第二十四章:これからの作戦
馬車の中は、朝のひんやりとした空気が入り込み、静かな安堵に包まれていた。
謝罪という第一関門を無事に越えたウィリアルドは、窓の外をぼんやりと眺めながら、胸の内に広がる感情を整理しようとしていた。
ウィリアルドはふと目を細め、何か思い出すように頬を緩めた。
「笑ってくれたんだ。あのクラリスが……いやセランが」
「殿下、もう少しお気持ちを抑えた方が……」
「ふふ……なんというか、こんなにも彼女の笑顔に心が踊るとは思っていなかったよ」
ライナートは小さくため息をつく。
「殿下、あまり舞い上がってはなりません。あくまで慎重に、です」
「わかってるよ……でもな、ライナート。まるで夢を見ているようなんだ」
「夢見心地で突撃なさらないよう、お願いしますよ」
「…わかっている」
「今日も触れようとなさっていましたが?」
「あれは…仕方ないだろう…」
「…殿下はクラリス様のことになる自制が一切効かないですから」
ライナートの呆れた視線に、ウィリアルドはわざとらしく咳払いをした。
「おほん……まあ今日はなんとか、受け入れてもらえたな」
「…ええ、殿下の誠意は十分に伝わったと思います」
対面に座るライナートが、あまり追及せず落ち着いた声で応じる。
「でも、どう思う? あの反応……何か事情があって身を隠しているにしては、どうもおかしい」
「殿下に対する反応も、おかしかったですね」
「彼女には本当に心配してくれる……家族がいる」
「本当にクラリス様だとすると……」
「やっぱり、記憶が――ないのだろうか」
ウィリアルドは苦く笑った。
「自分の名前も覚えていらっしゃらないようですね」
しばしの沈黙が、馬車の揺れと共に続いた。
「名前と言えば……セラン嬢が『ライナートさん』って呼んでいたな」
ウィリアルドの目が細くなる。
「……ええ?」
「私の名前は最後まで一度も呼ばれなかったのに!」
その言葉に、ライナートは少し目を逸らした。
「……それは、まあ、常連として顔を覚えられていただけかと」
「羨ましいな」
「殿下?」
今度はライナートの目が細くなる。
「いや、なんでもない。これからは私が通うよ。
記憶喪失なら、少しずつ、何かを思い出すかもしれないし」
ライナートは少し驚き、そして静かに頷いた。
「承知しました。では、しばらくはお一人で、
私は外で待機しております」
「彼女にとって私が“危害を加える人間じゃない”って理解してもらわないとね」
馬車はゆるやかに王宮へと戻っていく。
空の色はだんだんと明るくなり、今日という新たな一日が始まろうとしていた。
***
翌朝のエルヴェリア学園。
ウィリアルドが校門をくぐると、リアナがすぐに気づいて歩み寄ってきた。
「おはようございます、ウィリアルド様」
「おはよう、ルーデンドルフ嬢」
リアナは少しだけ躊躇した後、微笑んで口を開いた。
「……昨日も授業をお休みされていましたよね。
もし、何かお仕事で手伝えることがあれば、遠慮なくお申し付けください」
「ありがとう。でもこれは、僕が自分でやらなければならない仕事なんだ」
「……そうですか」
リアナは微かに視線を落としたが、すぐに顔を上げて問いかけた。
「……これからも、お休みされることが増えるのですか?」
「うん。もともと学園での授業は形式的なものだったし、
王太子教育として必要な内容はもう修めている。これからは、自分に必要な学びに集中するよ」
リアナはそれ以上何も言えず、小さく頷いた。
***
午前の授業中、ウィリアルドはどこか上の空だった。筆記の手も軽やかで、時折ふと窓の外を眺めては微笑んでいる。
彼の頬には、僅かながら紅潮のようなものが差していた。
(昨日のあの笑顔……)
思い出すだけで、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「……ふふ」
無意識に漏れた笑みに、周囲の生徒が怪訝そうに見つめたが、本人は気づかない。
そんなウィリアルドの様子を、隣の席からリアナがじっと見つめていた。
(……妙に嬉しそう。何かいいことでもあったのかしら)
彼女の視線には、不安と、わずかな寂しさの入り混じったまなざしが宿っていた。
***
午後、授業の途中でそっと学舎を抜け出したウィリアルドは、制服から庶民風の服に着替え、髪を隠すためにカツラを被る。一輪の星霞草を手にして王都南部へ向かっていた。
目指す先は、あの小さな食堂《星霞亭》。
あの笑顔に、もう一度会うために――。
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