98(バレンタインSS)
「セシア!」
第二王子妃の執務室、と言う名の勉強部屋で今日も今日とて教師と睨み合いを続けていたセシアは、突然現れた義妹・メイヴィスの登場に目を丸くした。
ちなみにセシアは座学は得意だが、淑女教育が滞っていて特に刺繍は大の苦手だ。繕い物ならば出来るのに。
「メイ様、どうされました?」
わたくし達、お友達でしょう! というメイヴィスの鶴の一声でこの二人の間に関してのみ、先触れなどを出さずとも互いの部屋を行き来することは予め了承済だ。それでも当然おおまかなスケジュールを確認してから訪問されるので、今のところセシアは困ったことがない。
「そろそろ休憩時間でしょう、一緒に作戦会議に参加して!」
「それは勿論構いませんが……さくせん、かいぎ?」
教師に視線で了解を取りつつ、セシアは首を傾げた。
部屋のソファに移動して、二人は向かい合って座る。メイドがテキパキをお茶を淹れてくれて、しばしその香りと味を楽しんだ。
やがて、おもむろにメイヴィスが口火を切る。
「お勉強は順調?」
「ええ、まぁ……各国の主要人物の名前と顔を覚えるのがちょっと大変なぐらいでしょうか」
本来時間を掛けて行われる妃教育だが、セシアの場合は経緯が経緯なだけに圧倒的に時間が足りない。優先事項から学んで行く為、結果効率が悪い場合も多かった。
二度に渡る学園生活のおかげで、歴史や他国の文化といった座学の範囲が大幅に省略が可能だったのは、本当に助かった。
「実際にお会いすると、絵姿とはまた少し違うものね」
紅茶のカップの持ち手を優雅に摘まんで、メイヴィスは小さく苦笑を浮かべる。
彼女はセシアよりも年若いが、生まれた時から王族として育ち成人にこそ至っていないものの王族としてこなすべき公務は日々精力的にこなしている。政治的なものではなく、社会奉仕などが主な公務だが、愛らしく心の清らかな第二王女は、第二王子ともども国民に大人気だ。
結果的に罪を償っていたとはいえ元罪人であるセシアを、マーカスが妃に娶ると公表した際にはさすがに民にも様々な意見が出たものだが、今も大きな騒ぎにはなっておらずセシアのこれからの働きによって認めてもらえる空気が出来ているのは、メイヴィスがおおっぴらにセシアと親しく接してくれていることも大きい。
政治権力に絡まず、無垢で純真、そして真面目な第二王女がそこまで懐いているのならば悪い奴ではないのかも? という意識操作の効果がある。勿論メイヴィス自身にはそんな意図はないのだろうけれど、セシアにとっては本当に有難い。
「それでね、セシア」
カップをテーブルに置いたメイヴィスは、居住まいを正す。改まった雰囲気に、セシアも背筋を伸ばした。
「作戦会議なのだけれど」
「はい」
「…………セシアは、最近街で流行っている催しを知っているかしら」
「えーと、あれですか? 豆を投げて魔を祓うとかいう他国の祭り……」
「違うわ」
珍しくメイヴィスにぴしゃりと言われて、セシアは瞳を瞬く。強く言い過ぎた、とすぐに反省したメイヴィスは口元に手を当てて躊躇うようにして視線を下げた。
「ごめんなさい……」
「いえ、あの、ではあちらでしょうか。チョコレートを好きな人に贈るという」
「そう! それよ!」
途端、ぱぁっとメイヴィスの表情が明るいものになる。翡翠の瞳はきらきらと輝き、頬がわずかに紅潮していた。
可愛らしくて、思わずセシアも微笑む。
「あの催しに参加したいのだけれど、一人では少し恥ずかしくて……ほら、王女なのに流行りに乗るなんて……とか」
もじもじとドレスの飾りのリボンに触れながら歯切れ悪く喋るメイヴィスを、セシアは意外な気持ちで見つめた。
「メイ様、チョコレートを贈る意中の方がいらっしゃるのですか?」
「なっ! い、いちゅ……いない、いないわよ!」
