吊り橋谷 3
盛大な音と共に、吊り橋だった木板や縄が谷底に消えていくのを耳と、もう一つの感覚で把握する。
為すすべもなく闇に呑まれるそれらと同じ末路をたどってたまるか、とばかりに体を支える右手にしっかりと、だけど細心の注意を込めて力を入れた。
それに気が付いたのは、不覚なことに相手がコトを起こす直前だった。
相変わらずのお人好しっぷりを発揮する狼にやれやれと呆れていたというか気を取られていたのは確かだ。二人組の冒険者は丁度それを隠すように上手い位置取をしていたというのもあるし、激流と谷風の音がぼくの知覚領域を極端に狭めていたとかあるけれど――そんなのは言い訳。
ともかく、そいつらの存在に気づいた時にはもはや後の祭り。吊り橋の端に橋を落とそうとする男の姿があった。知覚の方を研ぎ澄ませば、ぼくらが渡ってきた後方にも、同じようなことをしている輩が確認できた。
雑多な人が行る街中でも、こんなあからさまな連中見逃さないのに――!
こんな状況になるまで事態に気づけなかった原因は、谷から吹き上げる風だった。音と圧力が気配なんかを散らしてしまうから、ぼくみたいな知覚能力はこういう状況で、無力とまではいかなくても結構能力を阻害されてしまうんだ。
「狼、前!」
わざわざ隠していた仕掛けを晒したということは、何を意味しているか――たぶん気づいていないだろう狼に警告の言葉を投げる、と同時に少しでも時間を作るため投擲ナイフを前後に投げる。
甲高い金属音。
前方に投げた投擲ナイフはしかし、標的を捉えることなく叩き落とされた。二人組の片割れ、眠たげな目をした女がいつの間にか反りのある短剣を抜いていた。
「っ……?!」
投擲程度では到底抜けられない、そう判断して排除しようと駆け出す。横目でちらりと確認すれば、無防備だったところに一撃もらっただろう狼がしかし、勢いを殺すために背後に跳ぶのが見えた。
こういう時の咄嗟の反応は、さすがというか。ぎりぎりの警告は、どうにか役に立ったのかな。なんて暢気なことを考える間もなく橋板を蹴る――目の前の二人組の《変化》からして、時間をかけて好転するような状況じゃない。
けど、事態はとっくの昔にぼくが思っているよりも進んでいたようだ。
ぶつん、と何かが弾け飛ぶ音。
なにか、なんて確認しなくても判る。吊り橋を支えるロープを切られたんだ。
立て続けに続く切断音。どうやら背後に投げた投擲ナイフも狙いがズレたみたいで、致命傷には至らなかったんだろう。前方に遅れて吊り橋のロープが切断される。
支える物を失った吊り橋がどうなるかなんて――
「へ――?」
「え? え、なにが――?」
事態に付いていけない狼たちを後目に、落ちかけの橋板を蹴る。
跳ぶ方向はさっきまでと百八十度方向転換。無理に方向転換したせいで体勢がよろしくないけれど、そんなこと構ってなんかいられない。
橋の落下を止められなかった以上、今更阻止に動いたって無意味でしかない。
だから、最善が無理なら次善を。
間に合え――ッ!
そうして、伸ばした手は――
手のひらに伝わる感覚は相変わらず柔らかくて暖かくて、今現在ぼくの体重全てを支えているだなんて思えないくらい。人一人分の重さが掛かっているんだ、当然それ相応の負担があるはずなのに、晶はそんなコトなんてまるでないかのように、相変わらずの人形みたいな表情で虚ろに景色を見つめている。
吊り橋を落とされた時、ぎりぎりのところでどうにか晶の手を握ることができた。
けれど、ぼく以外にも同じコトをした者がいた。吊り橋で女の人を引っ張り上げようとしていた傭兵――いや、どこぞの組織に属する人間、か。
ワシの翼を背中に生やし、晶の手を掴んだ男は落ちる吊り橋の残骸や狼たちを避けて上昇。今は渓谷の上、元は吊り橋があった場所の上空で姿勢を保っている。
吊り橋の上にいた時と同じ衣服を着ているのに、その顔にある雰囲気はがらりと色を変えていた。吊り橋の上にいた時はぱっとしない、冴えない地味ーな印象だった顔。どっこい今はそんな気配は微塵もなく、冷徹とすら取れる眼差しを見せる。
これがせめて陸地の上にでも移動してくれれば機を見て攻撃できるのに、こんな場所じゃそれもままならない。例えどうにかして相手を振り払うことができたとしても、落下している間に体勢を立て直されるのは目に見えていた。無論、相手もそれを見越して移動しないんだろうけどさ。
それにもう一つ、陸上に移動したとしても下手に動けない理由が。
