第41話 杉山仁太郎
《特災対・コマンドセンター/模擬市街区》
地下深くに広がる模擬市街区は、無機質なコンクリートの建築物が密集した人工の街だった。
剥き出しの壁、崩れた外壁、瓦礫と化した車両。
人の気配だけが、意図的に排除されている。
その街の中を、6つの影が静かに進んでいく。
第3部隊の内場、長谷川、木ノ下。
第8部隊の飛鳥彗、浦木充、沢田。
そして――
この街のどこかに、今回の敵役である第8部隊隊長・杉山仁太郎がいる。
互いの姿は、まだ見えない。
「警告。訓練開始まで3秒」
無機質なアナウンスが、街区全体に反響する。
「2」
内場はゴム製ナイフを抜いた。
「1」
警告音。
それと同時に、イヤーピースから荒屋の声が流れ込んだ。
『改めてルールを説明する。
本訓練の目的は連携と白兵戦スキルの向上。
ゴム製ナイフを当てればポイントを奪える。
全員が5ポイント保有。
ポイントが0となった者は戦闘不能扱いだ』
『頭部が−5ポイント、胴体−2ポイント、その他の部位は−1ポイント』
『杉山から5ポイント取るか、拘束すればお前たちの勝ちだ。逆に杉山は、全員を戦闘不能にすれば勝利。以上』
(連携か……)
内場は小さく息を吐いた。
今日初めて組む、第8部隊の面々。
即席のチームで、どこまで噛み合うか。
――いや、それを試されているのだろう。
ゴム製ナイフを握る手に、自然と力がこもる。
「作戦を立てましょう」
静かに口を開いたのは長谷川だった。
「1人が引きつけ役。残りで奇襲がいいかと思います。
正面から立ち向かうのは、分が悪いかと。
内場くんは、音で杉山隊長の位置把握をお願い」
即座に、浦木が頷く。
「長谷川さん。全体を俯瞰して指揮を取ってください。
多分、適任です」
「というか……
女子を前線に立たせるの、ちょっと気が引けますよね」
沢田も続く。
「ちょっとー!」
長谷川が声を荒げた。
「これでも戦闘部隊の一員です!区別しないでください!」
「……すみません」
沢田は頭を掻き、素直に引き下がる。
「じゃあ、とりあえず……」
長谷川の視線が、木ノ下に向いた。
「どうした?」
「木ノ下くんが誘導役やって」
「ええー!? 怖いよ!」
「逃げ足、早いでしょ」
「奇襲をかける場所はこの辺りがいいですかね。室内だと不利だ」
浦木が周囲を見回しながら言う。
「……そうですね。遮蔽壁と建物の影に隠れて待ち伏せしましょう」
そのやり取りを横目に、内場は耳を澄ませていた。
――足音。
一つ。
規則的で、迷いがない。
「まだ遠いです。方角は2時方向。準備の時間は取れます」
「なんで分かるんです?」
飛鳥が思わず問い返す。
「内場くん、耳がいいんよ」
木ノ下がなぜか誇らしげに言う。
「へぇ……すごいな」
「んもー。自分のことみたいに誇ってないで、早く行って」
長谷川の声音は、どこか冷たい。
「グスン……」
木ノ下は肩を落としつつも、内場が示した方角へ歩き出した。
◆◆
《特災対・コマンドセンター/模擬市街区オペレーター室》
模擬市街区の各所に設置された無数のカメラ。
それらの映像を映すモニターの前に、荒屋は立っていた。
隣には、第8部隊副隊長・柊一瑳。
「荒屋、どうなると思う?」
柊が問いかける。
「長谷川たちは、苦戦するだろうな」
荒屋は即答した。
「即断だな」
荒屋は腕を組み、画面を見つめ続ける。
「さて。あいつらは…
杉山相手にどこまで食い下がれるだろうか」
◆◆
《特災対・コマンドセンター/模擬市街区》
木ノ下は1人、無人の街を歩いていた。
足元には瓦礫。
自分の足音が、やけに大きく響いているように感じる。
「……怖いなあ」
弱音が、思わず漏れる。
建物の間を抜け、車がすれ違えるほどの幅の通りに出た、その時――
通りの向こうに、1人の人影が現れた。
タクティカルスーツに防刃・防衝撃プロテクターを身につけた、スポーツマンを思わせる風貌。
第8部隊隊長・杉山仁太郎。
「よう! 1人か?」
片手を上げ、気さくに声をかけてくる。
「ひっ! いた!」
木ノ下は即座に踵を返し、全力で走り出した。
「おっと、逃げるのか……
けど、鬼ごっこは嫌いじゃねえぜ!」
杉山は一度、深く息を吸い――身を低くする。
「しゃあおらあああああ!」
ドンッッ!
