村の薬師
森の中にひっそりと建った小屋の中。所狭しと並べられた棚といい木がそのまま使われた感じの壁といい、場所を選ばず乾した植物や瓶詰めになった何かよくわからないものとかのいろいろなものがずらりと列んでいる。
場所といい、その雰囲気といいどことなく自分の家に似ているけれど、でも空気の臭いは全然違う。似ているけど違っている、そのせいかなついついあちこちを観察してしまう。
「うん? 見ない顔だね。誰だい、あんたら?」
「オレは狼、旅の者だ。あんたがこの村の薬師さんか? 少し相談したいことがあるんだ」
「ああ、そういえばそんなのが来るとか何とか言ってたね」
あちこち見回すあたしを余所に、狼は相変わらずの調子で言葉を投げた。交渉のことについて、あたしはよく解らないから下手に口を挟まない方がいいだろう、って言うのは前もって狼達から言われたことだったりする。
……うん、解ってる。あたしが常識とかそういうことがよく解ってないのは。だからそう言われるのも、一応納得はできるんだけど……
でも、やっぱり初めっから当てにされないのは、ちょっと悔しいような情け無いような。うーん、いつか絶対見返してやるんだから。
対する小屋の中にいた人、つまり薬師さんは作業の手を止めて顔を上げる。薬師さんは女の人で、しなやかな体はぱっと見ただけでも引き締まった感じがわかる。
海達の話しから、薬師っていう人はいろんな薬の作り方を知っているっていっていた。だからもっと年上の、それこそ昨日お世話になった集落で族長をしていたおじいさんくらいの人なのかな、って思っていただけに、予想していたよりもずっと若い女の人の姿に、意外だっていう思いは隠せない。
「適当に座っとくれ……っと、なんだい、ずいぶん大所帯だね」
「椅子がない分は悪いが立ってておくれ」と悪びれたふうもなくそういって、薬師さんは作業の手を止めてあたし達の方に体を向けた。この藤飛村では割と見かけることの多い緋色の髪と瞳。長く伸ばした髪を緩くひとまとめにした薬師さんは、つり目がちの瞳であたしたちを一別した。
「で、旅人が一体全体何の用でこんな辺鄙なところにきたって言うんだい? 薬を譲れって言うのなら、悪いが当てにはならないよ」
「出荷したり顔見知りのが買いに来る時期だって言うんだろ。そのあたりは把握してるよ。相談したい事って言うのは買い取りじゃなくて、この子の事。少し診てもらいたいんだ」
そう言って、狼は晶を示す。
「診察しろって言うのかい? 生憎あたしゃ医者じゃなくて薬師だよ。畑違いだとは思わなかったのかい?」
「そりゃ思いはしたけどな、オレらは素人なんでね。薬師ならずぶの素人よりは知識はあるだろうし、医者がいない村じゃ村の連中を簡単に診察したりだってするだろ? そういうのでいいんだ」
良くは解らないけど、薬師と医者は別のものなんだって。それに狼達の話しによると大きな街ならともかく、小さな村々には医者どころか薬師すら居ない場合が多い、らしい。だから丁度いいって相談しに来たんだけど……
うん、薬師さん本人にこう言われるって事は、やっぱり全然違うのかしら?
「はははっ、正直だね。全く……いいよ。そんなのでいいなら観ようじゃないか」
「助かるよ」
狼の言葉に、薬師さんは楽しそうに笑って了承してくれた。良かった、とほっと息をつく。
だって、薬師さんは医者と違って普段診察とか、しないのよね? 断られるんじゃないかって、心配してたのよ。
それにしても、薬……かぁ。
小屋の中をぐるりと見回したときも思ったけれど、食べる訳じゃない乾した草や獣の爪とか石、そんなモノがたくさん並んでいる様子は、あたしにとってはなんだかとても不思議なモノだった。
あたしにとって薬といえば、小さい頃父さんに教えて貰った止血の効果がある葉っぱだとか、お腹が痛いときに食べる木の実がそれだ。他には時々やってくる旅商人さんが置いていってくれる気分が悪いときとか、体が痛むときに使うんだよって教えて貰った黒い丸薬くらいしか知らないのよね。
だからつい、珍しいっていうか……。うーん、狼がさっき買うとかなんとか言ってたし、もしかして旅商人さんが置いていってくれた丸薬も、こういう薬師さんが作るのかしら?
