時を楽しみにしておくが良いぞ」
「ふふっ、期待してるわよ。次に私たちが来る時までに、極上の特産品を山のように用意しておきなさい。外の世界の商人たちに買い叩かれないように、しっかり相場の勉強と品質管理の徹底をしておくことね」
リゼが商人としての不敵なウインクを向けると、ルシアンたちは「お手柔らかにお願いしますよ」と苦笑し、肩を揺らして笑い合った。
「ガハハハッ! 英雄たちよ、俺の筋肉が泣いてるぜ!」
ガラン兵長が、いつものように立派な胸筋を張って進み出た。彼は泥だらけの太い腕で目元を乱暴に拭い、太陽のように明るく屈託のない笑顔を見せた。
「あなた方から貰った生きる力で、俺の筋肉はさらに強靭になった! この美しい国は、俺たち近衛兵が絶対に守り抜く! 外の荒波に揉まれて腹が減ったり、疲れ果てたりしたら、いつでもこの島に帰ってこい! また一番でかくて脂の乗った極上の魚を、特大の焚き火で焼いて待ってるからな!」
「そして……」
ルシアンの声と共に群衆がサッと左右に分かれ、その奥から、一本の杖をついたアルディス王が静かな、しかし確かな足取りで歩み寄ってきた。
王の顔には、かつて王座で死を待っていた時のような重く暗い影はなく、一人の人間としての穏やかで、そして希望に満ちた力強い光が宿っていた。
「外の世界の、誇り高く逞しき旅人たちよ」
王は僕たち四人を順番にゆっくりと見渡し、慈愛に満ちた瞳で深く頷いた。
「君たちは、我々が自ら作り上げたこの美しき鳥籠を打ち砕き、恐れを払い、我々を真の未来へと導いてくれた。君たちこそが、アエテリアの歴史に永遠に語り継がれる正真正銘の英雄だ。どうか我々の『希望』と、先人たちの想いを乗せて、自由に大空を駆け巡ってくれ」
「英雄なんて、俺たちにはもったいない柄じゃありませんよ、陛下」
僕は照れくさそうに笑い、しかし真っ直ぐに、王の威厳ある目を見つめ返した。
「俺たちはただの油まみれの職人で、ただの欲深い商人です。……でも、あんたたちの国と関われて、一緒に泥だらけになって汗を流せて、最高に誇らしかったぜ」
「……ありがとう。君たちの旅路に、大いなる星の導きがあらんことを」
王の言葉を合図に、再び群衆から、空を震わせるほどの凄まじい歓声が沸き起こった。
「いつでも帰ってこいよー!」
「ずっと、ずっと友達だからねー!!」
「ありがとう、アルバトロス号!!」
僕たちは大きく手を振り返し、胸の奥から湧き上がる熱く込み上げる想いを抱きしめながら、アルバトロス号のタラップを駆け上がった。
全員が甲板に揃い、長年の旅で身についた完璧な連携で、自分の配置につく。
リゼが帆のロープを力強く握り締め、帆の張りを絶妙に調整する。
シェリルが胸に抱いたアストロラーベを起動し、複雑に重なり合う幾何学のリングを回しながら、風の向きと気流のわずかな変化を的確に読む。
カイルが機関部の計器パネルの前に立ち、各種メーターの針の動きを眼鏡の奥の鋭い瞳で一つ一つ入念に確認した。
僕は、セトが精魂込めて削り上げてくれた、琥珀色に輝く浮根杉の真新しい操舵輪を強く握りしめた。
大鷲の彫刻が施されたそのグリップは、指先にピタリと吸い付くような完璧な手触りだった。それは、ただの部品ではなく、アエテリアという国そのもの、そしてセトたち船大工の魂が、僕たちの船と一緒にこの先もずっと共にいてくれるという、絶対的な安心感を与えてくれた。
「各部、異常なし! 結界の同調も完璧だ! いつでもいけるぞ、レオ!」
カイルの頼もしく力強い声が飛ぶ。
「よっしゃ! それじゃあ……俺たちの新しい心臓の鼓動を、この国中に響かせてやろうぜ!」
僕は大きく息を吸い込み、機関部の始動レバーを一番奥まで一気に押し込んだ。
ドゥン……!!
その瞬間、アルバトロス号の奥底から、これまでに聞いたこともないような重厚で、大地を揺るがすような力強い鼓動が響き渡った。
プラントで完璧に精製された「琥珀の液状結晶」が、再設計されたインジェクターから、古代の神鋼で打ち直された強靭なシリンダー内へと高圧で噴射される。限界まで濃縮された純粋なエネルギーの爆発を、自己修復機能を持つ装甲が一切の歪みも熱の逃げも許さずに完全に受け止め、それをかつてないほどの圧倒的な推進力へと変換していく。
キィィィィィン……!
同時に、船底に組み込まれたアエテリア最深部の「特級浮遊石」が凄まじい蒼光を放ち、周囲の空間を歪ませるほどの反重力場を形成して、船体全体を重力の楔から完全に解放した。
巨大なカーゴスペースに莫大な積荷を満載しているにもかかわらず、アルバトロス号は微かな心地よい振動とともに、まるで一枚の羽のようにフワリと入り江の水面から浮き上がった。
「すげぇ……! こんなに積んでるのに、まるで重さを感じねぇ。羽みたいに軽いぞ!」
僕は浮根杉の操舵輪をグッと切り、スロットルレバーを倒してエンジン出力をさらに引き上げた。
ズガアァァァァァァンッ!!
