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符術士の夜

「……そんな事があったのか」


 宿屋の一室。日もどっぷりと暮れ早い者はもう眠りについているだろう時刻。オレらのような根無し草も基本的には日が昇ってから日が落ちるまでが活動時間に当たるものの、街中では野営の準備など諸々が必要ないし、移動の間にはあまりできない道具の手入れなんかもやるため、日が落ちるのと就寝はイコールにはならねぇ。

 夕食も終えて部屋に戻ったオレ達は各々就寝の準備をしながら昼間別行動を取っていたため、迷子騒動を知らない黒に事のあらましを伝えた。

 いつもの事ながら表情変化の乏しい符術士殿は、けれど晶に比べればまだ感情の起伏が表に現れるわけで、そのわずかな変化も最近ではそれなりに感じ取ることができるようになってきている。

 現に今の返答も、ぱっと見興味なさそうであるが、その実心配しているのだろう、視線が衝立の向こうへ向かう。


「まーな。大事にならなくて良かったよ」

「……同感だ」

「ところで、おまえは何か心当たりとかねーか?」

「……?」

「晶の事だよ。風の話では、一人で街の中うろついてたってんだぜ? なのに戻ってきてみればいつも通り……いったい全体、どうなってんのかね」


 つい、愚痴のような言葉を向けてしまう。

 晶を連れ帰った二人に話を聞いたところ、晶は誰に連れられるでもなく、一人で歩いていたという。それはつまり、症状が改善されて自分の意志で動いたって事。けれど帰ってきてみればいつもの通り無言無表情無反応の三点セット。……これならどっかのよからぬ輩に連れ回されてたって方がまだ納得ができる。

 ただ、もしそうだったらコトは平穏に終わってねぇだろう事は想像に固いわけで……特に最初に見つけたのが風、その直後に合流したのが海だと聞いた。もしよからぬ輩がいたのなら、血を見る事態になっていただろう。

 ……街の外ならともかく、街道都市のような場所で流血沙汰は流石に問題だ。いやうん流血沙汰自体そりゃ問題だけどよ。ともあれ例えそれが相手の方に非があろうと、騒動を起こしたことには変わりがないって大なり小なり咎められるのは必須だからな。

 そう言う意味でも、よからぬ輩が存在しなかったのは良いことだって判っちゃいるんだが……釈然としないものが残るわけで。


「……そうだな」


 オレの愚痴にしばし考える素振りを見せた符術士は、ややあって相変わらず感情変化の乏しい声で続ける。


「……症状が改善した、と考えるのは早計なのだろう」


 そう呟く黒は、帰宅後の晶の様子を思い出しているのだろう。帰宅後も晶の様子が普段と変わらないのは、黒もよく知っていることだ。


「……考えられることは、いくつか。……一、晶自身の意志が戻り、何らかの理由で一人歩きをし、その最中にまた症状がぶり返しこの状態となった」

「原因に心当たりは?」


 問いを投げれば、黒は首を振る。


「……判らん。二、何者かが連れ去り、連れ回していたがこちらの捜索に気づき解放した」

「けど、風が見つけたときにはそれらしいの居なかったって言うぜ? あいつ空から探したって言ってるし、んなのが居たらすぐ判るだろ。その後も晶は移動してたみてぇだしよ」

「……勘の鋭い者なら、あるいは可能性も。三、症状はそのままに、何らかの理由で一人行動した」

「なんらかの理由って……?」

「……それが判るのなら、苦労はしない」

「だよなぁ」


 晶の症状については、実のところオレ達は状況からおそらくそう言った状態だろう――そんな推測しか立てられちゃいないのが現状だ。


「……ともあれ、どのような事柄が原因にせよしばらく目を離さん以外、これといった対策も立てられん」

「結局は、受け身の対処ってか」

「……そうなる」


 怪我ならともかく、あの出来事で晶が負ったのは精神的な傷。それをどうすれば軽減できるか何ざ、専門家でもないオレらには皆目見当がつかない。

 結局のところいつもと同じ結論に落ちつくしかない現状に苛立ちを覚えないはずもなく、しかしそれ以外の対処をとれないこともまた事実で。

 病気や怪我、外傷なんかを治療する医師はそこそこ存在するけど、精神的な傷を癒すなんざ、それこそ怪しい宗教かって話だからなぁ……声高に謳い文句にしてるのは出来ればお近づきになりたかねーし、かといって聞いて回るにも下手に声をかければそれはそれで怪しい人物だ。まったくどうしろってんだ。