「それじゃお嬢ちゃん、ほらこっちに座って。いったいどう調子が悪いのか、ちょっと説明してもらえるかい」
小屋の中を見回しながら、あれこれ考えていた耳に薬師さんの声が届く。
薬師さんが指示するけれど、晶は反応しない。いつもと変わらない澄んだ空と同じ色の瞳は、いつもと同じようにぼんやりと、まるで人形みたいになんの感情も示さない。もしくは、そう――どこかここではないどこかに視線をやっているような――
全く反応しない晶に、薬師さんは怪訝そうに眉を寄せた。
「うん? 何、ちょっと話を聞くだけだよ。痛いことはしないから、怖がる必要はないんだよ?」
「あー……、その、この子何って言ったらいいか……ちょっと問題が」
言葉を濁す狼。首を傾げる薬師さん。
今の晶の状況をどう説明したらいいかなんて、そんなことあたし達にはまったく解らない。ただ解っていることは、あの日を境に晶はこんな常態になってしまったってこと。それまでの晶と今の晶は、全然違うっていうこと――
「なんだい、歯切れの悪い。……ああ、この子もしかしておしなのかい?」
「おして……、いやあんたそれ」
「ああ、悪い意味で言いたい訳じゃないよ。でも手っ取り早くて判りやすいだろう?」
「そりゃ……そうだけどな」
何かさっきまでよりも数段歯切れの悪い感じで頷く狼。いったいなんでそんな反応をしてるのかしら? 薬師さんは悪い意味じゃないって言ってるって事は、さっきのって悪口か何かなのかしら?
うーん? でも悪口を言っているようには……?
首を傾げるあたしの横で、狼は暫くの間歯切れが悪くあーだのうーだの唸っていたけれど、そんなことをしていたって埒が開かないって開き直ったのか、意を決したように口を開く。
「相談したい事って言うのがまさにそれなんだ。この子……晶って言うんだけど、元々はちゃんと喋れていたし表情もあって、ホント普通の子だったんだ」
晶がどうしてこうなってしまったか――その切っ掛けをあたし達は知っている。
――あの日のことを、忘れられるはずなんか無い。
けれどそれは簡単に口に出したくはない――どうしようもない感情と一緒に刻まれた、苦い記憶。
平和だった村、そこを襲った災厄。
逃げまどう人、それらをあざ笑うように飲み込んでいった災禍。
村の人すべてを殺すような災いの場で、あたし達が生き残れたのは――ほんの偶然で。
何があったかなんて、どうしてあんな事が起こったかなんて、全然解らない。
ただ、事実として村は無くなって、あたし達余所から来ていた五人と、晶だけが生き残ったっていう事――
こんな話し、本当なら晶のいる前で話さない方がいいことなんだと思う。だって、晶はあの日全てを失って、お父さんやお母さんや、見知った人がいなくなって――それがどれだけ辛いことなのか、父さんが死んでしまったときに自分がどんなだったかを考えたら、その事を目の前で話題に上げられたらどんなふうに思うのか、なんて当たり前のコトよく解っているはずなのに。
本当なら、あたしは晶の耳を塞いで狼の話を聞こえないようにしておくか、こっそり外に出ておくべきだったんだと思う。
でもそうしなかったのは、あたし自身あの日のことを忘れたくないから――忘れようもないけど――という理由もあるけれど、もう一つはこうしてあの日のことを話しているのを聞かせることで、晶が少しでも何かこう、反応するんじゃないかなって。もしかしたら泣いたり、悲しんだりするんじゃないかなって言う、すごく勝手な理由。
だって――今の晶は何があってもほとんど反応しなくて、まるで人じゃないみたいな……そんな、あり得ない感覚を時々感じてしまうだなんて……だから少しでも人間らしい、生きているっていう証拠を、見たかったのかも知れない。
だけどそんなあたしの願いは虚しく、狼が話している間も晶はなんの反応もしなかった。
あの日のことを思い出して泣いたりする姿を見なくて済んでほっとする反面、なんの反応もなかったことが少し残念で――そんなことを少しでも考えてしまった自分が、すっごく情け無くて。
悶々とした感情を抱えたまま、あたしはもうどうしたらいいか解らなくなってしまった。