新生キメラ・ドライブの凄まじい咆哮が入り江の崖に反響し、アルバトロス号は巨大な水しぶきを後方に跳ね上げながら、斜め上空に向かって猛烈な勢いで急加速した。その圧倒的な加速力に、背中がシートに強く押し付けられる。
「おおおおおおっ!!」
眼下の砂浜から、エンジンの巻き上げた凄まじい風圧と水しぶきに耐えながら、それでも力の限り両手を振っている人々の姿が見えた。
アルディス王が杖を掲げ、バウワ村長が涙を拭い、ルシアンが深く頭を下げ、カシムが微笑んでいる。
そして、ガランとセトが、肩を組みながら両拳を天に突き上げて、声の限りに僕たちの名前を叫んでいる。
「みんな! 本当にありがとうー!!」
シェリルが甲板の手すりから身を乗り出し、頬を伝う涙を拭おうともせずに、大きく手を振り返した。
「絶対にまた来るわ! 極上の品物を用意して、首を長くして待ってなさいよー!」
リゼも外套を風に翻し、誇り高い商人の笑みを浮かべて大きく手を振る。
アルバトロス号は一気に高度を上げ、アエテリアの空を覆うふんわりとした雲海の上へと矢のように突き抜けた。
眼下に広がっていた入り江の景色が、みるみるうちに小さくなっていく。
慎ましくも活気を取り戻した中層の居住区、最上層にそびえ立つ威風堂々とした白亜の神殿、そして、僕たちが造り上げた巨大な「太陽と塩のプラント」の銀色の輝きと、その周囲に広がる、美しい緑を取り戻しつつある大地。
アエテリアの全貌が、朝陽に照らされてキラキラと宝石のように輝いている。
やがて、その美しい空飛ぶ島々も真っ白な雲海に優しく包み込まれ、まるで最初から空が見せた幻であったかのように、ゆっくりと、しかし確実に視界から遠ざかっていった。
「……見えなくなっちゃったわね」
リゼが帆のロープを縛り終え、小さく息を吐きながら、遠ざかる雲海の彼方を見つめた。その横顔には、一仕事を終えた達成感と、ほんの少しの寂しさが同居していた。
「到着した時はとんでもないトラブル続きで、どうなることかと思ったけど。振り返ってみれば、これまでの旅の中で、一番最高で、やりがいのある仕事ができたな」
僕が操舵輪から手を離さずに言うと、カイルが眼鏡の奥の瞳を優しく細め、手帳をパタンと閉じた。
「ああ。僕たちが外の世界から持ち込んだ実用的な知識と、彼らが何百年も守り続けてきた失われた魔法技術が交わった、まさに奇跡のような時間だった。あの国はもう、僕たちがいなくても自らの力で力強く回り、発展し続けるだろう。……僕たちがそのきっかけを作れたことは、学者としても誇りに思うよ」
「商人としても、一生忘れられない国になったわ」
リゼは、カーゴスペースにぎっしりと積まれた純白の『天空の塩』の木箱を、まるで愛しい我が子のように撫でた。
「この美しく輝く塩を見るたびに、あの宴の熱気と、彼らの活気あふれる笑顔を思い出すでしょうね。……また一つ、私に大切な、お金には代えられない宝物が増えちゃったわ」
「ええ。アストロラーベの星の導きと、王様から託されたあの海図があれば、きっとまたいつか、あの優しくて力強い人たちに巡り会えるわよね」
シェリルが、胸に抱いたアストロラーベの琥珀色のレンズを撫でながら、晴れやかで希望に満ちた笑顔を向けた。
「ああ、必ずな」
僕は大きく頷き、三人の顔をゆっくりと見渡した。
王から託された『外界の広大な海図』、セトが徹夜で削り上げてくれた『浮根杉の操舵輪』、そして僕たちがこの国で流した泥臭い汗と、この手で成し遂げた揺るぎない誇り。
「またいつか、あいつらに会うその日まで。この船が俺たちの『国』であり、俺たちの帰るべき場所だ」
「さあ、いつまでも振り返ってちゃダメね。前を向くぞ!」
僕は浮根杉の操舵輪を力強く握り直し、誰よりも誇らしく、最高に晴れやかな泥臭い笑顔を仲間たちに向けた。
「帆をいっぱいに張れ! エンジン全開だ! 次の未知の空へ向かって、俺たちの海へ帰るぞ!!」
「「「おおーっ!!!」」」
四人の希望に満ちた力強い声が、どこまでも抜けるような青空に響き渡る。
僕たちの愛船アルバトロス号は、新たなる決意と、数々の奇跡を積み込んだ「無敵艦」という最高の翼を携えて、遥かなる故郷へと続く果てしない大空に向かって、一直線に、そして誇り高く飛び立っていった。
第4部、これにて完結です!
最後までお付き合いいただき、本当に、本当にありがとうございました!
不格好な鉄屑だったアルバトロス号が、アエテリアのすべての人々の想いと奇跡の技術を乗せた「無敵艦」となって、嵐の空へと飛び立つラストシーン。
彼らが最初に不時着した時の絶望を思うと、これほど最高でカタルシスのある旅立ちはありません。
泥臭い野良犬たちの奮闘をここまで見守ってくださった読者の皆様にも、心から感謝申し上げます。
ここから物語は、いよいよ最終章【第5部 帰還と、空の時代の幕開け】へと突入します。
故郷を目指す道中、無敵の船と最高の特産品を手に入れた彼らが、外界でどんな大旋風を巻き起こすのか!?
もし「アエテリア編、最高だった!」「これからの無双が楽しみ!」と思っていただけましたら、
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明日からスタートする第5部も、引き続きワクワクする冒険をお届けします! お楽しみに!




