第二十章:彼女の謎
それから数日、ライナート・グレイアスは
王都南部にある小さな食堂《星霞亭》に、毎日のように通っていた。
庶民に溶け込むために、きちんとした軍服は脱ぎ、簡素なシャツとコートに身を包む。
最初は怪訝な目を向けられたものの、何度か通ううちに、店の人々とも自然に挨拶を交わすようになっていた。
(変装とはいえ、毎日通うとなるとさすがに顔を覚えられるな)
店に入れば、扉の音に気づいたセランが「いらっしゃいませ」とにこやかに声をかけてくる。
「お好きな席へどうぞ。今日は鶏の香草焼きがおすすめです!」
彼女は微笑んで言う。
その声に、何度聞いても、心がわずかに震える。
(やはりクラリス様に似ている……いや、それ以上に、同じにしか思えない)
決定的な証拠はない。
しかし、日に日に確信に近づく感覚が、ライナートを離さなかった。
そんなある日。
昼過ぎの店内。
扉が開き、酒樽を抱えた青年――リオン・アルバが姿を現した。
セランに手を振って挨拶を交わすその様子を見て、ライナートは水を口に運びながら視線を逸らす。
厨房の方から現れた青年――リオンが、明らかに警戒した表情でライナートに近づいてきた。
「アンタ……この前、八百屋でセランに声かけてきた人だろ」
セランが慌てて間に入る。
「リオン、やめて。お客さんよ」
ライナートは顔を上げた。相手は、あの時、兄弟で買い物をしていた青年だ。
「確かに、以前お見かけしたな。だが、私はただ……」
「金髪の女の子を探してるって言ってたよな。まさか、セランのことを?」
リオンの視線は疑いに満ちていた。
店内の空気が、少しぴんと張り詰める。
その様子を察知してか、奥からヴェルド夫妻が姿を現した。
「……どうかしましたか?」
女将が、落ち着いて鋭い目でライナートを見た。
「この方が、うちの娘に何か?」
ライナートは一瞬迷った。
(名乗るべきか? だが、ここで王太子付き近衛騎士と明かせば、相手を無用に怯えさせてしまうだろう)
(……いや、今はまだ、“旅人”として接するべきだ)
そう自らに言い聞かせ、
ライナートは立ち上がり、丁寧に一礼した。
「ご無礼をお許しください。……実のところ、
私はこの街で“ある人物”を探しておりまして。
しかし、あなた方の娘さんがその方にあまりにも似ていたので、つい……」
ヴェルド夫妻は顔を見合わせた。
「その“ある人物”とやらが、うちの娘セランに似ていると?」
「はい……あまりに……」
「……けれど、うちのセランは、この通りの向こうで育ってきました。
どなたかは知りませんが、他に縁のあるような家じゃありませんよ」
「……そうですか」
(ならば、顔も、声も、偶然の一致なのか……?)
「娘を不安がらせるような真似は、二度とおやめください」
女将の声は柔らかくも、芯が通っていた。
ライナートはその言葉に一瞬迷った。
(もし彼女が“本当に”クラリス様なら――自らの意志でここにいる可能性もある)
「……申し訳ありません。無礼を詫びます」
彼はその想いを胸に押し込み、静かに一礼して店を後にした。
***
その日の夕刻。
ウィリアルドの私室で、ライナートは報告を行っていた。
「……姿、声。どれをとっても酷似しておりました。
ですが、彼女自身はまるで私を知らない様子でした……」
「別人だとでもいうのか?」
「……判断がつきません。ただ、私の目には……まぎれもなく“彼女”に見えました」
ウィリアルドは沈黙したまま、窓の外を見つめる。
西陽が金の光を差し込んでいる。
「……行こう」
「殿下……?」
「僕自身の目で確かめる。……クラリスが、そこにいるのなら」
ライナートは深く頭を下げた。
「かしこまりました。すぐに手配いたします」
次の朝、ウィリアルドは王太子の姿を脱ぎ捨て、ふたたび――彼女のもとへ向かうこととなる。
運命の再会は、すぐそこまで迫っていた。
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