瓦礫が弾け飛ぶ。
爆発的な踏み込みと同時に、杉山が猛スピードで追いすがる。
「ひぇ! 追ってきた!!」
木ノ下の逃げ足は一級品だった。
百メートル11秒台の俊敏さで距離を稼ぐ。
だが――
「おおおりゃあああああ!」
ドドドドドド!
杉山は、確実に距離を詰めてくる。
「ひいいいいい!」
曲がり角。
壁に手をつき、木ノ下が急旋回する。
次の瞬間――
ガァァァン!
杉山の右腕が、壁を粉砕した。
「おっといけねえ!力みすぎたぜ!」
振り返らずとも、その破砕音で木ノ下は理解した。
(うわぁ、バケモンだ!!)
◆◆
若手隊員5人が、模擬市街区の一画で息を潜めていた。
コンクリートの建物に挟まれた、幅のある直線路。
その両脇には、訓練用に配置された遮蔽壁と瓦礫が点在している。
浦木と沢田は、道のすぐ横に設けられた遮蔽壁の裏側。
身体を低くし、ナイフを逆手に構え、息を殺している。
狙いはただ一つ。
木ノ下を追ってこの道へ踏み込んでくる杉山の――頭部。
当たれば5ポイント奪取。
それだけで、この訓練は終わる。
内場は、道から一歩引いた建物の影に身を寄せていた。
壁に背を預け、視線を落とし、意識を“耳”に集中させる。
遠い。
だが、確実に近づいている。
「……近いです」
声を落とし、短く告げる。
その言葉に、周囲の空気が一段張り詰めた。
内場は、道を挟んだ反対側――
崩れかけた建物の影へ視線をやる。
そこに、飛鳥がいる。
壁際に身体を沿わせ、完全に溶け込むように潜んでいた。
浦木と沢田が失敗した場合、
次に前へ出るのは、彼だ。
そして――
すぐ隣の建物。
2階部分のガラスが外された窓から、長谷川が下を見下ろしている。
全体を俯瞰し、指示を出す役割。
ふと、内場と長谷川の目が合った。
長谷川は一瞬だけ口元を緩め、
小さく、しかし力強くガッツポーズを作る。
(がんばります!)
その無言の意思を受け取り、
内場も、胸の前で拳を握り返した。
――タッタッタッタッタ……
軽い足音。
必死で、乱れたリズム。
(木ノ下さん、逃げ切れているのか!)
そのすぐ後ろ。
――ドン、ドン、ドン。
空気を叩くような、重く、異様に大きな足音。
(これが、杉山隊長の足音……?)
一歩一歩が、地面を踏みしめる“音”ではない。
質量が、そのまま移動してくるような感覚。
豪快。
それ以外の形容が浮かばない。
「ううううう!」
視界の奥から、木ノ下が飛び込んでくる。
顔は涙目、呼吸は荒い。
「早えじゃねえか!」
そのすぐ背後。
「だが、逃げてるだけじゃ勝てねえぞ!」
杉山が、爽やかな笑顔のまま迫ってくる。
走りながら、ゴム製ナイフを軽々と振りかざす。
――ダンッ、ダンッ。
2つの踏み込み音。
その瞬間、
壁の影から浦木と沢田が、挟み込むように飛び出した。
「当てろ!!」
浦木の叫び。
だが、杉山の反応は一瞬早い。
身を低くし、ほとんど地面に這う姿勢で滑り込む。
スライディング。
そのまま、浦木の脚を掴み、引き寄せた。
――ズザザザザッ!