「そう言えばよ、符術には人探しに使えるのとかって何かねぇのか?」


 とはいえ、何も対処できずなんてのはシャクなわけで。……少なくともまた同じように晶の姿が見えなくなったとき、探すための手段を講じておきたい。

 そう持ちかけたオレに、黒はしばし考え込み、


「……考えておこう」

「悪ぃな、手間かけて」

「………」


 首を振って気にするなと言外に語る。


「なになに? 二人で何内緒話してるのー?」


 オレらの会話を聞きつけたんだろうな、海が「まーたぼくらをのけ者かぁっ」とふざけ交えにくいつく。


「ちげーよ、相談事だ相談事。それよりおまえ、さっさと寝ろよ。ただでさえちっけぇのに、夜更かしなんぞしてたら背、延びねぇぞ」

「あー、ひっどい! 誰がちびだよ誰が! ぼくはこれから延びるのっ」

「一応成人してんだろ、おまえ……」


 どう考えてもお子さまにしか見えない海ではあるが、自己申告では成人しているとのこと。そりゃぁ成人後も背が伸びないとはいわねぇけど、それにしたって限度はあるだろ? 過度な期待は後々の落胆に繋がると思うがね。

 呆れた溜め息にこちらの内心を察したか、ますます頬を膨らませる海(オコサマ)だった。


「……そーいうトコがガキだってんだよ」

「ガキって言うなガキって! それを言うなら狼だって、まだまだ玄人のお歴々には届かないじゃん!」

「あに比べてんだよ。比較対象おかしいだろ?」

「おかしくないもんっ」


 ぎゃいぎゃいわーわー。

 いつものように下らない口喧嘩は、衝立の向こうでとっとと睡眠モードになっていた風からの「五月蠅い!」という苦情によって物理的干渉をされるまで続いた。





 薄い窪み部分に貯まる水に浸した墨を、平坦になった墨道にこすりつけ、少しずつする。時折手を取め筆を執り、筆先に含ませた物を布につけて濃淡を確かめる。元々あまり上等とはいえない布は、もう随分と使い込んでいるため手入れをしているにも関わらずすすけて見える。

 はたしてそれは極々少量ずつであるとは言えこうして墨を吸い続けた結果か、それとも明かりといえば手元にある蝋燭の弱々しい明かりと窓から差し込む月光と星明かりという環境がそう見せているのか、いささか判断に苦しむところだ。

 狼達四人が眠りについた後も、俺は寝床に潜らず手を動かす。普段から野営をする場合も夜通し見張りを行うため、この光景はある意味では普段と何も違っていない。

 ただ、野営とは異なり周囲への警戒をさほど必要としない街の中。本来なら俺も体を休めておくべきだろうところだ。

 それをしないのは術符を作るという理由もあるが、根本的なところは野営の時と何も変わらない。でなければ、何故暗い中わざわざ灯りをつけて作業をするだろう?

 夜目の利く《変化》を持つ者ならその明かりすら要らず、さして苦ではないのかもしれないな、などと頭の隅で意味のないことを考えながら、昼間調達した紙に文字を刻む。

 紙の長さは手を開いたのと同等か少し長く、幅は手のひらよりも若干狭いかといったところ。強力な符術を発動させるためには多くの文様を刻み込まねばならず、これよりも広い紙を用意しなければならない事もある。が、一般に流通する獣除けの木符であればこの大きさで十二分に事が足りる。それどころか中級程度の術までであればまずほとんどの場合において事足りるため、俺はこれ以上の大きさの紙を必要としたことはない。切る手間を惜しんだことならあるが。


 何枚目かの獣除けの木符に文字を刻み、次の紙を取ろうと伸ばした手が空を切る。見ればいつの間にか必要量を作り終えていたようだ。にじんでしまわないようずらして並べた術符が乾いているか、一つ一つ確認しながら重ね、改めて数を数える。

 必要数より五組ほど多く作れていることを確認し、一度一組ずつ纏めていく。獣除けの木符は基本的に四枚一組で使用する。効果対象、つまりは野営地を囲むよう四隅に配置するのが一般的な使い方だ。

