第35話 凍る戦場
《秋葉原・レイディオ会館/8階フロア》
「……使えねえ。どけ、江頭」
鮫田の吐き捨てるような声と同時に、空気が軋んだ。
目に見えないはずの冷気が、重さを持った圧として肌を撫でる。
一瞬で、肺の奥が冷える。
呼吸をするたび、喉の内側が凍りつくような感覚。
「氷刺突」
氷壁が、生き物のように蠢いた。
ジャキン――ッ!
乾いた破砕音。
壁の表面から、無数の氷柱が一斉に伸びる。
それはもはや“氷”ではない。
磨き上げられた槍。
人を殺す形を、正確に模した凶器。
「伏せろッ!」
隊員たちは反射的に身を屈める。
頭上を、氷の槍が風を裂いて通過する。
床に突き刺さった氷柱が、衝撃で細かく震え、
砕けた破片が金属音を立てて散る。
その隙に、江頭が呻きながら床を這い、
8階フロアの奥へと逃げていく。
「一点集中!撃って!」
安藤は氷柱を踏み台にするように跳び、
反転――バク転。
着地と同時に叫ぶ。
ダダダダダダッ!
銃声が重なり、
氷壁の中央一点を弾丸が穿つ。
だが、削れた端から即座に白い結晶が広がり、
穴は塞がれるのではなく、塗り替えられる。
「……再生が速すぎますね」
安藤が歯噛みする。
「長谷川くん!」
後方。
長谷川はすでに動いていた。
サーム弾を装填したHK416。
冷気に曇る照準器越しに、
隊員たちが削り続けている“一点”を捉える。
ダダダンッ!
閃光。
瞬間、氷が悲鳴を上げた。
局所的な高温に晒され、
氷壁の一部が音を立てて融解する。
ジュッ、と水蒸気が噴き出し、穴が開く。
だが、すぐ再凍結が始まる。
「押し広げてください!!」
即座に追撃。
隊員たちの弾丸がその穴に吸い込まれ、
内部で跳弾が乱反射する。
密閉されたエスカレーター空間に、
金属音と破砕音が反響する。
「――っ!」
一発が、鮫田の肩を掠めた。
「くそ!」
鮫田が顔を歪め、腕を大きく振る。
「串刺しにしてやる!」
ドンッ!
床が割れ、
氷柱が噴き上がる。
下から。
逃げ場を奪うように。
「ぐっ!」
隊員たちは跳び、転がり、
紙一重で回避する。
内場も同様に身を引き、
即座にHK416を構え直す。
(……いける!)
ダダダダダダッ!
天井まで突き上がった氷柱の隙間。
その向こうに見える、開きかけの穴へ弾丸を叩き込む。
削る。
再生する。
削る。
塞がる。
拮抗。
「穴を閉じさせるな!」
ドルチェのMP5SDが唸り、弾丸が氷を砕く。
その中で、内場の耳が拾う。
――左。
――足音。
――さらに、氷を“張る”音。
「中で、さらに氷壁を形成しています!」
報告の声が飛ぶ。
だが、長谷川のHK416がそれを掻き消す。
ダダダダダダッ!
サーム弾の閃光が連続し、
フロア全体が一瞬、昼のように白く染まる。
氷壁が次々と融解し、
無数の穴が穿たれる。
「くっ…!氷霧!」
フロア全体が、白に沈んだ。
大気中の水分が凍結し、広範囲に視界ゼロの濃霧が発生する。
「煙幕!?見えない!」
長谷川が焦りを滲んだ声を出す。
だが、内場は耳を澄ます。
――隊員がいない側。
――氷壁が“開く”音。
――走る足音。
「左へ逃走!」
ダダダダダダッ!
銃口が氷霧を切り裂く。
「ぐわ!」
霧の奥。
鮫田の声。
「当たりましたか!」
安藤が走る。
床を滑るように距離を詰め、
人影に銃口を向けた瞬間――
「棘状障壁!」
ドンッ!
地面を破り、
天井を貫く氷柱。
檻だ。
ダダダダダダダダッ!
弾は、氷柱に阻まれて届かない。
さらに、
安藤の足元からも氷が突き上がる。
瞬間、蹴る。
生えかけの氷を踏み、宙へ。
バク転。
着地。
発砲。
そして即座に退避。
「……防がれますか」
低く、安藤が呟く。
後方の隊員達の銃撃も氷柱に阻まれ、
銃弾は鮫田を捉えない。
だが――
そのさらに内側へ踏み込む影。
内場。
反響音で位置を割り出し、足音を追う。
「殺せ!」
霧の中からドルチェの声が飛ぶ。
だが内場は――
銃を、バットのように振りかぶった。
手を向ける鮫田。
パキ……パキ……
空気が鳴る。
「冷気衝撃波――」
だが――
「おりゃあ!」
HK416を肩に叩きつける。
体制を崩し、腕が逸れ――
バキバキバキバキ!
