第39話 第8部隊、合同訓練
《特災対・コマンドセンター》
荒屋は、コマンドセンターの廊下を1人で歩いていた。
打ちっぱなしのコンクリートに、蛍光灯の光が淡く反射する。
訓練日だ。
訓練区画へ向かう――ただ、それだけのはずだった。
前方に、黒い影の塊がある。
タクティカルスーツに身を包んだ、20名以上の部隊。
整った隊列が、廊下の空気を張り詰めさせていた。
その先頭に立つ男が、視界に入る。
若く、引き締まった体躯。
歩き方一つで、場数を踏んできた兵士だと分かる。
荒屋は足を止めない。
視線も向けず、すれ違おうとする。
――だが。
男の目は確かに荒屋を捉え、無邪気とも取れる笑みを浮かべる。
「お久しぶりっす!荒屋さん!」
快活な声。
勢いよく頭を下げると、その背後に並ぶ隊員たちも、寸分違わぬ動きで一礼した。
荒屋は足を止めた。
「……久しいな、杉山。順調か」
短く、必要最低限の言葉。
先頭にいた男――
第8部隊隊長・杉山仁太郎。
「はい、順調っす!」
即答だった。
声量も、覇気も十分。
いかにも体育会系――だが、軽薄さはない。
その隣に、もう一人の男が歩み出る。
白髪混じりの短髪。
刻まれた皺は深く、表情は険しい。
周囲が若い兵で固められている分、その年季が否応なく際立っていた。
背筋は真っ直ぐ。
無駄のない体つき。
今なお現役であることを、立ち姿だけで雄弁に語っている。
柊一瑳。
第8部隊副隊長。
「荒屋。第3部隊の活躍は聞いている。
カテゴリー5の討伐……さすがだな」
その言葉に、荒屋の険しい表情が、ほんのわずかに緩む。
「俺たちは汎用・市街地担当だ。前線に立つ機会が多い。いやでも実績は積み上がる」
一拍、間を置く。
「……被害も、それ相応にな」
声のトーンが落ちた。
「いや、お前の……第3部隊の実力だ。
失った隊員のことは、残念だったな」
この2人は、陸上自衛隊時代の同期。
言葉の端々に、長い付き合いが滲んでいる。
そこへ、空気を切り裂くように杉山が割って入る。
「聞いてくださいよ〜荒屋さん!
俺たち北海道とか仙台とか飛び回ってたんすけど、任務がカテゴリー2以下の対応ばっかなんすよ。鈍っちゃいますって!」
冗談めかした口調だが、本音でもある。
第8部隊は地方・待機担当。
任務を終え、久々に特災対の中枢――コマンドセンターへ帰還していた。
「久しぶりに扱いてくださいよ!
組み手とか! 今日こそ一本取ってみせますから!」
「……10年早い」
荒屋は、間髪入れずに切り捨てる。
「ええー! そんなぁ!」
杉山は大げさに肩を落とす。
柊が小さく息を吐いた。
「荒屋……時間があればでいい。
久しぶりに、お前の目でこいつらを見てやってくれないか。
昔は“鬼教官”と呼ばれていた男だろう」
「……普通に教えていただけだ」
荒屋は少しだけ考える素振りを見せる。
「……今から第3部隊の訓練だ。混ざるか」
杉山の顔が、一瞬で輝いた。
「了解っす!お願いします!」
「「「お願いします!!」」」
背後の隊員たちも、声を揃えて礼をする。
(……威勢がいいな)
荒屋はそう心中で呟き、そのまま訓練区画へと歩き出した。
◆◆
《特災対・コマンドセンター/訓練区画》
マットが敷き詰められた訓練室。
第3部隊の隊員たちは整列し、荒屋の到着を待っていた。
「今日は何でしょうね」
内場が、隣の長谷川に小声で尋ねる。
「さあ……特に聞いてないな。体術じゃないかな?」
また投げられるのか、と内場は肩を回し、軽くストレッチする。
「そういえば、ドルチェさん来てませんね」
「あ〜……。マット部屋集合って聞いたら射撃レンジの方に行っちゃったみたい」
(またあの人はサボりか……)
ドルチェは体術の訓練に関心がないようだ。
そのとき――
電子音とともに扉が開いた。
現れたのは荒屋。
そして、その後ろに続く、見慣れない戦闘服姿の集団。
(……他部隊?)
