第106話 セトからの贈り物
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狂騒の宴の裏側で、静かな入り江に佇むレオ。
そこに現れたのは、共に鉄と木を打ち据えてきた最高の相棒、セトでした。二人の職人が静かに語り合います。
「うおおおっ! 次は俺の番だ! ルシアン殿、その美味い酒をこっちにも回してくれ!」
「こらガラン、お前は少しペースを落とせと言っているだろう! まったく、底なしの胃袋め……!」
最下層の広場で燃え盛る巨大な焚き火の周りでは、夜が深まっても大宴会の狂騒が一向に収まる気配を見せなかった。
歌と手拍子、グラスを打ち鳴らす音、そして腹の底からの大きな笑い声が、アエテリアの澄んだ夜空に吸い込まれていく。
僕はそんな熱気あふれる輪の中から少しだけ抜け出し、熱くなった頬を夜風で冷ましながら、一人で入り江の方へと歩を進めた。
波の音が静かに打ち寄せる入り江には、月明かりに照らされたアルバトロス号が停泊していた。
古代の神鋼で完全に打ち直された流線型の装甲は、夜の闇の中でも鈍く、神々しい銀色の光を放っている。船体を守る「音叉の結界」が、呼吸をするように微かな蒼い波紋を空間に描いていた。
「……信じられねぇよな。あのポンコツが、こんな立派な姿になっちまうなんてさ」
僕は砂浜に腰を下ろし、自分の造り上げた最強の「無敵艦」を眩しそうに見上げた。
アイアンポートの路地裏で廃材をかき集めて造った、継ぎ接ぎだらけの気球船。それが今や、アエテリアという国の最高技術を一身に背負い、未知の空へ挑むための完璧な翼を手に入れたのだ。
「おーい、レオ。探したぜ」
背後から、ザクッ、ザクッと砂を踏む足音が聞こえてきた。
振り返ると、首に手ぬぐいを巻いたセトが立っていた。彼の顔も酒でほんのりと赤くなっているが、その目は職人特有の真剣な光を帯びていた。
そして彼の両腕には、何やら大きくて平たい布包みが大事そうに抱えられている。
「なんだセト、お前も宴会を抜け出してきたのか? ガランがあんたを探して大暴れしてたぞ」
「へっ、あの筋肉だるまに付き合ってたら、いくら俺でも体が持たねぇよ。……ちょっと、隣いいか?」
セトは僕の隣にどっこいしょと腰を下ろし、布包みを自分の膝の上に置いた。
彼はしばらくの間、無言で僕と同じようにアルバトロス号を見上げていた。
「……すげぇ船だ」
やがて、セトがポツリと呟いた。
「俺たちアエテリアの木と、お前が叩いた鉄。それがこんなにも完璧に混ざり合って、一つになってる。……初めてお前たちを見た時は、こんな未来が来るなんて、これっぽっちも想像できなかったぜ」
「ああ、そりゃそうだ。あんた、俺たちのこと『空を落とす悪魔』みたいに言って、本気で突っかかってきたもんな」
僕が意地悪く笑うと、セトはバツが悪そうに頭を掻いた。
「悪かったよ、あの時は。……何百年も閉ざされた世界で、俺たちは『外のものは穢れだ』って教え込まれてきた。だから、お前たちが漂わせている油と鉄の匂いを嗅いだ時、直感的に『この静かな国を壊される』って恐怖したんだ」
セトは自分のゴツゴツとした両手を見つめた。
「でもよ。お前たちが汗水流して鉄を打ち、とんでもねぇ機械を組み上げていくのを見てるうちに、わかったんだ。お前らが持ち込んだのは、破滅なんかじゃねぇ。俺たちがずっと蓋をして見ないふりをしてきた、『明日への希望』だったんだってな」
セトは顔を上げ、真っ直ぐに僕の目を見た。
「レオ。お前のその野蛮で泥臭い鉄と油の匂い……俺は今じゃ、最高に頼もしくて、悪くない匂いだって思ってるぜ」
「……へっ。アエテリア一の船大工にそこまで言われりゃ、俺も腕の振るいがいがあるってもんだ」
僕は照れ隠しに、鼻の頭を擦った。
「それで、だ」
セトは膝の上の布包みを、そっと僕の前に差し出した。
「お前たちには、国中の誰もが感謝しきれねぇほどの恩がある。これは王様からの褒美とか、そういう堅苦しいもんじゃねぇ。ただの同じ職人として……俺からの、個人的な餞別だ」
「餞別……?」
僕が包みの布をゆっくりと解くと、中から現れたのは、木でできた真新しい『操舵輪』だった。
「こ、これは……!」
僕は思わず息を呑んだ。
その操舵輪は、これまで見たどんな木材よりも深い、透き通るような琥珀色をしていた。表面には一切の繋ぎ目がなく、一本の巨大な木から削り出されたものであることがわかる。