「……なるほど。あの村がそんなことにね」
晶が住んでいた村が滅んだこと、晶以外の生き残りがいないこと。あの日あの時、あの村で起こったことをかいつまんで狼が説明し終わったあと、薬師さんがこぼした言葉に、どうしようもない自己嫌悪にはまり込んでいたあたしの意識は引き戻された。
「あの村って……あんたこの子が住んでいた村のこと、知ってるのか?」
「ああ、黄漣の珀眞村だろう? 御山にもっとも近い村っていえば、あそこくらいしか名前は知らないからね」
狼の疑問に薬師さんはあっさりと答えた。
「あの村の近辺ではいろいろと薬草が採れてね。あんまり知られちゃいないみたいだけど、御山の近辺でしか育たない動植物は多いんだよ。だから私みたいな薬師や医者連中には重宝されていたってわけさ」
「そうなのか? あんまりそうは見えなかったけど……」
「何事も過ぎたるは――ってね。御山で取れるモノは重宝する一方で、そんなに量が必要になるようなモノじゃないんだよ」
「だからそうしょっちゅう買い付けに行く必要もないし、量もはけない訳だ」と薬師さんは付け加えた。
あたしの側では海が、うんうんと頷いて薬師さんの言葉に同感だって言いたげにしている。
へぇ、晶の住んでた村って有名な場所だったんだ。
「しかしまぁ……悪いが精神的なモノに関しちゃ、それこそあたしみたいな薬師にゃ専門外もいいとこだね」
「う……」
「ま、いい。そんな状態なら怪我や体調不良だって自己申告しやしないんだろう? そっちだけでも確認しておこうかね」
「助かるよ」
「なに、気にしなさんな……って訳でほらほら! 男連中はさっさと外に出た出た!」
部屋の中に溜まったしんみりした空気を吹き飛ばすよう、薬師さんは明るい声でそんなことを言いながら狼や海、それに黒達の背中を押したりして外に出るよう促す。
「は? え、ちょっなんで」
「あのねぇ、これから女の子の診察をするんだよ? 服だって脱がせるよ、そりゃもうこんな常態なんだ、隅々までしっかり調べなきゃならないからねぇ。……あんた見たいのかい? 見るつもりかい?」
「わー、狼ってばむっつりスケベー」
「ちょっとマテ誰がンなだっ?! つかそれ言うならお前も――わーっ、そんな押さなくても出る! 外に出るからそう押してくれるなぁっ!」
「解ればいいんだよ、解れば」
ほとんど悲鳴みたいな情けない狼の言葉に、薬師さんは満足げに頷いた。
「えっと……?」
一方であたしはといえば、なんで狼達が追い出されたのか、なんであたしだけ残されたのか、はっきり言って良く解らない。ひたすら疑問が浮かぶばっかりで……えっと、これから何が始まる……の?
「ほらほら、ぼやっとしないで。あなたはこっちで手伝っとくれ。どうせこの子、こんな調子じゃ自分の状態とか話せないだろう? 最近変わったことがないかとか、覚えている限りでいいからどんな怪我をしたかとか、教えとくれ」
「あ……うん」
薬師さんに指示されて、あたしはようやくあたしのやるべき事に思い至って、慌てて頷いた。
半時間くらい掛けた薬師さんの診察は、結局怪我らしい怪我も病気らしい病気もない、至って健康そのものという太鼓判を押してもらう結果になった。
狼達もあたしも、反応の差はあるけれど太鼓判にほっと一息をついていた。
「当たり前じゃん。あの時晶の側にいたの、誰だと思ってるのさ」
「だから心配だったんじゃねぇか……」
「何それーっ、ぼく信用されてないの? ひっどーいっ!」
そういえば、あの日晶の近くにいたのは海だったんだっけ。むぅとほっぺたを膨らませて不機嫌を隠そうともしない海の言葉で、あの日のことを思い出した。
しばらくの間狼と海はいつものようにぎゃいぎゃいと言い合いをしていたけれど、そんなに長くは続けなかった。
村の人たちがしているっていう荷物の積み替え、そろそろ終わる頃でしょうしね。あんまり長くなると、それこそ暗くなって森の中を進むのは危ないもの。
「悪いな、いろいろ世話になった」
「気にしなさんな。こちとら大したことは出来ちゃいないよ。それに、むしろこっちの方が貰いすぎなくらいさ」
狼の言葉に、薬師さんはそう言って返す。……うん? 貰いすぎた、って……?