何かしら、このカワイイ方。
セシアはにやけないように内側から頬を噛んで我慢し、真面目な表情を取り繕う。
「そうですか、私はてっきり……」
「あ、あなたは情報が古いわよ! この催しは日頃お世話になっている人や、親しい人に感謝の気持ちを込めてチョコレートを贈る機会でもあるのよ! わたくしは王女という立場上、普段そういった贈り物をする機会が滅多にないから、これを利用させてもらおうと思っているだけなんだからっ!」
恐らくこの部屋に来るまでに予め考えていたのだろう、それらしい言い訳を口にするメイヴィスだが、顔は真っ赤だ。
「だけなんだからねっ!!」
「……なるほど。でしたら私も、いつもお世話になってる教師の方達に贈る口実にちょうどいいかもしれません」
「あなたはマーカスお兄様に贈りなさいよ! 新婚でしょう!」
へらっと笑って言うと、途端メイヴィスからお叱りが飛んできて納得いかないセシアだった。
という経緯があって、現在セシアはメイヴィスと共に厨房の端に立っていた。
「……何故です?」
「チョコレートを作る為よ。もう、セシアったらちゃんと話聞いていた?」
鹿爪らしい表情で指を振るメイヴィスに、セシアはこれっぽっちも納得がいかない。何故王女が自らチョコレートを作るのだ。
餅は餅屋、この厨房には多くの料理のプロがいるのだから、アイデアや要望を伝えて彼らに任せておけば万事問題なくチョコレートを作ってくれるだろうに。
ちらりとセシアが見遣ると、厨房の料理人達は敬愛する第二王女の奮闘を微笑ましく見守っている。仕事をしろ。
そしてセシアは青褪めた。料理は別に不得意ではない。ただ、菓子作りはやったことがないのだ。
「菓子職人にレシピももらったし、材料もバッチリ! セシア、頑張りましょうね」
「はい……」
複雑な工程が描かれている複雑な工程のレシピを見て、セシアはますます言葉を無くす。もっと初心者向けのレシピはないのか菓子職人。
にこにこと嬉しそうに微笑んでいる王女を前にして、敵前逃亡などという言葉はセシアの辞書にはない。
常に徹底抗戦、これであまたの敵に打ち勝ってきたのだ。
今日だって、勝ってみせる。そして王女に勝利を捧げるのだ。やれば出来る。自分を信じろ。
・・・
「いつも忘れているんだが、お前は変なところで不器用だよな」
その夜、第二王子夫妻の居間にて一日の出来事をゆったりと報告しあっていた際に、マーカスはそう言った。
「うるさい……」
「そして負けず嫌いだから出来ない、とも言わない」
「…………もう黙って」
ソファの上で膝を抱えて丸くなるセシア。その前のテーブルには綺麗にラッピングされた、炭のような何か黒い物体が鎮座している。セシアの錬成したチョコレート、のようなものである。
「溶かして固めるだけでは駄目だったのか?」
「メイ様のご要望だったので……」
相変わらず、セシアはメイヴィスに特別弱い。
兄としては嬉しいが、可愛くて仕方がないからと言って何にでも付き合うのは考えものだ。
「で、メイの方も炭なのか?」
「もう戸惑いなく炭って言ったわね…………メイ様も初めてだったけど、それはそれは見事なチョコレートを作っておられたわ。少し味見させてもらったけど、とても美味しかった」
膝に顔を埋めたまま、セシアは唸るようにして言う。
午後のお茶は、料理人が別に作ってくれたチョコレートケーキをいただいた。あれも美味しかった。なんとかして、あれを自分の作品ということには出来ないものだろうか。
「ふーん。で、これの味見はしたのか?」
「お腹壊しそうだからしてない」
何せどう見ても炭だ。生まれながらの炭にしか見えない。炭を口に入れる者はいないだろう。
それでもラッピングまでしたのは、もはや自棄だ。
