布団の中
ところは西遠江引馬城の一室で、城主が布団をかぶって寝込んでいた。
実際のところ健康状態にまったく問題はないのだが、自分は病気だと言い張っている。
城主の名は飯尾連龍、今川支配の小領主であるが、今職務放棄の真っ最中だった。
原因は今川氏真が、織田信長討伐を行うと言い出したところからだ。
この時すでに信長は美濃を落とし、岐阜と改名していた。
この時点で戦力は桶狭間の時の数倍に膨れ上がっていると思われる。
桶狭間で敗れたのに、今戦って勝てるわけがないと病を理由に職務放棄としゃれこんだわけだ。
その布団を冷ややかな目で見ている女がいた。
美しい女だ。だがそのまなざしに隠しようもない険がある。顔立ちは華やかなのだが、浮かぶ表情もとげとげしい。
美しい色合いに染めた小袖のたもとを目元に当てて、軽く泣き真似をするようにしたがその目元は乾ききっていた。
「これからどうなさるおつもりですか」
布団にもぐっていたとしてもいつまでもそれが通用するはずがない。
布団の中からはかすかなうめき声が聞こえる。
連龍はひそかに今川を離れる手はずを整えていた。
今川は氏真に代替わりしてから零落へと着々と進んでいく。それは見る目のあるものならだれにでもわかることだった。
沈む船から鼠が逃げるのたとえの通り、他家への仕官を考えるものは数多かった。
飯尾連龍も井伊直親と同じく家康に織田家への仲介を頼んでいたのだ。
とにかく戦うのはまずい。勝ち目は薄いうえに、裏切りがばれたら、敵味方両方から命を狙われかねない。
だから困っている、それはわかる。だがそれならそれなりの手はずを整えるべきだ。
女はお田鶴という。
飯尾の妻であるが、夫の情けなさすぎる有様に呆れかえり、口をきく気にもなれないでいた。
「しかし、いつまでもこうしているわけにはいきませんが」
平板な、感情を感じさせない声音でそう言うが、布団がもぞもぞするだけで一向に返事はない。
「まず、それならば、他に気を向けさせるというのはどうでしょうか」
お田鶴はどこまでも平板な声音で呟く。
ようやく夫は布団から少しだけ顔をのぞかせた。
「氏真の気を別にそらすのです。それで、時間を稼ぐというのはどうでしょうか」
「気をそらすとは」
ようよう口をきいた夫を、軽蔑を隠す気もない妻の視線に再び押し黙った。
「誰か、適当なものに、生贄になってもらうのはどうでしょうねえ」
どこまでも気のない声音。
「そう言えば、どこぞの呉投手が、家康との密通を疑われて、処罰を受けましたわねえ、確か、その家のものは今も氏真にどうこうしているはずだと聞いておりますが」
ようよう、連龍は布団から起き上がった。
「井伊か」
「ああ、そのような名でしたかしら」
温度のないまなざしでお田鶴は呟く。
「どこか、適当な場所を焼きましょうか、そして、それを井伊の仕業と噂を広げるだけでいい」
独り言のようにつぶやく妻を空恐ろしいものを見るような目で連龍は見ていたが。ようやく目に光が入った。
「そうだな、それでいこう」
そう呟いた。




