54・歌姫の絵
54・歌姫の絵
濃紺の単衣姿の冬龍君はとても素敵で、電車の中や道行く人達の視線を一身に集めていました。
弓道着姿や、奉納舞の和装は見慣れているし、お正月はそれこそ着物だし、それはそれで似合っていて素敵なんですけれど、今日は何時にも増して素敵なんです。いつもみたいに手を繋いで、私の右側を歩く冬龍君をチラチラみているんですけれど… 何が違うのかな?
「お待たせ。さ、入ろう」
チケット売り場に立つ冬龍君の後ろ姿に見とれていると、不意にクルっと振り返ったので、ちょっとだけ驚いちゃいました。
冬龍君の事が気になり過ぎていて、どんなお話ししながら歩いていたのかも、どんな道を歩いたのかも、全然覚えていなくて、気が付いたら目的の美術館です。
「あ、ありがとう。
冬龍君、あの…」
チケット代を払おうとしたんだけれど、それより早く手を繋がれて、館内に入場しちゃいました。館内の灯りは随分と控えめだし、場所が場所でとっても静かだから、思わず声を押さえて言いました。
「あのね、チケット代、ちゃんと払わせて」
「… じゃぁ、ここを出た時のお茶、ご馳走してもらおうかな」
ほんのちょっとだけ考えた冬龍君は、ニコッと笑って進みます。
… ランチじゃなくって、お茶の方なのね。お小遣いは同じなんだから、お財布の中身事情は分かっちゃってるんだからね。
「じゃぁ、美味しいパフェでも食べようね」
でも、冬龍君はお金を受け取ってくれないだろうから、お店でいっちばん美味しそうなモノを頼もう。
昨日、『明日か明後日、気分転換にどこかに行きたいんだけれど…』 と、勉強中の冬龍君を誘ったのは、夜の8時近くでした。
「テスト勉強は?」
そう言われると覚悟していたのだけれど、その言葉はありませんでした。代わりに、冬龍君は自分のスマートフォンをいじって、美術館の画面を見せてくれました。
「ここ、行かない?」
スマートフォンの画面には、美術館の外観しか映っていなかったから、何を見に行くのか分からなかったんだけれど、それもお楽しみでいいかな? と思って、頷きました。
だから、今、入場口を通って、展示室に入ったこの瞬間、とってもとぉっても驚きました!
「… 和桜ちゃん、大丈夫? 呼吸、出来てる?」
多分、ちゃんと呼吸出来てないと思う。
足が止まったままだし、言葉が出ません。その代わり、涙が出て来ました。展示室に入った瞬間、目の前のクリーム色の壁にドン!と飾られていたのは…
『私の歌姫』
と名前が付いた歌姫の絵です。
歌姫は横向きの少女で、少しつま先立ちです。春風を連想させる柔らかな空気を受けて、艶やかな長い黒髪や白いセーラー服がなびいています。その空気に向けて、少女は細く長い両手をゆったりと開いて、赤い小さなお口を開いて歌っています。
歌声が、聞こえてくる…
「桃華お姉ちゃんだ」
聞きなれた、綺麗な歌声。私の一番大好きな歌声。
この絵のモデルさんは、梅吉兄さんの妹の桃華お姉ちゃんです。そして、この絵を描いたのは…
「姉さんの絵、数点だけれど今回飾られているんだって」
そうです、従姉の桜雨お姉ちゃんの絵なんです。
「姉さんから話を聞いて、和桜ちゃんを連れて来たかったんだ」
冬龍君はポロっと零れた私の涙をハンカチで拭いてくれながら、繋いだままの手にキュッと力を入れて微笑んでくれました。
「ゆっくり、観ようね」
「うん」
冬龍君のリードは、展示室の入り口まででした。室内では冬龍君の言葉通り、ゆっくりゆっくり… 飾られた絵を一枚一枚、時間をかけて観ることが出来ました。冬龍君は飽きる素振りも無く一緒にじっくり見てくれて、他の人の迷惑にならない様に、コソコソと感想や気が付いた事をお互いの耳元に囁いたりして、本当に時間を忘れていました。




