第37話 戦場の外側
《秋葉原・レイディオ会館前》
真昼の秋葉原。
空は高く、雲ひとつない。
――にもかかわらず。
会館前には人だかりができ、無数のパトランプが赤と青の光を交互に路面へ叩きつけていた。
都市区画ごとを囲う規制線。
その外側では、スマートフォンを掲げる野次馬と、押し返す警察官の怒号が交錯している。
その内側――
現実から切り離された、もう一つの世界。
特災対戦術局・第3部隊は異能者たちとの交戦を終え、特殊部隊車両のハイエース付近で凍傷の応急処置を受けていた。
内場はアスファルトに腰を下ろしたまま、左手を見下ろしている。
手袋越しでも分かるほど、指先は白く、血の気がない。
感覚が、まだ戻らない。
「……グローブが白くなってますね」
背後から、落ち着いた声がした。
振り向くと、支援課の職員がしゃがみ込み、内場の手を観察している。
その声音には、戦闘の余韻も、緊張もない。
「触らないでください。こすらない。
今は、刺激を与えるのが一番まずいです」
そう言って手袋に手を伸ばしかけ――途中で止めた。
「……凍り付いてる。無理に外さないでおきますね」
職員は乾いたタオルを取り出し、手袋の表面についた露と霜だけを丁寧に拭い取る。
一つひとつの動作は淡々としていて、ここが数分前まで戦場だったことを感じさせない。
「寒いですか」
「……正直、よくわからないです」
「それでいいです」
短く頷くと、職員は保温シートを広げ、内場の肩からそっと包み込んだ。
さらに一歩近づき、内場の腕を自分の脇へ引き寄せる。
「急に温めない方がいいですね。体温でゆっくり戻しましょう」
内場は小さく息を吐いた。
冷たさの奥に、鈍い痺れが残っている。
「……これ、ちゃんと戻りますか」
「ええ」
即答だった。
「感覚が戻る途中で、かなり痛みます。来たら教えてください。
血が戻ってきている証拠ですから」
数秒。
数十秒。
「……っ」
内場の眉が歪む。
「……痛いです」
「はい。順調です」
職員はそれ以上何も言わず、内場の腕の位置を微調整する。
余計な励ましも、不安を煽る言葉もない。
「すぐ良くなりますからね」
内場は歯を食いしばり、黙って頷いた。
一通りの処置を終え、職員は他の隊員の対応のためその場を後にする。
内場は自分の手に視線を落とす。
(荒屋隊長たちが来るのが後一歩遅かったら、完全に凍ってたな……)
すると、足音。
ドルチェが歩いてきた。
「おい」
霜の残るサングラス越しに、鋭い視線が内場を射抜く。
「あの時、なぜすぐに撃たなかった」
内場は視線を落とす。
「……あの人は。あの人たちは。
人質を取って、立て籠もっていました。
でも……誰も殺していません。殺すほどでは――」
「お前がそんな緩い心持ちだから、全員死にかけたんだ」
言葉は短く、容赦がない。
「奴は俺たちを殺す気だった。
今回、誰も死ななかったのは運が良かっただけだ」
ドルチェは踵を返し、背を向ける。
「俺たちは正義のヒーローじゃない。
異能者に適切に対応する機関だ」
一歩、歩き出しながら言い捨てる。
「次は撃て。
でないと、お前はここにいる資格はない」
「……すみません」
ふん、と鼻で笑うと、
ドルチェは黒いロングコートを靡かせ、別の車両の方へと去っていった。
内場は、その背中を黙って見送る。
(誰も死なせない……その想いは、果たせた。
人質も。部隊の仲間も。そして……異能者も)
(でも――僕の迷いが皆を危険に晒したのは、事実だ)
(人を殺すことを躊躇う……
そんなに、おかしなことなのかな)
内場は、俯いた。
――――
少し離れた場所。
腕を組んで立つ荒屋。
その隣で、腰に手を当てて立つラチェノン。
第4部隊の隊員たちは、包囲網を突破した江頭の行方を追っている。
荒屋はラチェノンにそれまでの戦況を共有し、状況整理をしながら続報を待っていた。
「……ということだそうだ。
建物上層階にカテゴリー4相当の異能者が2人。
安藤たちが交戦し、1人は確保した」
「人質も無事救出できた。
任務としては……大凡クリアね」
ラチェノンは荒屋へ視線を向ける。