杉山のブーツが地面を削る。
同時に、沢田のナイフが杉山の頭上を切り裂く。
惜しい。
浦木は脚を引かれ、尻餅をついた。
だが、沢田は止まらない。
即座に軌道を変え、低い姿勢のままナイフを振り下ろす。
次の瞬間――
凄まじい踏み込み。
――ドンッ。
叩き込むはずだった位置に、既に杉山はいない。
2人の頭上を越え、杉山が宙に舞った。
「まず1人だぜ」
――スパァァン。
宙で一回転しながら、
沢田の頭を正確にナイフで叩く。
「あっ」
短い声。
沢田は0ポイントとなり、戦闘不能判定。
「……くそ」
浦木は歯を食いしばり、転がりながら体勢を立て直す。
「飛鳥くん!」
2階から、長谷川の声。
その声に呼応するように、
建物の影から飛鳥が飛び出した。
「指揮がいるのか」
杉山の視線が、一瞬、上を向く。
だが――
目の前で、浦木が低く身を沈め、突進。
ナイフを突き出す。
――パァァン。
杉山が、裏拳で沢田のナイフをはたき落とす。
そのまま、進路を変えず――
長谷川のいる建物へ。
――ドン。
爆発的な踏み込み。
信じがたい跳躍で、2階の高さへ跳び上がる。
「――!?」
「指揮官から落とすのが常套句だぜ!!」
杉山が窓枠を掴む。
「…今!」
手に当たれば1ポイント。
長谷川の判断は速かった。
迷いなく、窓へナイフを振る。
だが――
――ドンッ。
杉山は壁を蹴り、即座に離脱。
浦木と飛鳥の頭上を越え、背後へ着地する。
「長谷川を狙った……と思ったか?」
ナイフが振られる。
「うおおぉぉ!」
――ガシッ!!
浦木が腕を掴んだ。
「飛鳥、今だ――」
次の瞬間、
その腕ごと振り切られ、浦木が宙を舞う。
「なんで怪力だ!」
内場の喉が、無意識に鳴った。
木ノ下が息を整え、杉山へ迫る。
「腕立て100回はいやだあああ!」
――コンッ。
すれ違いざま、頭を叩かれる。
木ノ下、−5ポイント。
「2人目だぜ!」
杉山が、楽しそうに笑う。
「……強すぎる」
内場の表情が硬くなる。
(これ、拘束は無理だ)
飛鳥が踏み込む。
(正面からは勝てない……
受け流して後方から突く!)
飛鳥はナイフを軽く握り、凄まじい速度で突き出す。
――ガシッ!
片手で、掴まれた。
(……動かない!?)
怪力。
腕が、びくともしない。
「飛鳥ぁ! 終わりだぜ!」
杉山がナイフを振り抜こうとした、その時――
タッタッタッタッ
浦木が杉山の背後から、拾ったナイフを手に突進する。
「浦木ぃぃ!」
振り向きざまに飛鳥を放り投げ、浦木へ。
「隊長おおお! 覚悟おおお!」
浦木は決死の表情。
杉山が左手を伸ばす――
――スカッ。
浦木がナイフを引き、杉山が宙を掴む。
「おっ」
そのまま体当たり。
――ドン!
だが、びくともしない。
流れるように左手が回り、力任せに押し倒される。
「しゃああああ!」
杉山が浦木へと踏み込み、右手のナイフが振り上がる。
浦木は腕でガード――
「4、3、2、1、0ポイント!」
連続で叩き込まれる。
杉山が顔を上げる。
――タッタッタッタッ……
飛鳥が、背を向けて元いた建物の影へと退避している。
「来いよおおお!」
杉山が飛鳥に意識を向けた。
雄叫びと共に、追う。
――コン。
背中に、衝撃。
「……あ?」
杉山が動きを止め、振り返る。
足元には――ゴム製ナイフ。
「−2ポイントです」
建物の影から姿を現した内場が、
投擲した手を差し出し――静かに笑った。