短髪、引き締まった体。
一目で分かる、鍛え抜かれた兵士たち。
第3部隊の隣に、第8部隊が並ぶ。
前に立つのは荒屋と柊。
「おや〜?今日は第8部隊と合同訓練ですか〜?」
安藤が、軽い調子で声をかける。
「そうだ。第8部隊からの要請だ」
荒屋は腕を組み、低く言い放つ。
「……第3部隊も、最近入隊した者が多い。
他隊との訓練は良い刺激になる。
良いと思った点は取り入れろ。第8部隊も同様だ」
「うっす!」
第8部隊の返事は、腹から出た男臭いものだった。
「第8部隊は若手が多い。ゆえに今日は若手を見る」
「俺も――」
「杉山、お前は別格だ。壁側で見てろ」
荒屋が杉山の言葉を遮る。
杉山は少し肩を落としながら壁際に移動する。
「安藤、李、白柳。お前達もだ。
仕上がった連中の相手をしても、参考にならん」
「あたぼうよ、荒屋のオヤジ」
「おひょひょ。酒でも飲みながら見物するかのぅ」
「李さん、あんまりこういう場ではお酒飲まないほうがいいですよ〜。まあ、なんでもいいですけど〜」
安藤、李、白柳も杉山に続く。
内場は彼らの背を見送りながら、胸がわずかに高鳴る。
(他隊との訓練……。自衛隊時代はやったけど、特災対に来てからは初めてだ)
「まずは組み手。
では――長谷川。前に出ろ」
荒屋の低い声が、マットの敷き詰められた練習場に響いた。
「……はい!」
長谷川が、一歩前に出る。
背筋は伸びているが、表情はいつも通り柔らかい。
「浦木。お前から行け」
続いて柊の声が、第8部隊側に飛ぶ。
その瞬間――
「長谷川ちゃんとか……いいな……」
第8部隊の列のどこかから、抑えきれずに漏らした呟き。
内場の耳が、はっきりとそれを拾っていた。
軽い調子の声だったが、視線が集まっているのは分かる。
前に出てきた男――浦木充。
第8部隊の狙撃担当。
160センチ後半の長身に、無駄のない引き締まった体。
軽く跳ねた天然パーマが、動くたびに揺れる。
(……慣れてるな)
立ち方ひとつで分かる。
重心が低く、無駄な力が入っていない。
荒屋が、円の中央で腕を組んで立った。
マットの上には、直径3メートルほどの円形が描かれている。
その白線の内側に、長谷川と浦木が向かい合う。
長谷川美玲。
身長158センチ。
こうして並ぶと、体格差ははっきりしていた。
(長谷川さん、体格差もあるし女性だし…大丈夫かな。
正直不利だ)
内場は無意識に、そう判断していた。
「ルールを説明する」
荒屋の声が淡々と続く。
「投げあり。押し合いあり。
ただし投げは制御しろ。投げっぱなしは禁止だ。
打撃は寸止め。喉、鳩尾、首、後頭部
――急所への接触で一本。
背中がマットにつくか、円外に出された時点でも勝敗が決まる。
制限時間は2分」
内場は円を見つめる。
逃げ場はない。
空間そのものを使えるかどうかが、勝負を分ける。
「……開始」
荒屋の合図と同時に――
ドッッ!
浦木が踏み込んだ。
速い。
一直線で、迷いのない前進。
(押し出す気だ……!)
正攻法。
体格差を最大限に活かした選択。
長谷川が、一歩下がる。
腕が絡んだ瞬間、
内場の位置からでも分かるほど、力の差が伝わってきた。
(……重い)
長谷川が踏ん張れば、そのまま円の外まで運ばれる。
――だが。
長谷川は、踏ん張らなかった。
身体を斜めに流す。
正面衝突を避け、相手の前進力を横へ受け流す。
「っ……!」
浦木の足が、白線に近づく。
(うまい……)
内場は思わず息を詰めた。
長谷川は、そこで一気に低く潜る。
相手の脇をすり抜け、腰に手を添える。
――投げない。
押す。
必要な分だけ、正確に。
だが浦木も、さすがだった。
上体をひねり、片足を円の内側に残す。
「危ね……」
浦木の口から、思わず本音が漏れる。
周囲がざわついた。
「今の……女の子の動きか?」
「無駄がねぇ……」
内場も同じことを思っていた。
(……女子の動きじゃない。――“合理的”だ)
再び間合いが開く。
浦木は表情を引き締め、今度はフェイントを混ぜてくる。
上下、左右。
視線と重心を揺さぶる動き。
長谷川の目が、足と肩を正確に追っている。
(……見えてる)
次の瞬間。
浦木が踏み込んだ。
ほんの一瞬だけ、重心が浮いた。
長谷川は、逃げない。
一歩、内側へ。
肩を差し込み、相手の体軸をずらす。
(そこだ――)
円の縁。
浦木の踵が、白線を越えた。
「くっ……!」
「――そこまで」
柊の声が、鋭く響く。
一瞬の静寂。
次の瞬間、歓声が上がった。
「勝者、長谷川!」
浦木は目を見開き、そして苦笑する。
「……参りました。
完全に、持っていかれましたね」
長谷川は、少し照れたように敬礼した。
「いえ。……押されたら負けでした」
荒屋が腕を組んだまま、静かに言う。
「今のは理想だ。
力で勝てない相手に、空間で勝った」
内場は、無意識に息を呑んでいた。
(……かわいいのに)
いや、違う。
(だからこそ、油断する)
戦場では、それが命取りになる。
長谷川美玲という隊員の「強さ」が、
この瞬間、内場の中ではっきりと輪郭を持った。
(もうすぐ……僕の番も来る)
長谷川の組み手を胸に、内場は拳を握りしめる。
(できれば僕も…せっかくなら皆にいいところを見せたい……!)
――――
「はぁー」
壁際で立ちながら組み手を見守る杉山がため息をつく。
「おや、どうしましたか?杉山隊長」
隣に立つ安藤が糸目を向ける。
「暇なんすよねー。ここ最近、任務も落ち着いたやつばっかだし。まぁ、いいことなんすけど」
杉山は口を尖らせながら天井を見つめる。
「俺も、混ざりてえなあ」