メイヴィスは本当に日頃世話になっている者に配るらしく、たくさん作った包みの一つ一つに手ずから楽しそうにラッピングのリボンを結んでいたので、セシアも律儀に最後まで付き合った結果である。
マーカスは炭の詰め合わせのような箱の中身をまじまじと見つめ、ひょい、と一つ口に運んだ。
「マーカス!? 馬鹿、死ぬかもしれないわよ!?」
ガリゴリと穏やかではない音をたててチョコレートのようなものを咀嚼したマーカスを、セシアは怒鳴りつける。
「殺人兵器を錬成するな」
「あああ、どうしよう、王子殺したらさすがに罪は免れないわよね……!?」
結構ギリギリのことを真剣に青褪めて言う妻は、なかなか面白い。マーカスは口の中の苦みのもとを嚥下して、さすがに顔を顰めた。
「不味い」
「だから食べちゃ駄目だってば! 馬鹿!」
思わず涙目で怒鳴ったセシアに、マーカスは笑った。それから彼女の座るソファに、並んで腰かける。
膝を抱えていた所為で、室内履きを脱いだセシアの爪先はソファの座面をぎゅっと握りこんでいる。
子供の抗議のようなその様が、いとけなく可愛らしくてマーカスは妻の裸足の足にそっと触れた。
「……なに?」
いつも強気で、比較的優秀な部類に入るセシアのこんな姿を見ることが出来るのは、マーカスの夫としての特権なのだろう。
「安心しろ、後でちゃんと全部食べてやるから」
「何一つ安心出来ない……材料は勿体ないけど、廃棄すべきだと思う」
それでも一応セシアはマーカスに贈る為に作ったので、恥を忍んで見せるだけのつもりで捨てずにいただけのことなのだ。まさか食べられてしまうとは思いもしなかった。
「何故だ。美味かったぞ」
「さっきめちゃくちゃハッキリ不味いって言ったじゃない!!!」
何故か近づいてくるマーカスの頬をぐいぐい押して、セシアは遠ざける。
いい雰囲気に絆されてなるものか。いや、そもそも先程まで王子暗殺疑惑に怯えていた彼女からすれば、いい雰囲気でも何でもないのだが。
「いやいや、まぁ実際の味はこの場合関係ない」
「お菓子にとって一番大事なのは味だと思うんだけど……!?」
二番は見た目。セシアの錬成した炭はどちらもクリア出来ていない。するとマーカスは眉を寄せる。
「お前、アレを菓子だと言い張るのはちと厚かましくないか」
「何なの!? 腹が立つばかりなんですけど!? 喧嘩なら言い値で買うわよ!!」
マーカスが真顔になると、セシアは頭突きの要領で額をゴチンと夫にぶつける。紫色の瞳が、眦を吊り上げて彼を睨みつけると、すかさずマーカスは近づいた唇にキスをした。
「ん…………っ、本当に、なんなの……」
そっと離れると、セシアは頬を紅潮させてそれでもまだ果敢にマーカスを睨む。
そんな彼女が可愛くて、愛しくて、マーカスは無邪気な子供のように笑った。
「だって俺の為に、初めてなのに頑張って作ってくれたんだろう?そんなの、絶対美味いし全部食べるに決まってる」
嬉しそうに無邪気に笑う顔は、メイヴィスによく似ている。マーカスは、セシアはメイヴィスに甘い、と考えているけれど正確には少し違う。
マーカスによく似ているから、セシアにとってメイヴィスのことが特別可愛いのだ。
「…………嬉しかったなら、最初からそう言いなさいよバカ」
ぎゅっと抱きしめられて、彼の首元でセシアは悪態をつく。つむじにキスをして、マーカスは喉だけを震わせて笑った。
「許せ。こういうのは俺も慣れていないんだ」
「許してあげない」
ソファにゆっくりと押し倒されながらセシアがニヤリと笑ってそう言うと、マーカスはまた笑ってキスを落として許しを請う。
キスは何とも言えない苦みがして、それがより二人に笑いを誘った。
そう。
許してあげないので、メイヴィスが一つだけ色の違うリボンを結んでいた包みのことはこの兄馬鹿には当分内緒にしておこう、と心に誓うセシアだった。




