今川の先
祖父、直平と次郎法師は向き合っていた。
「よう、あの子を救ってくれた」
「私は、あれに慈悲をかけたわけではありませぬ」
すげなく次郎法師はそう言った。
「今は生かしておくほうが役に立つと判断したまで、死んで役に立つと思えば死んでもらいました」
次郎法師の表情は凍り付いたように硬い。
その脳裏にあったのは今川の兵に殺された領民たち、中でも幼子達だ。乕松より幼い子も少なからずいた。
「亀に対しては怒りばかりでございます。よくぞ我が父上の死を無駄にしてくれたと」
「次郎法師」
直平は自らの手を見た。その手は油紙をつぶしたかのように皺んでいる。もう老いた。もはや寅松の成長を見届けることはできまい。
そして自らの曽孫娘を見た。
もはや、自らの足で立っている。
「次郎法師、わしは今一度、井伊の当主に返り咲くことになりそうじゃ、したがそう永くはもつまい、故にこそじゃ、お前には本当に苦労を掛けることになるが、もはやお前に頼むほかない」
「お気の弱いことを」
「わしはいい歳じゃ、わしの曽孫がこんなに大きいのだぞ、先が長く無くて当たり前じゃ」
次郎法師は目を伏せる。
「お前はようやった」
今川の軍勢が引いた後の戦後処理は次郎法師が先頭に立って行っていた。それを誰も咎めなかった。
やはり次郎法師は井伊の総領娘として、井伊の谷に認められた存在なのだ。
「お爺様、どうか、お身体をおいといくださいまし、大任ではありますが、もはやお爺様しか任せられるものはいないのです」
「次郎法師、此度の今川のやり口、どう思う?」
「容赦ないですね」
「そう、容赦ない、そして余裕もない」
直平は経験だけは重ねに重ねている。そのためわずかな情報でもある程度相手の状況を読み取る事に長けていた。
「此度のこと、直親はしくじった、しかしお前もいずれ時を見定めねばならん時が来る」
「お爺様」
「余裕がないが故のこの暴挙よ、今川はおそらく自壊する」
「めったなことを」
「いや、滅びるときはいかな強権とてあっさりと滅びるものよ」
直平は確信ありげにそう言う、しかし次郎法師は半信半疑というところか。
氏真は父の後を埋めるに埋められないでいる、それ故に恐怖政治に頼ろうとしている。その流れが、直平にははっきりと見えた。
そしてそうなったらあとは残り少ないのだ。
「今川が滅ぶときお前は、井伊を道連れにするか」
「そんなはずないでしょう」
「だから、お前は慎重に時を見定めよ」
小名平の言葉を次郎法師は不承ながら聞いていた。




