第40話 隊長クラス
《特災対・コマンドセンター/訓練区画》
「うひゃあっ!」
短い悲鳴と同時に、ドサッ!と鈍い音が訓練室に響いた。
第3部隊の木ノ下尊が、組み手の最中に体勢を崩し、そのままマットに背中を叩きつけられる。
一瞬、肺の空気が抜けたように身を強張らせた。
「そこまで!」
荒屋の声が、空気を切り裂いた。
即座に動きが止まる。
第8部隊の隊員は、投げた相手からすっと距離を取り、無駄のない所作で一礼した。
木ノ下も慌てて身を起こし、一礼する。
「……すみません!」
「実戦を想定しろ」
荒屋の低い声が、静かに落ちる。
「相手が異能者なら――今ので死んでいる」
言い訳の余地はない。
木ノ下は歯を食いしばり、再び深く頭を下げた。
周囲では、長谷川と浦木充の組み手を皮切りに、両部隊の隊員が一人ずつ前へ出ては、短時間の組み手を繰り返していた。
誰も手を抜かない。
「長谷川さん、負けちゃったよ〜」
マットの外で、木ノ下が情けない声を漏らす。
「精進しなー」
長谷川は見向きもせず、淡々と言い放った。
感情の起伏はない。
だが、その背中には確かな説得力があった。
(……容赦ないな)
内場は内心でそう思いながら、次の動きを待っていた。
「――次。内場。前に出ろ」
荒屋の視線が、真っ直ぐにこちらを射抜く。
「はい」
内場は短く応じ、マットの中央へ歩み出た。
靴裏が擦れる音が、やけに大きく聞こえる。
(よし、やるぞ……!)
心の中で気合を入れる。
その様子を見て、第8部隊副隊長・柊一瑳が自部隊の列へ視線を向ける。
「確か……お前の隊にも、最近入ったのがいただろ」
荒屋のその言葉を聞いた柊が、軽く頷いた。
「飛鳥。お前だ。
年は23。入隊時期も、内場とほぼ同じだな」
柊の指名に、即座に返事が返る。
「はい」
第8部隊の列から、1人の涼しげな青年が前に出た。
第8部隊に多い剛健な兵士たちの中では、どこか落ち着いた雰囲気を纏っている。
無駄な動きはなく、視線も静かだ。
(他の第8部隊の人たちとは、タイプが違うな)
内場は、直感的にそう感じ取った。
二人が、円の中央で向かい合う。
次の合図を待つ空気が、張り詰めた。
内場総士。
第3部隊所属。168センチ、細身だが無駄のない体つき。
構えは自然体に近く、肩の力が抜けている。
対するは――第8部隊の若手、飛鳥彗。
173センチと内場より一回り大きいが、体重は同じ。
ミディアムの黒髪。引き締まった体躯に、落ち着いた目。
派手さはないが、立ち姿から“きちんと訓練を積んできた兵”だと分かる。
(……同い年、か)
内場は一瞬、そう意識した。
特災対への入隊時期も、ほぼ同じとのことだ。
だが、所属も、戦場も、歩んできた評価も違う。
「……開始」
短い合図が落ちた瞬間、空気が張り詰めた。
次の刹那、2人は同時に床を蹴る。
ドンッッ――
先に間合いを詰めたのは飛鳥だった。
一直線ではない。
半歩、また半歩。
角度を微妙にずらしながら、円を描くように距離を削る。
不用意に踏み込まず、常に“当てられる距離”だけを保っている。
(丁寧だ……)
内場は瞬時に評価する。
攻めているようで、主導権を渡さない動き。
焦りも、無駄もない。
その内場が、一気に前へ出た。
――ヒュッ。
鋭い踏み込み。
寸止めの拳が、飛鳥の肩口をかすめて空を切る。
だが、飛鳥は受けなかった。
身体を沈め、流れるように内場の懐へ潜り込む。
ズドッッ!