冷気は隊員のいない、エスカレーター左側の方向へ解き放たれ、フロアの半分が氷に覆われる。
鮫田はそのまま床に尻を付く。
「確保する!降参しろ!」
HK416の銃口が向く。
「……へへ」
鮫田の目が光る。
「お前らを殺さなきゃ……“組織”に認められないんだよ」
内場は引き金にかける人差し指に力を込める。
(……止めなければ)
――冷気の濃霧によって視界ゼロ。
僕が、何とかしなければ。
引き金に添えた指が震える。
息が荒くなる。
「頼む。降参してくれ……」
内場のその言葉を聞いて――鮫田は笑った。
「極寒領域」
世界が、凍った。
フロアに点在する氷海と氷柱が、音を立てて脈打つ。
それらから、霜の触手のような氷が空間へと伸びていく。
(……まずい)
内場のタクティカルスーツに、霜が這い上がった。
装甲の隙間から熱が奪われ、皮膚感覚が鈍っていく。
呼気が白く弾け、視界の縁が暗く滲んだ。
(あっ……これ、このまま……凍る)
指が動かなくなる。
急激な冷却が思考を削り、意識が遠のく。
(死ぬ……)
「…今のうちに!」
鮫田が非常階段へ向かってよろめきながら歩く。
被弾した肩や太ももから血が滴れ、凍った床に赤い足跡を作る。
(くそ…傷を負った上、奥義の極寒領域まで使用した……
眩暈がする……一度、立て直す!)
扉一面を覆う氷を操り、凍結を解除する。
氷が軋む音を立て、表面が脆く崩れ始めた。
そのまま、取っ手に手を伸ばす――
ドォォンッッ!!
乾いた破裂音。
取っ手が弾け飛び、金属片が散る。
同時に、銃弾が鮫田の右腕を貫通した。
肉が抉られ、血が氷の上に弾く。
「――ぐわぁ!」
衝撃に身体が流れ、鮫田はよろめく。
次の瞬間――
扉が、外側から蹴り破られた。
粉砕された氷と破片の向こうに、荒屋分隊が立つ。
先頭、木ノ下。
ショットガンのBenelli M4を構え、その半歩後ろに荒屋。
背後には白柳、さらに3名の隊員が低姿勢で続く。
「なっ……!」
鮫田が、傷ついていない左手を反射的に上げる。
「むんっ!!」
荒屋が踏み込み、間合いゼロで右手を伸ばし、鮫田の襟を掴む。
そのまま身体を引き寄せ、腰に乗せる。
ダンッッッ!!
床一面に貼り付いた氷が爆ぜる。
衝撃と共に、鮫田の身体が頭から氷床に叩き込まれ、めり込んだ。
「白柳!!」
「あたぼうよ!」
白柳が即座にスタンガンを腰から引き抜き、照準。
バチィィ!!
青白い火花が走り、電撃が鮫田の身体を貫く。
「ぎぃ!!」
短い悲鳴。
鮫田の身体が強張り、そのまま動かなくなった。
木ノ下が間髪入れずに上体を引き起こし、
異能制御装置を鮫田の頭部へ装着する。
「確保!」
鮫田は両脇を隊員に抱えられ、完全に制圧された。
――その瞬間。
レイディオ会館全体を覆っていた氷が、音を立てて緩み始める。
天井から、壁から、床から。
溶けた雫が、ぽつり、ぽつりと落ちる。
「……助かった……」
内場が、凍りついた喉で呟き、やつれた顔を上げる。
「全員、無事か」
荒屋が、濃霧の立ちこめる8階フロアを見渡す。
「……無事です」
安藤が、ようやく声を絞り出す。
荒屋は極寒と化したフロアへ踏み込み、周囲を確認する。
そして内場へ手を伸ばす。
内場は、氷に覆われた手袋でその手を掴み、
引き上げられるように身体を起こした。
「戻るのが遅くなってすまん…よく持ち堪えた」
短い言葉だったが、重みがあった。
――隊員達が互いに身体を擡げ、身体を起こす。
その様子を、8階の隅から睨む影があった。
(鮫田がやられた…俺も皮膚が破られている…)
亀裂の入った胸と腹部を押さえながら、江頭がわずかに上体を起こす。
(もはや……撤退しかない)
江頭の目が、光った。