そして、握り手の部分には、アエテリアの国鳥である大鷲が翼を広げた緻密で美しい彫刻が、生命を宿しているかのように滑らかに彫り込まれていた。
「すげぇ……。木目が波打つように生きてる。それにこの彫刻、どうやってこんな精密に……」
僕が震える手で操舵輪に触れようとした瞬間、その異常な感触にハッとした。
「なんだこれ!? 鉄……いや、神鋼みたいに硬いぞ!?」
見た目は間違いなく木なのに、指先に伝わる感触は完全に金属のそれだった。
「『浮根杉』だ」
セトが誇らしげにニヤリと笑った。
「浮遊石の鉱脈のすぐそばにだけ根を張り、長い年月をかけて大気中のエーテルと浮遊石の成分を吸い上げて育つ、アエテリア特有の神木さ。鉄よりも硬く、斧の刃が何本も欠けるほど切り出すのが厄介な木だがな……」
僕は恐る恐る、その操舵輪を持ち上げてみた。
「うおっ!?」
思わず声が出た。金属のような硬さと重厚な見た目に反して、それはまるで『羽毛』のように軽かったのだ。力を入れなくても、指一本で支えられそうなほどの異常な軽さ。
「驚いたか? 浮遊石の成分を限界まで吸い込んでいるからな。重力を打ち消す性質を持ってるんだ。……だが、こいつを削って形にするのは、地獄みたいな作業だったぜ。俺の持ってる一番硬いノミが、三本もおしゃかになりやがった」
セトはそう言って、自分の手に巻かれた包帯をポンポンと叩いた。
「お前……これを造るために……?」
「馬鹿野郎、泣きそうな顔すんな。職人の意地ってもんさ」
セトは照れくさそうに顔を背けた。
「お前たちが神鋼や結界で、俺たちには到底作れない最強の『無敵艦』を組み上げたんだ。だったら、俺たちアエテリアの船大工にだって、やれることがあるはずだろ?」
セトは、月明かりに輝くアルバトロス号を指差した。
「どんなに外装が硬くても、どんなにエンジンが強くて航続距離が無限でも。その船が荒れ狂う嵐の中で正しい道を進むためには、船長の『舵取り』の腕がすべてだ」
セトは真っ直ぐに僕を見た。
「鉄より硬く、羽のように軽く、そして絶対に手汗で滑らない。俺が徹夜でミリ単位で調整して、お前の手に一番しっくりくるように削り上げた、世界で一つの操舵輪だ。……お前のピカピカに生まれ変わった無敵艦に、ボロボロの古い舵じゃ格好がつかねぇだろ?」
「セト……」
僕は操舵輪のグリップを強く握りしめた。
滑らかな木肌が、まるで僕の手の形をあらかじめ知っていたかのように、ピタリと吸い付くように馴染んだ。
どれだけの力を込めても、絶対に折れないという絶対的な信頼感が掌から伝わってくる。
「……お前の船と一緒に、俺たちアエテリアの船大工の魂も、外の広い世界へ連れて行ってくれ」
セトの言葉に、僕は熱いものが込み上げてくるのを必死に堪えた。
「ああ。連れて行く。世界の果てまで、こいつと一緒に飛んでやるよ」
僕は立ち上がり、最高に泥臭い笑顔を作って、セトに向けて右手を差し出した。
「ありがとな、セト。こいつは俺の……いや、アルバトロス号の新しい宝物だ」
「へっ。大事に使えよ、レオ」
セトも立ち上がり、僕の右手を力強く握り返した。
ハンマーを振るって鉄を打つ、外の世界の機械技師。
ノコギリとノミで木を削る、空の果てのアエテリアの船大工。
交わるはずのなかった二つの異なる文化の職人が、今、互いの腕と魂を完全に認め合い、固い絆を結んだ瞬間だった。
「おーい! レオ! セト! どこにいるんだ! 次の樽を開けるぞ!」
遠くの広場から、すっかり出来上がったガランの馬鹿でかい声が響いてきた。
「まったく、あの筋肉だるまは……」
セトが呆れたようにため息をつく。
「仕方ねぇ、戻るか。今日は朝まで付き合ってやるよ、相棒」
「おう! 俺とお前で、あの兵長を完全に潰してやろうぜ!」
僕たちは顔を見合わせて笑い合い、真新しい浮根杉の操舵輪を小脇に抱えながら、煌々と燃える焚き火と大歓声の待つ広場へと、肩を並べて歩き出した。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
鉄より硬く、羽のように軽い「浮根杉の操舵輪」。
アエテリア一の船大工が徹夜でミリ単位で削り上げた、レオへの魂の込もった最高の贈り物でした。
交わるはずのなかった二人の職人が、お互いの腕を認め合い固い握手を交わすシーン。こういう泥臭い友情、やっぱり良いですよね!
次回、いよいよ王様から「最後のピース」が手渡されます。




