8・お勉強は好きなんです
8・お勉強は好きなんです
どんなことがあっても、授業はきちんと受けます。私は生物や科学や歴史が大好きで、今まで知らなかったことを教えて貰えるのは、とっても楽しくてどきどきするんです。数学や外国語は、覚えていると好きな教科がもっと楽しくなるから、難しくても頑張れます。だけど、『好きだから』『苦手でも頑張れるから』といって、成績がいいとは限らなくて・・・
「基本は出来ていますよ。あとはニアミスと、落ち着いて問題を読むことですね。特に、見直しする時。問題の流し見は危ないですよ」
一昨日やったミニテストが返ってきました。
科学の笠原先生は、度のきつそうな眼鏡をかけていて、ボサボサに伸びた髪を無造作に後ろでまとめています。痩せ気味の長身を丸めて、アロハシャツの上から白衣姿がトレードマーク。赤点をとっても怒らないで、ちゃんとポイントを個人個人に教えてくれるから、人気のある先生なんです。
「… は〜い。気をつけます」
おかしいなぁ~、何回も見直ししたんだけどなぁ。
教壇から席に戻りながら、返されたテスト用紙とニラメッコです。皆も、返されたテストを睨んだり、お友達通して答えを見せ合ったり、教室内はちょっと賑やか。
「人間って大変ね。こんな変なモノ、覚えなきゃいけないなんて。時間の無駄じゃないの?」
「覚えなくても生活に支障はないけれど、覚えておいて損はないんだって。… って、ミエルちゃん!」
テスト用紙の名前のところに、朱いリボンと蜂蜜色のツインテールにまとめた巻毛が現れて、驚いて、思わずテストでミエルちゃんを包んじゃいました。あ、もちろん、優しくね。
「白川さん、そんなにダメだったの? 僕も散々だったよ~。ねぇ、今日の補習出ない? 一緒に勉強しようよ」
すぐ近くの席の男子が私の行動に気がついて、私に声をかけてくれたんだけれど、御免なさい。私、まだクラスメイトの名前とお顔、全員覚えていないんです。
「あ、今日の放課後は…」
「先約があるから無理だよ。ほら、先生が解説してくれるから、席に着こう」
放課後はミエルちゃんの鍵を捜したいから、どうやって断ろうかと考えていたら、後ろから現れた冬龍君が私の代わりに断ってくれました。ついでに私の両肩を軽く押しながら、席まで誘導してくれました。
「ありがとう、冬龍君」
「見える人は限られているから、自然にしていた方が良いよ」
冬龍君は丸めたテスト用紙を指さして、耳元でコソっと言って、自分の席に戻りました。
私の席は窓際の真ん中で、冬龍君の席は教室の真ん中の列の一番後ろなんです。
「そっか、そうだった。ミエルちゃんが視える人って、なかなか居ないんだよね」
自分の席に座った冬龍君に軽く手を降ってから、そっと机の上で丸めたテストを開きました。
「ちょっと、この私を虫みたいな扱いにしないでくれる!」
少し乱れたツインテールを手櫛で整えて、朱いリボンを直しながら、ミエルちゃんはプンプン怒っていました。
「ごめんね、つい…」
「こんな訳も分からない事ばかりに大切な時間を使っているから、私達みたいな尊い存在が視えなくなっちゃったのよ」
ミエルちゃんの洋服は、私達と同じ白いセーラー服。襟や袖に細い朱色の3本のセーラーテープも入っているし、胸元の朱のスカーフも同じです。いまはスカーフの中央に、ルビーの鍵が揺れています。
「私達のしているお勉強ってね、お勉強の内容によっては、生活や趣味が今より充実するんだって」
「例えば?」
「ん~… あ!」
良い事を思い出して、いそいそと机の端に教科書を立てました。笠原先生に机の上が見えない様に。