谷岸に並ぶようにして何人かの男たちが、弓をつがえて並んでいるんだ。いったいいつの間に現れたのやら。呆れるぼくの前で半分は上空に、もう半分は谷底に向けて油断無く弓を構える様子が見て取れる。
|《陸人》(ルディ)や|《海人》(オセアノ)なら吊り橋を落とされればひとたまりもないけれど、飛ぶ手段のある|《空人》(シエロ)はこの程度じゃ致命的じゃない。それ故の警戒。
男たちの様子から、こっちの《変化》が把握されている事が伺い知れる。まあ相手にもぼくみたいなのが居るのか、それとも別の理由かは判らないけれど、面倒なこと極まりないね。
ただ、やっぱりというか狭くて深い渓谷の中は昼でも薄暗くて、発見はされてないんだろう。矢を射かける者はいない。それはこっちに向けて矢をつがえている連中にもいえることだった。
何しろ目に見えて遮るモノが無いとはいえ、ここは渓谷の真上。気まぐれに向き抜ける上昇気流やら下降気流やらのおかげで風を読むのは難しい。ワシ羽の男はどうにか姿勢を保っていられるけれど、それにしたっていつ崩れるか。下手に矢を打とうものなら煽られて仲間や捕獲対象に当たりかねない。だから、下手な真似はできないんだろう。
男たちとぼくの間には、ある種の膠着状態が生まれていた。
けれどそんなもの、すぐに崩れる。|妙なオマケ(ぼくの存在)を面倒そうに見下ろしていたワシ羽の男は、腰に下げていた剣を抜く。
投擲でもするつもりだろうか? 確かに上からなら有利だけど、それにしたって舐められたものだよね――
大人の腕と同じくらいの長さをした剣と比べ、ぼくが持つナイフはあまりにも小さい。けれど、そんじょそこらのモノじゃない。いくら質量差があったって弾いてみせるさ。
そう思って迎撃の構えを取るぼくの前で、ワシ羽の男はぼくの予想外の行動に出る。
すらりと抜いた剣を投げることはせず、ある場所へ向けた。
それがどこなのか、何をするつもりなのかを強制的に理解させられると同時に、怒りと焦りがわき上がる。
ワシ羽の男が剣を向けた先は――男が確保していない方の、晶の腕。
――なに、考えて!
一拍遅れて、背中を冷たいモノが走る。
ああ合理的に考えればそれも有りな手段だろうこの体勢じゃ自分に向けて投げられたものならともかく晶の方までをカバーすることはできないそこを切り落とされでもしたらぼくは谷川へ真っ逆様で晶のほとんどはワシ羽達の方に確保されるって寸法だまったくよくできてる――
――わけ、無いだろうっ!?
頭に浮かんだ思考を否定する。
誰かしらが晶を狙うとしても、その存在の希有さから傷つけるような真似はしないと思っていた。精々が眠らせるために薬を使うとか気絶させるとか――勿論今の晶は暴れたりなんてしないからそんなモノ使うまでもないんだけど――くらいはあるだろうけど。けして危害は加えないって。例外は晶の村で遭遇したあいつくらいで、誰も彼女を傷つけたりはしないだろうって――っ!
甘かった。完璧に読み間違えた。
晶を狙う連中の中には、少しの負傷なんか気にしない者もいるって、それこそその存在だけでも手元に置きたいと、あるいは置いたかも知れないというそれらしい噂や証拠となる何かがあればそれで良いって考える輩も出かねないっていうことから目をそらして。それこそ直接的な危害を加えるのはあいつくらいだって、勝手に思い込んでいた。
彼女に危害を加える者はいない。その思いこみが招いた結果が、今、この状況で。
「……っ!」
ぎっ、と唇をかみしめる。晶の手を掴む手に必要以上の力が入りそうになるのを全身全霊の神経をかき集めてどうにか防ぐ。やり場をなくした悔しさと憤りが体の中で暴れ回って、今なら眼光だけでワシ羽の男を射殺せさえするような気さえしてしまう。
そんなぼくの内心に気づいたのか、ワシ羽の男はまるで見せつけるようにゆっくりと、だけど正確に晶の腕に刃を近づけ――
――くそぉっ!
迷っている暇も考える時間もなかった。晶の手を握っていた手から力を抜く。支えるものを失ったぼくの体は、重力に引かれて落下を開始。途端襲いかかる浮遊感に所詮は|《海人》(オセアノ)でしかないぼくは逆らう術なんてあるはずもなく、みる間に青い空は遠くなり、当然そこに止まる晶とワシ羽の男の姿は小さくなっていく。
谷の両岸に待ちかまえていた連中を置き去りに、深い谷に呑まれたぼくはただただ自分のふがいなさを、無力さを噛みしめた。




