86
ヒルトン伯爵家主催の夜会会場にはもう大勢の人が集まっていて、到着したマーカスを見て次々に彼らは挨拶の言葉を口にする。
今夜の主役は彼ではないので、それらに短く応えてマーカスとセシアは空いている場所に陣取った。視線の端でフェリクスとエイダが素知らぬ顔で佇んでいるのと、衛兵に扮したキースの姿も確認出来る。
そうしているとロザリーの父親、今夜の主催者であるヒルトン伯爵が一段高いところに現れ招待客に向けて挨拶を始めた。
エメロード国では、しばしば家名と爵位名が同じである貴族が存在する。領地の名前をそのまま家名に賜る、歴史の古い一族であることが多い。
ヒルトン伯爵はその誉ある一族の一つであり、ロザリーはそれだけ権威ある家の娘なのだ。本来であればディアーヌ子爵家のセリーヌ・ディアーヌも、爵位自体は低いながらも歴史と伝統ある一族の娘として将来を約束されていたおかげで侯爵令息のレイモンドと婚約していたのだ。
そこまで考えて、セシアは僅かに首を振る。
セシアと違って、恵まれた生まれで贅沢放題に育った同い年の従姉。セリーヌは、セシアと顔立ちがよく似ていることも気に入らなかったらしく、よく暇つぶしに虐められていた。
屋敷のお嬢様のすることなので、使用人達もセシアを庇ってくれる者なぞおらず随分と嫌な目に遭ったものだ。けれど、幸いだったのは向こうも同い年の幼い子供だった為、意地悪の手段が子供レベルだったこと。
水を掛けられたり、服を破かれたり、髪を引っ張られたりする内にセシアの方にもだんだんと耐性が出来てきたし、子供の想像の及ばないようなひどい折檻を受けるといったことはなかった。
母親の形見のブローチを取り上げられた時はさすがに腹に据えかねたが、セリーヌはセシアが分不相応な物を持っているのが気に入らなかっただけでそのブローチが欲しかったわけではなかったので、ほとぼりが冷めてからこっそり彼女のガラクタ入れから回収しておいた。
そう考えると、セシアの人格形成にはセリーヌの存在が大きく影響しているとも言えたし、先程のエイダのマーカスが鬼、という発言もセシアの基準の方がおかしかったのだろうか?と疑問になってくる。
一人難しい顔をしているセシアを愉快そうに見ながら、マーカスはヒルトン伯爵の挨拶を聞いていた。
大切に育ててきた自慢の娘が結婚する、大きな喜びと少しの寂しさの混じるいい挨拶である。
セシアにはそういったことを言ってくれる相手がいない。だから亡くなった彼女の両親の分も、これからはマーカスがセシアを大切にしていくと決めていた。
その亡くなった両親のことを確かに愛しているのに、亡くしたことに対してあまり悲壮感がないのがセシアの不思議なところだ。
その後の生活が大変だった為、ゆっくりと悲しみを味わう暇がなかったのかもししれない。だが、マリアが家族になると言った時にまるで子供のように驚いていたセシアを思い出せば、彼女が家族を愛おしいものだと感じ大切にしていることは分かる。
ひょっとしたらこれから置き去りにしていた両親を亡くした時の感情に、セシアが向き合う時が来るのかもしれない。その時彼女の一番傍にいて、抱きしめてあげられる存在でいたい、とマーカスは考えていた。
伯爵が挨拶を締めくくり、今夜の主役であるロザリーと婚約者が前に進み出た。着飾った彼女に、セシアは感激して口元に手を当てる。
「ロザリー、とっても綺麗ですね」
「……そうだな」
「幸せそう」
一瞬、お前の方が綺麗だ、という場面だろうかとマーカスは悩んだが他意はなかったようで、感激しているセシアは妙な間に気付かない。
マーカスは今までに恋人と呼べる存在がいたことはあったが、こんな風に細かいことを気にしたことはなかった。まるで初恋に右往左往する少年のような気持ちを、擬似的に味わう。
「ロザリーの結婚する人のことを、殿下はご存知ですか?」
「確か騎士団に入って三年目か?ということはヒルトン伯爵令嬢と同い年だな」
マーカスが記憶を辿りながら言うと、セシアは目を丸くした。
「え、城で働く者の経歴を全部覚えてるんですか?」
「さすがにそれはない。セシアの侍女を任せる時にロザリー嬢のことは一通り調べていたから、その時に婚約者の経歴も見た覚えがあるだけだ」
「それでも、記憶力がすごいですね」
セシアは感心する。恋人に尊敬の目で見つめられるのは、なかなかいいものだ。
そんな話をしている内に乾杯へと進み、夜会が始まった。
今夜は例の視線を少なく感じるのは、招待客の顔ぶれが違うからだろうか。ヒルトン伯爵家の縁者や、ロザリーの婚約者の所属する騎士団の面々が多い。
夜会好きでよく見かける貴族達がおらず、騎士や少し地位の高い者が多い所為か例の視線はあまり見受けられなかった。
「これは、せっかく潜入してもらっているのに今夜は空振りでしょうか」
セシアが小声で呟くと、マーカスも難しい顔をする。
「分からん。ただ油断はしないでおこう」
「はい」
小声で話し続けていると、主役である子爵令息とロザリーが挨拶の為にこちらに来た。この会場で一番身分が高いのがマーカスなので、最初に挨拶に来たのだ。
「二人とも、少し早いが結婚おめでとう」
「おめでとうございます」
マーカスに続いてセシアも声を掛ける。ロザリーはそんな彼女の所作を見て満足そうに頷いた。
「ありがとうございます、殿下。祝いに来ていただけるなんて、一族の誉れです」
「大袈裟な……あなたの妻には俺の婚約者がとても世話になっている、勿論お祝いに駆け付けるさ」
男達が和やかなに会話している横で、ロザリーはこそっとセシアに声を掛ける。
「男爵、どうですか状況は」
「ロザリー、今日すごく綺麗!」
「……そんな感想聞いてるんじゃありません、例の視線の話を……」
ロザリーが顔を顰めると、セシアは首を横に振る。
「それも大切なことだけど、あなたの結婚の方がもっと大切なことでしょう?」
「…………まぁ」
少し照れてロザリーが怯むと、セシアは微笑んで彼女の手を握った。
「おめでとう、ロザリー。私の所為で時間をたくさん奪ってしまってごめんなさい、すごく綺麗だわ。幸せになってね」
「……なんです、あなたが殊勝な態度だと調子が狂うんですが」
「晴れの日ぐらい殊勝な態度を心掛けようっていうこの思いやりの気持ちが分からないなんて、ヒルトン伯爵令嬢は野暮な方ね」
フン、とすぐにいつもの調子で話し始めたセシアに、ロザリーの心の中で試合開始の合図が高らかに鳴り響く。
「そういうところがまだまだだと申し上げているんです、男爵」
「ずっと思ってたんだけど、その男爵っていうのやめない?距離を感じる」
「距離を開けてるんです。わたくしはあなたにお仕えしている侍女だったんですから」
「じゃあ今は違うよね?セシアでいいわよ」
「王子妃になる方を、名前で呼び捨てるなんて不敬ですわ」
ロザリーが躊躇うと、セシアはムッと眉を寄せた。
「そう……残念ね。殿下、王族差別されてますぅー」
「ちょっ……!あなた、本当に……!いい性格してますわね……!!」
マーカスに告げ口するフリをすると、ロザリーは慌てて怖い顔をした。




