寺と国人
「鼠がおるようだな」
南溪法師は自室で唸るように言う。
南溪法師の前方には屈強な僧侶たちがそろっていた。
僧兵、もしくは荒法師と呼ばれる僧侶達だ。
平安末期から僧侶の武装は進み、戦国の世、荒法師を備えていない寺はないとすら言われる。
実際に宗派ごとの戦と何ら変わりのない争いも幾度か起きている。
寺院自体が武装勢力なのだ。
小野の手のものが寺の周辺を探っているらしいということが報告されていた。
「姫に知らせますか」
「次郎法師にも、お花にも知らせろ、情報がなくば身を守ることもできないだろう」
お花はようやく模擬戦のようなことができるようになっていた。
しかし、習い始めた時間が違いすぎるため、一方的に打ち込まれるのを避けるのが精いっぱいというところだった。
「聞いたか」
お花の脛ギリギリのところで薙刀を止めた次郎法師が呟く。
「何をです」
薙刀を杖の様に使いよれよれとしたお花が答える。
「小野が寺の周囲を探っているらしい」
次郎法師の表情は硬い。
小野の名を聞けばお花の気持ちも塞ぐ。
小野が狂わせたのは次郎法師の人生だけではない、お花の人生だって狂ったのだ。
次郎法師が姫として、亀の丞に嫁げば当然お花も亀の丞の側近から適当な婿を選んでいたはずなのだ。
しかし、この状況が続けばお花の結婚もできるかどうか怪しい、おそらくできないだろう。
そんな事情でお花も小野に対して個人的な恨みを抱えていた。
お花を巻き込んだことは次郎法師もわかっている。しかし、もう次郎法師の手の届く事態でもない。
「一応御仏に身を投げたものを無理やりというのはあまり例がないようだがな」
例は少ないがある。
「それでも一応井伊は主家ですからねえ」
たとえ小野が真実の主家を今川と思っていたとしても、今は井伊の家臣なのだ。
今川から送り込まれた密偵のようなものを家老として使わなければならない、それが今の井伊の立場だ。
「父上はどうしているかな」
次郎法師の出家は父としても断腸の思いだったらしいが、それでも姫のためと割り切ってくれた。
「亀の丞様はどうなさっているんでしょうね」
「どこにいるかは聞いてない、ただ適当な落ち着き先は用意したと南溪法師はおっしゃっていたけれど」
小野和泉守は井伊谷において、評判を落とすこと甚だしかった。
国人とは何ぞやと問われれば、土着の支配者というのが一番近いだろう。
その土地の住人すべての支配者。そして今川のような外部からの支配者は国人を支配することで間接的にその地を支配することになる。
その国人が信頼できるかできないかが死活問題になる。
国人が歯向かうということはその地域全体が歯向かうということだからだ。
だから確実に今川の味方にせよという指令を行使しようとしたが、その結果井伊をかたくなさせ、支配する民衆の心を話すという結果になった。
まさに本末転倒。
もう少しうまくやってくれればと思うが、今川にとっても井伊はさして重要なところではないのだろう。だから小野和泉守のような無能を送ってよこしたのだ。
もしもう少し要領のいい人間が来ていたらどうなっていたのだろう。




