第107話 王からの餞別『外界の海図』
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深夜の神殿の書庫。宴の最中に呼ばれた4人を待っていたのは、アルディス王とルシアンでした。
彼らから、外の世界へ帰るための「最高の餞別」が託されます。
セトと固い握手を交わし、真新しい浮根杉の操舵輪を小脇に抱えながら宴の広場へと戻る道すがら。
波の音が静かに響く夜の入り江の入り口で、月明かりを背にして立つ一つの人影があった。
「探しましたよ、英雄殿たち」
少し着崩したラフなシャツ姿のまま、穏やかな微笑みを浮かべて待っていたのは、王の使者であるルシアンだった。
僕の少し後ろからは、カイル、リゼ、シェリルの三人も歩いてきていた。どうやら彼らも、狂騒極まる大宴会から少しだけ涼みに出てきていたらしい。
「どうしたんだい、ルシアン。ガランの酒のペースには、さすがのあんたもついていけなかったか?」
僕が冗談めかして言うと、ルシアンは「兵長の胃袋と肝臓は、もはや人間の枠を超えていますからね」と苦笑した。
「ですが、私がここでお待ちしていたのは別の理由です。……アルディス王陛下が、神殿の別室で君たち四人をお待ちです」
「王様が? こんな宴の真っ最中に?」
僕が驚いて聞き返すと、ルシアンは静かに頷いた。
「ええ。明日の朝は、村中が君たちの見送りで大騒ぎになるでしょう。誰にも邪魔されず、静かに別れの挨拶と『私的な餞別』を渡せるのは、皆が酒と歌に夢中になっている今夜しかないと、陛下ご自身が仰ったのです」
なるほど、と僕たちは顔を見合わせ、ルシアンの案内に従って、静まり返った白亜の神殿へと向かった。
案内されたのは、王座の間のような広大で威圧感のある場所ではなく、最上層の奥深くにある、古びた書物が山のように積まれた小さな書庫だった。
埃っぽい紙とインクの匂いが漂う部屋の中央で、アルディス王が静かにランプの火を灯して待っていた。
儀礼用の重い王冠やマントは身に着けておらず、その姿は一人の穏やかな老人のようだった。
「夜分遅くにすまない。宴の主役を抜け出させてしまって、民たちには恨まれそうだな」
王は優しく微笑み、僕たちに椅子を勧めた。
「構いませんよ。ちょうど涼みたいと思っていたところですから」
リゼが優雅に腰を下ろすと、僕たちもそれに続いた。
「明日、いよいよこの国を旅立つと聞いた」
アルディス王は、ランプの灯りに照らされた僕たち四人の顔を、まるで宝物を見るかのような愛おしげな瞳で見つめた。
「君たちがこの国にもたらしてくれたものは、真水や塩、そして新しい技術だけではない。我々が何百年もの間、誇りという名の檻に閉じ込めて殺しかけていた『生きる意志』そのものだ。……王として、いや、この国に生きる一人の人間として、改めて心から礼を言わせてほしい」
王は深く、深く頭を下げた。
「頭を上げてください、陛下」
僕は小脇に抱えていた操舵輪を床に置き、油まみれの手で鼻の頭を擦った。
「俺たちは、俺たちのやりたいようにやっただけです。それに、この国からは『神鋼』や『琥珀の液状結晶』、それにこの最高の操舵輪まで貰っちまった。これ以上ないくらい、完璧な取引ですよ」
「ええ。私たちの船は今や、どんな嵐にも負けない最強の『無敵艦』になりましたからね」
リゼも不敵な笑みを浮かべて頷く。
「……そうか。ならば、あの忌まわしき『黒い嵐の壁』も、今の君たちの船ならば、正面から悠々と切り裂いていけるというわけだな」
王の言葉に、カイルが眼鏡の奥で自信に満ちた光を放った。
「はい。カシム殿が船に施してくれた『音叉の結界』があれば、乱気流も落雷も、あらゆる衝撃を無効化できます。我々にもはや、嵐を避けるための安全な裏道など必要ありません」
「それは頼もしい。アエテリアの調律技術が、君たちの翼を守る盾となるのだな」
アルディス王は満足げに頷き、そして机の上に置かれていた、年代物の古びた革の筒を手に取った。
「だが、嵐を抜けた先……外の世界は、我々の想像を絶するほどに広く、そして過酷だと聞いている。君たちがこれからどこへ向かい、どのような旅をするにせよ、これだけは持って行ってほしい。私からの……いや、我々アエテリアの先人たちからの、ささやかな餞別だ」
王は革の筒から、一枚の巨大な羊皮紙を取り出し、机の上に静かに広げた。
そこには、極めて緻密な線と記号で、複雑な地形が描かれていた。
「これは……地図?」
僕が身を乗り出すと、カイルも目を丸くして羊皮紙に見入った。
「ただの地図じゃない。これは……『海図』だ! しかも、とてつもなく広大な範囲を網羅している!」
カイルの驚きの声に、シェリルもアストロラーベを抱きしめたまま息を呑んだ。
「その通りだ」
ルシアンが、王の隣で静かに口を開いた。