「……っ!」
衝撃。
低いタックルが腹部に突き刺さる。
内場は即座に重心を前に移し、両足で床を捉える。
押し返すのではない。耐える。
そのまま組み合いに持ち込む。
体重は互角。
力で押せば、どちらも決定打に欠ける。
内場は投げを狙い、飛鳥の襟と袖を引いた。
だが飛鳥は腰を深く落とし、崩れない。
――飛鳥は、投げない。
襟を掴む内場の手首を捕らえ、反対の手で肩を押さえる。
引く、押す、捻る。
流れるように肩関節を極めにいく動き。
(この動き……)
内場は即座に理解した。
制圧前提。
最初から、相手を壊すつもりがない。
だが――
(甘い)
内場は、あえて踏み込んだ。
ドンッ。
「――っ!?」
身体ごとぶつける。
一瞬、飛鳥の重心が浮いた。
内場は逃さない。
飛鳥の足裏に自分の足を差し込み、円の外側へと押し出す。
だが飛鳥も、しぶとい。
咄嗟に片足を残し、体を捻って耐える。
よろめき――
そのまま2人の距離が、わずかに開いた。
「……強いですね」
荒い息の合間に、飛鳥が呟く。
「……そちらも」
内場は短く返す。
再び踏み込む。
次は――同時。
内場の拳が走る。
パシッ!
飛鳥はそれを掌で弾き、間髪入れずに右手を振り抜く。
狙い澄ました腹打ち。
ヒュッ!
内場は左脚を半歩引き、紙一重で躱す。
――一瞬の静止。
互いの呼吸が、空間に溶ける。
だが、最後に動いたのは内場だった。
低く潜り込み、
飛鳥の軸足を払う。
「……っ!」
体勢を崩した瞬間を逃さず、内場は身体を制御しながら腰に乗せる。
ダン!
背中がマットに叩きつけられた。
「――そこまで!」
柊の声が、鋭く響く。
勝敗は明白だった。
「勝者、内場!」
周囲から、低いどよめきが起こる。
飛鳥は天井を見つめ、やがて苦笑しながら起き上がった。
「……接戦でしたが……負けですね」
内場は手を差し出す。
「僅差です。
正直、次は分かりません」
飛鳥はその手を取り、立ち上がる。
一瞬、視線が交わる。
「……あなたみたいな人がいるから。
第3部隊が強いわけだ」
「飛鳥さんも。強かったです」
言葉少なに、2人は敬礼する。
同世代の兵士同士が――
確かに、互いを認め合った瞬間だった。
「いい試合だったぞぉぉ!飛鳥ぁぁ!」
壁際に立つ第8部隊隊長・杉山仁太郎の怒号が、空間を震わせた。
◆◆
第3部隊と第8部隊は、続いてコマンドセンター内に設けられた訓練区画へと移動した。
その一角――模擬市街区を一望できる、オペレーター室。
コンビニほどの広さしかないその室内に、整列したとはいえ34人もの隊員が詰め込まれると、空気は一気に重くなる。
装備の擦れる音、ブーツの立てる微かな足音。
誰も無駄口を叩かないが、それでも"狭い"という感覚だけが、じわりと共有されていた。
操作パネルが並ぶデスクの奥には、防弾ガラス張りの大窓。
その向こうには、地下に丸ごと造られた街が広がっている。
高い天井の下、コンクリート製の建物群。
3階建てから5階建てまで、高さも形もまちまちだ。
崩れた外壁、弾痕を思わせる凹凸。
道の脇には放置された車両の残骸が転がり、簡易的に積まれた遮蔽壁が視界を分断する。
瓦礫は整然とは程遠く、無秩序に散乱していた。
そこには――
街としての機能も、生活の気配も、すべてが欠けている。
あるのはただ、撃ち合うために用意された空間だけ。
内場は、防弾ガラス越しにその街を見下ろしながら、ふと息を吐いた。
(特災対に来た初日……
ここで、ドルチェさんに試験してもらったんだっけな)
脳裏に蘇るのは、初めてここに立った日の記憶。
緊張で喉が渇き、足元がやけに重く感じたあの感覚。
内場は静かに視線を戻し、
これから始まる訓練に向けて、意識を切り替えた。
荒屋が、整列した隊員たちの前に立つ。
その隣には杉山と柊。
「続いては市街戦を想定した、武装制限下での制圧訓練だ」
淡々とした説明の途中で、杉山が腕を組んだまま口を挟んだ。
「そろそろ俺も混ざりてぇなぁ。
荒屋さん、いいっすか?」
軽い調子だが、場の空気がわずかにざわつく。
荒屋は一度、杉山を鋭く睨み――
だがすぐに視線を外し、短く息を吐いた。
「……では、お前は“異能者役”だ」
「……おっ?」
「若手を数人まとめて相手しろ。
制圧される側の感覚を磨くのも、訓練だろう」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、杉山の口元が大きく吊り上がった。
「……いいっすよ!
