寺の中
翌日、もう姫ではないのだと小僧となった姫は水汲みに駆り出された。
そして、寺での付き添いを命じられたお花もそれに付き合う。
「その持ち方ではこぼしますよ」
言われながらよたよたと水の入った桶を運ぶ。
世の中あまくない。見習いはこき使われるものなのだ。
井伊家の総領娘は次郎法師という名前で出家を果たした。
両親には事後承諾だが、許可はもらった、このままでは姫を小野にとられることになるという南溪法師の脅しが訊いたらしい。
小野にとられるよりまし。ということで次郎法師は寺で生活することになった。
今現在の身分は僧侶ということになっている。
次郎法師一日は早朝、夜も明けきらぬ時に始まる。
朝一番に水汲みをし、廊下掃除をする。
それが終わって読経をし、それ以外は勉強と裁縫の修練だ。
他の僧侶達と顔を合わせるのは読経の時ぐらいだ、食事も自分の部屋でお花と食べることになっている。
若い僧侶に娘を近づけるわけにはいかないという南溪法師の方針だった。
だったら最初から尼寺に送ればいいのにということは思っても言えない。
どうやら南溪法師は次郎法師を自分の視界の中から出さないことにしたらしい。
お花は南溪法師が見ていないときの監視という役割を与えられた。
次郎法師としても幼い頃から顔だけは知っていた相手なので、一日中顔を合わせているのは苦ではない。
使用人は大体が世襲制になっている。
丸顔にぽっちゃりとした体つきのお花は、やや細身な次郎法師より腕力があるので、水汲みも掃除もサクサク終わらせてしまう。もともとおはした仕事をしていたので慣れているのだ。
その後をよろよろと次郎法師がやっていく。それでも毎日やっていれば慣れてくるので、このごろは手際よく仕事を終わらせることができるようになっていた。
「思っていたよりもめげませんねえ」
お花は掃除の後手を洗いながら言う。
「武術の修練のほうがきつかったからな」
この時代、武家の子供の教育は男女差がほぼなかった。
男女の区別なく武術一般と乗馬そして裁縫と煮炊きを教えられる。
いつ何事が起きるかわからない家が無くなるかも知れない、そんなとき頼りになるのは自分だけ、そのための教育が大事だと言われていた。
身体を使う分には今までと変わらないと思う。
武術の修練の時間が掃除の時間になったようなものだ。
あとは食事が少々質素になったくらい。
お花以外はろくに話し相手がいないのが多少苦痛だが、これはしょうがない。
淡々と寺での生活は過ぎていく。
次郎法師はこのまま静かに生きていけると安堵した。
寺社は世間とは違う世界を作っている。
かつて源平の戦の時代から、僧侶と寺は絶対不可侵の存在だった。
もし家に何かあったとしても、寺に籍を置いておけば自分の身は安泰と次郎法師は信じていた。
寺社には自社の権力体制があり、また中には戦国大名と互角の存在となる寺もあった。
むろん寺社同士の諍い事もあったが、宗教を盾にした寺社は大名とは違う権力構想を持っていた。
命永らえるなら出家はかなり確実な手段であり、たとえ根絶やしをという場合でも出家したものは見逃してもらえる可能性が高い。
また亀の丞もそうした寺社のネットワーク内でかくまわれているらしい。
南溪法師は次郎法師の両親に何とか匿い先を見つけたと話していたとだけ、寺を訪ねてきた父親に聞いた。
あちらも何とか生き延びてほしいものだと、本尊の前で手を合わせながら次郎法師は祈った。