「我がアエテリアの先祖は、地上を追われてあの『黒い嵐の壁』の中に逃げ延びてきました。これはその際、彼らが外の世界から命懸けで持ち込み、その後も歴代の調律師や天文学者たちが星の観測によって大切に補正し、守り伝えてきた……『嵐の壁の外に広がる、世界の海図』です」
「嵐の壁に閉じ込められる以前の、外の世界の伝承記録……!」
シェリルが信じられないというように両手で口を覆った。
「ええっ、見てよレオ! ここ!」
地図の端を指差したリゼが、興奮で声を上ずらせた。
「この広大な大陸の切れ目にある、深い入り江の地形……! 間違いないわ。私たちが最初に旅立った、あの『空の拠点』があった大陸の沿岸部よ! 周囲の気流のデータも、私たちが持っている記録と完璧に一致してるわ!」
「マジかよ……! じゃあ、ここから俺たちがいた大陸までの航路が、完全に繋がったってことか!」
僕も身を乗り出し、食い入るように海図を見つめた。
未知の空域を進む飛空艇にとって、正確な海図は何よりも価値のある宝だ。
どれほど無敵の装甲と無限の航続距離を手に入れても、目指すべき場所の方角がわからなければ、永遠に空を彷徨うことになってしまう。
「それだけじゃないわ」
シェリルが、アストロラーベの光を海図のさらに奥深くに重ね合わせた。
「未開の空域、未知の海、そして強烈な磁気嵐の発生ポイントまで……。この古代の海図と私のアストロラーベの観測データを照らし合わせれば、私たちはもう、世界のどこへだって迷わずに飛んでいける」
シェリルの瞳が、感動の涙で潤んでいた。
「……帰れるわ。私たちの、遥かなる『故郷』にも、真っ直ぐに」
その言葉に、僕たち四人の間に、言葉にできないほどの熱い感情が込み上げてきた。
最初の空の拠点を飛び立ち、死に物狂いで嵐を越え、幾多の危機を乗り越えてきた。
その旅路の果てに、僕たちはついに、故郷へと続く確かな「道標」を手に入れたのだ。
「……受け取ってくれるか、旅人たちよ」
アルディス王が、慈愛に満ちた瞳で僕たちを見つめた。
「これは、かつて外の世界を恐れ、空の果てに逃げ込んだ我々の先人たちが残した『未練』の地図だ。我々には、この海図を使って外の世界へ飛び出す勇気がなかった。……だが、君たちならば違う。君たちのその強き翼ならば、この地図に描かれたすべての空を、自由に駆け巡ることができるはずだ」
「陛下……」
僕は、その古い羊皮紙にそっと手を触れた。
何百年もの間、閉ざされた鳥籠の中から星を見上げ、決して手の届かない外の世界を想い続けてきた先人たちの、途方もない情熱と願い。
その重みが、手首を通じてズシリと伝わってくる気がした。
「……ありがたく、頂いていきます」
僕は真っ直ぐに王の目を見て、深く頭を下げた。
「俺たちの船は、もう嵐なんて恐れちゃいません。でも、この海図があれば、向かい風の中でも絶対に迷わずに進んでいける。俺たちにとって、これ以上ない最高の餞別です」
「外の世界のすべての市場を制覇して、このアエテリアとも極上の取引を続けてみせますわ」
リゼが商人としての誇りを胸に、優雅に一礼する。
「我々の持ち込む未知の技術が、この海図に新たな書き込みを増やしていくことでしょう」
カイルも眼鏡を押し上げ、深く頷いた。
「頼んだぞ、我らが英雄たちよ」
王は満足げに微笑み、僕たちの旅の安全を祈るように目を閉じた。
「君たちの旅路に、大いなる星の導きがあらんことを。……そしていつの日か、外の世界の素晴らしい物語を、再びこの国に聞かせに来てほしい」
「ええ、約束します」
僕たちは四人揃って、アエテリアの偉大なる王に対し、心からの敬意を込めて礼をした。
神殿の別室を後にし、夜風の吹くバルコニーに出ると、下層の広場からはまだ楽しげな大宴会の騒ぎ声が響いてきていた。
僕の小脇にはセトから贈られた真新しい操舵輪が。
そしてカイルの小脇には、アエテリアの先人たちが守り抜いた『外界の広大な海図』が、しっかりと抱えられている。
「……いよいよ、明日だな」
僕が夜空を見上げて呟くと、三人も同じように空を見上げた。
かつて飛び立った大陸への確かな道筋。
そして、その先にある、遥かなる故郷への道標。
あらゆる不安要素を払拭し、完璧な準備を整えた僕たちの胸の奥で、帰郷と新たな冒険への高鳴りが、かつてないほどの大きな鼓動となって打ち鳴らされていた。
読んでいただき、本当にありがとうございます!
先人たちが何百年も守り伝えてきた『外界の海図』。
ついに彼らは、遥かなる故郷へと続く確かな「道標」を手に入れました。
「俺たちの船は、もう嵐なんて恐れちゃいません」。レオの言葉が頼もしいですね!
すべての不安要素を払拭し、帰還への期待が最高潮に高まります。
明日、いよいよ出航の朝を迎えます! 絶対にお見逃しなく!