「貰いすぎたって……? 狼、あんた何か持ってきたの?」
「あー、オレって言うかなんってか」
「?」
歯切れの悪い物言いに、あたしはきょとんと首を傾げる。ちょっと、自分は解ってるからって……もう、なんでこいつはいつもこうなのかしら?
「あれだよ、あれ。あんた達が取ってきてくれたんだろう?」
「あれって……あそこに干してある肉? え、でもなんか干し肉作るにしては……?」
苦笑しながら薬師さんは指で示す、つられて視線を動かした先には、風通しのいい場所に吊された肉の固まりがあった。
でもそれは干し肉にするにはなんって言うか、いくら何でも小さすぎるような気がしたし、何より色や雰囲気が、干し肉とはちょっと違うような気がするんだけど……?
……うーん? でも人によっては同じ鶏肉でもモモの部分が好きだったりムネの部分が好きだったりするから、そういうもの……なの、かしら?
「クマの胆だよ。ああしとけば保存も利くようになるからね」
「くまのい?」
「知らないのかい? クマの胆嚢のことをそう呼ぶんだよ」
この辺りにあるのさ、と薬師さんは自分のお腹のやや下の方を指差した。
「え、それってもしかしてあの不味い肉? なんでそんなの」
薬師さんが指差したあたりの肉に、あたしは心当たりがあった。一人になってすぐ、まだそんなに狩りが上手くできなかった頃、今みたいに食べきれない分は誰かに分けたり森の動物たちに食べて貰う、なんて事いってられなかった頃、見た目的に食べられるのかどうか解らないお肉もとりあえず片っ端から口に入れて食べられるかどうかを自分の体で試していたんだっけ。
それで、今薬師さんが言っているあたりのお肉も試したんだけど……うん、あれはあんまり美味しくなかった。
「不味いって……おいおい、嬢ちゃん食べたことあるのかい?」
「や、一回ちょっと食べて……あんまり美味しくなかったから、よっぽどじゃないと持って帰ったりしないけど……」
「なんだって? じゃあまさか、そのまま放置してるのかい?」
「う、うん。そうだけど……?」
「勿体ない! あんたこれ人によっちゃ同じ重さの銀や金で取り引きしようって言うのもいるんだよ?」
いったい何がどういけなかったっていうんだろう? 薬師さんはあたしの言葉に信じられないと声を荒げる。
え、だってあの場所全然美味しくないし! それにあたしの力じゃ持って帰れる量も知れてるもの……ちゃんと食べられる、美味しい場所を持って帰るのって、そんなにおかしな事? ねぇおかしな事なのっ?!
クマの胆と呼ばれるその部位が実はあんまり出回って無くて、だから高値で取引されているとかすっごくありがたがられているとか――とにかくそんな感じの理由があって、あたしの行動がどれだけ普通の人からしたらずれていたのか。そんな理由がようやく頭に入ったのは、薬師さんのお説教から解放されてしばらくしてからのことだった。
……えっと、じゃあもしかしてあの時旅商人さんが妙にいろいろと置いていってくれたのは……クマの胆が手に入ったから?
昔、丁度クマを狩って家に持ち帰って解体していたところにやって来た旅商人さんが、いつも以上にたくさんのものを置いていってくれたことがあったのよ。
それでその時……うん、いつもみたいに毛皮とか、木の実とかキノコとかと交換したんだけどね……。解体途中のクマを見て、その肉も分けてもらえるかって言うから、好きな部分をどうぞって言った事があったのよねー。
あの時は美味しい部分は全部取っちゃってて、そんな残りばっかりのところから何を取るんだろうなー……って思ってたけど……。
………。
うん、まあ役に立ってたんだし良いわよね。喜んでもらえたんだし。