「今朝ね、芝桜の虫よけにと思って、木酢液を持って来たの。木酢液ってね、木炭をつくる時に出る煙を冷やして、液体にしたものなんだよ。土にとって栄養のある物をいれて土を健康にしたり、植物の成長促進に役立つの。化学肥料や農薬をできるだけ避けた有機農業っていう分野なんかで注目されているんだけれど、木酢液は強い酸性のだから原液で使うことができないんだって」
そして、ミエルちゃんにコソコソと説明しながら、スマートフォンを取り出して家族のグループLINEを開きました。そこには、今朝、冬龍君のお母さんから「木酢液の使い方だよ」と送ってくれたメッセージがあります。
「ほら、これ… 薄めないで原液のままだと、強殺菌作用。0〜100倍で殺菌作用。200〜300倍で作物の生育抑制。500〜1000倍で作物の生長促進。
使う時は必ず薄めるの。どれぐらい薄めるかで、効果も変わって来るんだって。それをどのぐらい薄めるのかは、数学っていう数字のお勉強をしていないと難しいかな。感でやってもいいかもしれないけれど、ちゃんと効果が出るか分からないし、強過ぎちゃうかもしれないでしょう? 植物が育つのを助けようとしていても、強過ぎたら枯れちゃうから」
「良い事もあるのね。私達の役に立つのなら、たくさん頑張りなさい」
ミエルちゃんはスマートフォンの画面に乗っかって、しげしげと見ています。珍しいのかな?
「白川さん」
コソコソしている私に、後ろの席の女子がソッと声をかけてきました。
「はひ!」
やましい気持ちがあったせいなのか、ものすっごく驚いちゃって、ガタガタと椅子から立ち上がっちゃいました。
「白川さん、質問ですか?」
教室の視線を独り占めです。いつの間にか、ミニテストの解説が始まっていました。
「あ、大丈夫です。すみません」
「では、続けます」
ペコっと頭を下げて慌てて着席すると、笠原先生は何事もなかったように解説を再開しました。
「白川さん、これ落ちたよ」
「あ、驚いちゃってゴメンね。… ありがとう」
後ろの席の子が少し身を乗り出して、ソッと私の机の端に何かを置いてくれました。お礼を言ってソレを見てみると、クローバーの刺繍がされた白いお守り袋でした。
「これは何?」
ミエルちゃんは興味津々でお守り袋を抱えて、あっちこっちと観察し始めました。
「お守り袋。お姉(従姉)ちゃんの手作りで、家族でお揃いなんだよ。刺繍されているクローバーの色はみんな違うんだ」
そこまで言って、思い出しました。
「さっきね、冬龍君とブルガリアの森に行ってきたの。そこで、真っ白で長い髪の毛とお髭に全身が隠れた精霊さんとナゾナゾして… お名前、なんて言ったっけ? レーサー?レーザー? レ… レ…」
姿は思い出せたのに、お名前がなかなか思い出せません。お名前、喉元まででかかっているんだけれどなぁ…
「『レーシー』だ二ヤァ」
悩んでいる私に、ちょっとザラとした質感の声が教えてくれました。
「あ、そうそう、『レーシー』さん。ようやく出て来… たぁー!!」
目の前。机の端に立てた教科書の上に、猫さんがチョコンとお座りしていました。黒に近い深緑色の瞳と毛並みで、胸の一部だけ白い毛。お耳が長いんです。そんな猫さんに驚いて、さっきよりさらに大きな音を立てて、立ち上がってしまいました。またまた、教室の視線を独り占めです。
「白川さん…」
「… ごめんなさい、先生」
笠原先生、怒ってはいないけれど、呆れてはいるかな? いつもヒョウヒョウとした表情だから良く分からないけれど、ため息ついたもんね。
シュン… として謝って、これ以上授業妨害しちゃまずいからと、ソッと廊下を指さしました。
「早めの休憩、どうぞ」
そんな私の気持ちに気が付いてくれたのか、笠原先生は声を荒げることなく廊下に出る許可をくれました。