ビシバシしごいてやりますわ!」
肩を回し、腕をぶんぶん振り回す杉山。
その様子に、内場は喉を鳴らした。
「第3部隊。長谷川、内場、木ノ下。
第8部隊。浦木、飛鳥、沢田。前に出ろ」
荒屋の声で名を呼ばれ、6人が前へ出る。
第3部隊と第8部隊、それぞれの若手が混ざった編成だ。
「ルールは簡単だ。お前たち6人は杉山を拘束、もしくは近接武器を当てて、杉山を戦闘不能判定に持ち込めば勝利」
荒屋は指を立てる。
「全員が5ポイントを保有。
頭部に当てられれば−5ポイント、胴体−2ポイント、他の部位は−1ポイント。0ポイントに達したら“戦闘不能”とみなす」
安藤が前に出て、防刃・防衝撃プロテクターを配る。
続いて、ゴム製ナイフが一人一人に手渡された。
「逆に、お前たちが杉山から攻撃を受けて0ポイントとなれば即脱落だ。喰らわないよう、立ち回れ」
「しゃあああああ!!」
杉山の咆哮が、市街区に反響する。
(……声、でか)
内場は思わず肩をすくめた。
声だけで、空気が揺れた気がした。
「負けた側は、腕立て100回だ」
その言葉に、若手6人は苦虫を噛み締めたような表情を見せる。
「杉山。……お前も負けるなよ」
柊の言葉に、杉山は親指を立てる。
「もちろんっすよー!
見せてやるっす!」
◆◆
内場たちは、模擬市街区へと足を踏み入れた。
左右に並ぶのは、先ほど組み手をした第8部隊の飛鳥と浦木。
後方には同じく第8部隊の若手、沢田。
先頭には長谷川と木ノ下が位置取る。
「先ほどはありがとうございました。
よろしくお願いします」
内場が小さく声をかけると、飛鳥が静かに頷いた。
「頑張りましょう」
「正直さ、6人がかりなら楽勝じゃない?」
木ノ下が軽口を叩く。
「みんなで一気に行けば――」
「……いや」
長谷川の声は低かった。
前髪を耳にかけ、無人の街を見据える。
「特災対の戦闘部隊で、隊長まで上り詰めた人だよ」
「その通りですね」
浦木が、硬い表情で続ける。
「杉山隊長は……正直、人間じゃない。
異能者だと思って動いた方がいい」
その言葉に、内場は息を呑んだ。
(そんなに……?あんなに陽気そうな人が……?)
特災対の戦闘部隊には、非公式ながら囁かれる呼び名がある。
――“隊長クラス”。
評価基準でも称号でもない。
だが、異能者と殺し合いの最前線に立ち、それを率いる者たちは、例外なく常軌を逸した実力を持っている。
第3部隊隊長・荒屋の先読みと投擲解。
第4部隊隊長・ラチェノンのワイヤー操術。
異能に拮抗し、あるいは凌駕するほどの――人外の技量。
―その視線の先。
模擬市街区の反対側から、杉山が足を踏み入れた。
腰に下げたゴムナイフ。
袖をまくり、首を鳴らしながら歩いてくる。
「いっちょ……見せつけてやりますか」
杉山が笑う。
「“隊長クラス”の実力を」
その瞬間だった。
――空気が、変わった。
模擬市街区全体が、ずしりと重く沈み込む。
ただの訓練場が、一気に戦場へと姿を変える。
建物群に阻まれ、互いの姿は見えない。
だが内場は、わずかに何かを感じ取り、無意識にナイフを強く握り締めていた。
(空気が重い……。
本当に、異能者扱いで正解かもしれない)
そして――
開始の合図を待つ沈黙が、街を支配した。