丸刈りの頭が、真昼の太陽光を眩しく反射している。
「あなたたち第3部隊は、“寄せ集め”だなんて言われがちだけど……カテゴリー4を2人同時に、分隊8人で相手するなんて、やるじゃない」
真っ赤な口紅を引いた唇が、わずかに吊り上がる。
「私は――“ある程度”は、認めているわよ。茂一ちゃん」
荒屋は答えない。
表情も、視線も変えず、ただ前を見据えたままだ。
「……堅物ねえ」
ラチェノンは、ふふっと笑った。
そのとき。
イヤーピースに、第4部隊の声が入る。
『ラチェノン隊長。逃亡した異能者を発見しました。
ですが――』
「……ですが?」
胸元の無線スイッチを押す。
『……死んでいます』
ラチェノンの目が、細くなる。
「おかしいわねぇ。
異能者は、異能の根源である“脳”を損傷しない限り、そう簡単には死なないはず。第3部隊、頭部への致命傷は?」
「いや……長谷川の報告では、胴体装甲を破るので精一杯だったそうだ」
『頭部に、貫通痕があります。
ただ……周辺が焼け爛れています。銃創ではありません』
「……別の異能者か?」
荒屋の声が低くなる。
「やあねぇ……。だとしたら、どうして仲間をあっさり殺すのかしら。それも……白昼堂々と」
ラチェノンは無線に指示を飛ばす。
「とりあえず、遺体は回収して。
サラウット、車を回して」
『こちらサラウット。了解』
通信を切り、ラチェノンは小さく呟いた。
「3人同時に現れて……
逃げた1人は、さらに別の異能者に始末される。
……きな臭くなってきたわねぇ」
荒屋は答えず、ただ腕を組んだまま、
真昼の光に照らされたレイディオ会館を見上げていた。
そこにはもう、戦闘の痕跡だけが残っている。
◆◆
真昼の光が、秋葉原に佇むビルの屋上を容赦なく照らしていた。
白く乾いた風が吹き抜け、遠くで車のクラクションと人波のざわめきが混じり合う。
レイディオ会館から少し離れたこの屋上で、
一人の男が縁に立ち、双眼鏡越しに戦場を覗いていた。
黒一色のコートに身を包んだ、鋭く痩せた青年。
その皮膚の半分は、生体金属のような硬質な灰白色の膜に覆われている。
陽光を受けても反射せず、ただ鈍く、死んだ色で光を吸っていた。
――槐禍人。
双眼鏡の向こうで、黒点のような人影が動く。
包囲網。
拘束された異能者を車に運び込む様子。
隊員達の応急処置。
その背後で、屋上の扉が静かに開いた。
「槐。奴らの戦力分析はできたか」
低く、抑揚のない声。
槐は双眼鏡を下ろし、振り返る。
「はい、聖様」
そこに立っていたのは、ロングコートを纏った男――聖。
昼の光の下でも、その存在だけが周囲から浮いて見えた。
聖は無言のまま歩み、屋上の端へと立つ。
視線の先には、黒い装甲服の集団に包囲されるレイディオ会館。
「30名強の戦闘員。主武装はアサルトライフル」
槐は淡々と報告する。
「高強度ワイヤーによる三次元包囲。
……やはり、通常の軍隊ではありません」
「ほう」
「少し前、隊員達が建物から出てきました。
砕堂と鮫田が車に運び込まれた様子も確認できました。
……すでに、あいつらは全滅したと見ていいでしょう」
「狩られたか。まあいい」
一瞬、聖の口元が歪む。
「江頭は俺が始末した。
虫けら如きに敗れ、敵を前にして逃げる。
俺の命令を果たせぬ駒など、不要だ」
その声音は、
誰かを殺した報告というより、不要な塵を捨てた感触に近かった。
槐は一歩下がり、静かに頭を下げる。
「……仰る通りです」
聖は再び、眼下の部隊を見下ろす。
「特災対か。下級異能者では歯が立たんだろうな。
複数の中級、戦闘異能を持たぬ月迦すら討ち取る力量。
脅威度は――低くはない」
「では、我ら“聖骸”が――」
槐の言葉を、聖は手で制した。
「今はいい。現時点で派手に動くのは、あの御方も好まれん。それに、まだこちらが動く段階でもあるまい」
風が吹き、ロングコートの裾が揺れる。
昼の空の下、その影だけが異様に濃かった。
聖は踵を返す。
「帰るぞ」
「……はい」
2人の異能者は、何事もなかったかのように屋上を後にする。
その背後で、真昼の東京は、何も知らぬ顔で騒音を響かせ続けていた。




