第33話 救助と劣勢
《秋葉原・レイディオ会館/8階フロア》
停止したエスカレーターを、男が静かに降りてくる。
――鮫田開智。
灰色のパーカー。低い身長。
だが、姿を視認した瞬間、フロアの空気が変わった。
温度が、落ちる。
床に近い空気から冷え、指先の感覚が鈍っていく。
呼吸をするたび、白い息が漏れた。
(……寒い)
否。
これは“寒さ”じゃない。
――殺意に似た圧だ。
(目の前の男1人にすら、手こずってるのに……
ここで、もう1人来たら……)
内場の背中を、嫌な汗が伝った。
こちらは8名の分隊。相手は2人の異能者。
状況は最悪と言わざるを得ない。
考えるより先に、体が動く。
内場は鮫田の足元へ照準を合わせた。
同時だった。
安藤分隊全員の銃口が、一斉に鮫田へ向く。
「氷壁」
淡々とした声。
次の瞬間――
床と天井から、氷が“生えた”。
壁、というより“結晶”だ。
分厚い氷塊がエスカレーター全体を覆い、完全に遮断する。
ダダダダダダダダッ!
銃弾が氷を削る。
だが、砕けない。貫通もしない。
「……っ!」
内場の喉が鳴る。
「こいつが事前情報のあった氷の異能者……
しかも、銃弾を防げるのか」
ドルチェが舌打ちする。
(まずい……。だけど……)
内場は耳に意識を集中させた。
――上階。
震える呼吸。10人前後。
氷壁の向こう、鮫田の足音が8階に降りる。
(9階は……今なら)
そうだ。今回の最優先は、"人質の救助"。
「こちら内場! 8階で異能者2人と交戦中!
9階は……ガラ空きです!」
◆◆
《秋葉原・レイディオ会館/非常階段・9階前》
人質の安全確保のため、荒屋と白柳、他4名の分隊は、非常階段を上がった先の扉の前で静止していた。
8階から響く銃声が、壁越しに微かに伝わってくる。
一発一発が、時間を刻むように重い。
内場からの無線。
内容を聞いた瞬間、荒屋の目が鋭く見開かれた。
「――人質を即刻救助せよ!」
短い号令。
次の瞬間、扉が蹴破られた。
鈍い破砕音。
冷気が、噴き出す。
そこはカードショップが立ち並ぶフロアだった。
ガラスケースに並ぶカードは色鮮やかなはずだが、
表面は白く曇り、縁には霜が張り付いている。
空気が、痛い。
呼吸するたび、肺の奥がひりつくほど冷たい。
鮫田の冷気の影響だろう。
ショーケースの隙間。
床に転がるように、縛られた人質が11人。
年齢も性別もばらばら。
皆、訳も分からぬまま拘束され、身を寄せ合って震えている。
階下から響く銃声に、誰かが小さく悲鳴を漏らした。
「――救助に来た!」
荒屋の声が、はっきりと響く。
「すぐに避難する。立てる人から動け」
その一言で、張り詰めていた何かが切れた。
「あ……ありがとうございます……」
「助かった……本当に……」
声にならない声。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔。
隊員たちは手際よく拘束を解き、人質を引き起こす。
指先が、かじかんで思うように動かない。
「ゆっくりでいい。転ぶな」
背中を支え、肩を貸し、非常階段へと誘導する。
「荒屋のオヤジ、こいつら凍えちまってらぁ」
白柳が、年老いた女性を肩に担ぎながら言った。
女性は、意識はあるが、歯を鳴らして震えている。
荒屋は無線を口元に寄せる。
「こちら第3部隊・荒屋。人質を救出。
全員、低体温症および凍傷の恐れあり。
救急車両を即刻手配せよ」
簡潔で、迷いのない報告。
無線を切り、荒屋は歩けない人質と腕を組む。
「大丈夫だ。もう少しだ」
それが命令なのか、励ましなのかは分からない。
だが、その低い声には、不思議な説得力があった。
人質たちは、必死に足を動かす。
8階で、再び銃声が強くなる。
荒屋は階段を降りる最中、一度だけ、8階に通じる扉を振り返った。
(すぐに戻る。……持ちこたえろ)
荒屋達は、人質を連れて9階を後にし、非常階段を降る。
◆◆
《秋葉原・レイディオ会館/8階フロア》
壁を隔て、銃弾を受け止める氷の向こう。
鮫田は、銃声に紛れた上階の物音を聞き取った。
「……まだいたのか」
「どうする」
氷壁の外側にいる江頭が問う。
両手の掌から生えた湾刀状の刃が、鈍く光る。
「人質、逃げるぞ」
「構わない」
鮫田は即答した。
「目的は“特災対”だ。
目の前の連中を潰せば、それでいい」
その言葉が、合図だった。
エスカレーター周辺を起点に天井に氷が張っていく。
そのまま壁を伝い――エスカレーターの9階開口部と、非常階段に通じる扉を覆う。
「逃がさない」
鮫田がフードの下で口角を上げた。
(退路が塞がれた!)
