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マーカスが危機に陥っていることなど当然気づける筈もなく。
その頃、セシアはようやく二課のある資料室まで辿り着いたところだった。
途中何度か身元を確認される箇所はあったがマリアの正規の身分証は完璧で、きちんと精査された結果問題なく通されて来てしまった。
いくら身分証が本物でも、髪色を変えただけでマリアだと認められるのはおかしい。誰かから身分証を無理矢理にもで奪えば、成り代われてしまうではないか。
ペテンのタネは恐らくマーカスが変えていった、この赤髪に帯びた魔力なのだろう。
この世界では、魔力は多かれ少なかれ皆持っているとされている。
血統を重んじる貴族には平民に比べて魔力量の多い者が多く、その為に大昔には近親婚が推奨された時代もあったそうだ。しかし平民の中でも魔力量の多い者は生まれることもあり、研究の進んだ今では血統はさほど重要視されていない。
エメロードは他国との交易が盛んな背景もあり、特に気にしていない傾向が強い国でもあった。
セシアは身分証の作成過程を知らないが、恐らく身分証にはその個別の魔力の色のようなものが分かるように出来ているのだろう。それをもって、個人を特定しているのだ。
ただしマーカスとマリアが同じ魔力の色を持っていれば怪しまれる為、このマリアの身分証には元々何かしらの細工が施されているのだ。いわば、擬態の色のようなものが。
今はその色をセシアに擬似的に纏わせることによって、彼女をマリアだと擬態させているのだろう。
理屈は的を外していない、と思うが、実際に実行出来る技術を持つ者が我が国の王子だということが怖い。
「これ絶対ダメなやつ……」
そこまで想像して、セシアはゾッとする。
ジュリエットに負けず劣らず、用意周到で悪知恵の働く男である。彼がその頭脳と発想を悪事に使うことがなくてよかった。
ここまで隠れ蓑を兼ねて運んできた空箱を廊下の隅の邪魔にならないところに置いて、セシアは二課室の扉をノックする。
普段は勤務先なので当然そんなことはしないが、今部屋の中に誰がいるのか分からないので慎重な行動を心掛けてた。マーカスにもよくよく言い含められていることだし。
扉を開けたのはキースで、彼はセシアを見て目を丸くすると、ただの使用人に接するようにごく自然に招き入れた。
「セシア!無事だったんだな」
扉を閉めるとキースはセシアに一言断ってから、彼女を思いっきり抱きしめる。そうされてしまって、今度はセシアが目を丸くした。
「す、すみません先輩、私ご迷惑を……!」
慌てて謝ろうとするが、彼は抱擁を解くとぽんぽんとセシアの頭を撫でる。
「よく帰ってきた。待ってたぞ」
嘘偽りのない、嬉しそうな笑顔を前にセシアがぎゅっと胸が掴まれたように苦しくなった。
戻って来るのは少し怖かった。二課に迷惑を掛けて、捜査の邪魔をしたことにもなる。余計なことを、と少しでも疎まれていたら、無理矢理奮い立たせてここまで来た足が立ち竦んで前に進めなくなってしまうのではないか、と思っていた。
だが、二課の面々はセシアの不安を余所に、彼女を温かく迎え入れてくれる。
「セシアさんー!!大変でしたね!よかった……!」
ロイは泣きそうになりながらセシアの両手を握ってくれたし、フェリクスは唇を尖らせて彼女の額を小突いた。
「心配させるな、馬鹿」
「……馬鹿に馬鹿と言われては世話ないわね」
ふ、とセシアはつい憎まれ口を叩く。ヤレヤレと溜息を吐くロイとキースを横にいつものように口喧嘩のゴングが鳴ろうした瞬間、
「セシア!!」
どん!とメイヴィスがセシアに真正面から抱き着いた。
「メイ様!」
「もう!あなたったらあんな高いところから、お、落ち……っ!……もう二度としないで!!」
大きな翡翠色の瞳から、ぼろぼろと涙が零れる。その激情の強さにどれほど心配を掛けてしまったかを痛感させられて、そして一度でもメイヴィスが自分を信じてくれないのではないか?と疑ったことを恥じてセシアの目頭も熱くなった。
ここには、こんなにも自分を心配してくれる人達がいる。
「申し訳ありませんでした、メイ様」
「二度と自分の命を軽んじないと約束なさいっ!でないと、絶交よ!!」
泣き喚くようにして言われた言葉に、セシアはぴたりと止まる。それではまるで。
「……そ、れって、なんか友達みたい、ですね」
彼女がそう言うと、今度はメイヴィスが顔を真っ赤にする番だった。しかし赤い顔のままメイヴィスは開き直って、腕組みをする。
「そ、そうよ!わたくし達はもうお友達でしょう!?そうでしょう!?」
「…………はい、友達です」
セシアが泣き笑いを浮かべると、ぱぁ!と笑顔になったメイヴィスだったが慌てて鹿爪らしい顔を取り繕う。
「お、お友達なんだから、約束を破ったら……絶交するわよ!嫌なら、自分を大事にしなさい!」
なんて可愛らしくて、素敵な友達だろう。
セシアは嬉しくなって、メイヴィスの手を取って壊さないようにきゅっと握りしめた。
「……はい、約束します。絶交は、嫌だから」
「そうでしょう!大事にするのよ……絶対なんだから」
剣を握ったこともなく、水仕事もしたことがない嫋やかな小さな手。でもこの人と自分は友達なのだ。
命令ではなく、友達の願いならばセシアは絶対に叶えてみせたい。
メイヴィスが王女だからではなく、大切で、大好きな友達だから。