氷が張る様子を見た内場の顔に、焦燥が浮かぶ。
ダダダダダダダダッ!
隊員達が、鮫田を囲む氷壁を削りにかかる。
氷の破片が飛び散り、亀裂が入る。
「さすがにこの量の銃撃は厄介だ。江頭、前線を」
「わかってる」
内場と李の前に、皮膚を黒く硬化させた江頭が踏み込む。
刃を振りかざし、迷いなく。
「避けるのじゃ!」
李の叫び。
横薙ぎの一閃。
李は剣閃よりも高く跳ぶ。
内場は、反射的に身を沈める。
ヒュン――
刃が、風を切る。
「くそ……!」
内場は跳ね起き、銃を向ける。
ダダダダダダダダッ!
当たっている。
だが――止まらない。
江頭は、びくともしない。
(やはり効かない…これだけ銃弾を叩き込んでもヒビすら入らない。どれだけ撃っても意味がない)
再び、刃が振り上げられる。
(――常に、先を読め)
不意に、体術の稽古の際の荒屋の声が頭を過ぎる。
内場は“刃”ではなく、“肩”を見る。
(来る……斜めだ!)
身を引く。
ヒュン――
死が、頬を掠めた。
冷や汗が、首筋を流れる。
止まらない。
江頭の攻撃は、間断がない。
「発勁!!」
ドッ!
横から、李の掌底が叩き込まれる。
江頭が、わずかに体勢を崩す。
――だが。
パキ、パキ……
異音。
壁の向こう。
銃弾に削られる氷。
その隙間から――
鮫田が、こちらに手を向けていた。
空気中水分が凍る音。気温差による空気の流れ。
内場の耳が、悲鳴を上げる。
「冷気衝撃波」
何かが来る――!
「うらぁぁぁぁ!!」
叫びと共に、無理やり体を動かす。
後方へ跳び、床を滑る。
バキバキバキバキ!!
直線上の棚、床、空気――すべてが凍りつく。
視界の端で、江頭が“凍った”。
(……仲間ごと!?)
だが、次の瞬間。
パキィ!
氷を砕き、江頭は動いた。
何事もなかったかのように。
江頭が、再び内場に向かって踏み込む。
(皮膚の装甲……温度すら、通さない!?)
ザン!ザン!ザン!
江頭の刃が両側にある商品棚ごと切り裂きながら、内場に迫る。
避ける。
避ける。
避け続けるしかない。
(避けれる!多分、武器の扱いに関しては素人だ!
だけど……打つ手がない……詰んでる)
ザシュッ
刃が掠り、キャリアプレートに傷が走る。
「くそ……」
銃は効かない。
氷も効かない。
こんなの、もはやズルだ。
異能者同士が連携すれば、完全にこちらが削られる。
ダダダダダダッ!
銃声。目の前の江頭から火花が散る。
「内場くん!!」
長谷川の銃声。
――――
長谷川は内場を気にかけ、再び照準を江頭に向ける。
だが、無駄弾になる。執拗に撃つ意味はないだろう。
(……ダメだ。あの凍りついた扉も開ける隙はない。
体制を立て直すこともできない)
長谷川の思考が、焦りで渦巻く。
(スモークは意味がない)
(手榴弾は巻き込む。効くかもわからない)
(氷は………)
――その瞬間。
(……!)
脳裏で、何かが繋がった。
「内場くん!」
長谷川は内場に向かって叫ぶ。
「もう少し、耐えて!」
ポーチに手を突っ込み、弾丸を取り出す。
ブリーフィングにて事前準備した"あの弾丸"。
(……いける)
心臓が、強く打つ。
(これなら……きっと、突破できる)
長谷川は、歯を食いしばった。