 最も、効果面積がそれほど広くなければ一枚、あるいは三点を結ぶ三角形に。逆に範囲が広い場合は一定の距離おきに一枚ずつ配置しなければ効果の程が薄く、勘の鋭い獣には発見される危険性が増すのだが。

 ともあれ、四枚ずつに分けた術符を一山手に取り作業に戻る。文字を刻む際にも力は込めているが、それはいわば下準備の一つ。他の道具造りに例えるのなら材料を揃え、必要な大きさに切り出したような状態だ。

 自分で使う物ならばともかく、符術を使う技能を持たない者が扱うためには、ここからさらにいくつかの工程を必要とする。

 机の上に置いた四枚の内一枚を手に取り、符術を発動させる時のよう、力を込める。普段は《変化》に、あるいは気孔術に使うものと同等の力。それを意識的に操作し、文字を書き込んだ術符に流し込む。

 必要とする力を得た術符は、刻まれた文字に従い術の効力を発動させようとする。このまま放置すれば間違いなく術の効力が発揮されるのだが、それでは他者に売ることは不可能だ。

 故に、ここからの工程が必要となる。

 右手に取った筆に墨を含ませ、そちらにも力を込めながら術符の端に新たな文字を刻む。その瞬間、今にも効果を発動させようとしていた術符はその兆候を納め、静まる。

 術符に新たに刻んだのは、維持、保存――おおよそそう言った意味がある文字だ。これを刻むことで発動仕掛けている符術を一時的に停止させることが可能だ。

 以前、符術は術符さえあればどんな者にも使用できると言ったが、それはある意味では正しく、ある意味では間違いである。

 術符はその内にある力を利用し、刻まれた文様に従い術を発動させる。

 符術士は術を使うため術符に文字を刻み、己の内にある力を流し込む。前者は知識がある者にも、あるいは術符を見て真似ることでもある程度の再現が可能だが、力を流し込む事については一朝一夕にできることではない。例え気孔術を修得している者であったとしても、刻まれた刻印の意味を理解しておらねばならず、また術符によって必要な資質も異なるためだ。

 そのため一般に対して売る獣除けの木符のような物の場合、作成者があらかじめ術符に力を込めておく必要がある。

 ただし、術符という物は基本的に内に力が有ればそのまま効力を発揮してしまうため、保存は不可能だ。その問題を解決するのが先に新たに刻んだ文様となる。術者の力量にもよるが、おおよそ一月から半年程度の間術符に込められた力を保持する事が可能だ。

 術符を購入した者は、必要な場合封の刻印部分を破き、あるいは切り取るなど破損させることでその効力を無くし、符に込められていた本来の効力を呼び覚ます、といった形で術符の力を引き出している。

 例えるなら、符術士はあらかじめ用意しておいた材料をその場で組み立てている。それ以外の者はあらかじめ組み立てられ、かつ傷つかないよう梱包されていたそれを破き中身を取り出す、といったところだろうか?

 術符に力を込めながら、その効力を封じる作業を施す。淡々と繰り返し、床には再び術符が散らばる。すべてに処置を終えた後、先に処置を施した物から順に回収していく。

 再び数を数え、間違いがないことを確認した後すべて纏めて封筒に放り込む。売られるときは四枚一組で扱われるが、それは協会の職員が品質に問題ないか確かめてからのこと。不備があるとは思わないが、こちらで組んでおくと協会の方でまたバラすことになるため、こうして一括に纏めて納品する方が喜ばれるのだ。


 ひとまず納品分すべてに保存処置を終え、術符造りは一区切りを迎える。長時間の作業に凝り固まった肩を解すようぐるりと動かす。運動ともいえぬ動きに誘発され、滞っていた血行が僅かながら活性化したような気がした。

 ふと窓から空を見上げる。視線の先に広がるのは相変わらずの暗い空であり、星の光が静かに存在を主張している。欠けた月の高さからして、まだ丑三つ時を過ぎたか否かといったところ、か。

 日の出までの時間を計算し、こみ上げる眠気を欠伸と共にかみ殺す。やることは他にもあるのだ、どうせ夜はあまり休めるはずもない身、手を休めるのも程々でいいだろう。

 獣除けの木符の仕上げで減っていた墨を再び作る。墨が削れる静かな音に同室の面々が目を覚ますことはないが、それでもできる限り音を立てないよう静かに行う。

 再び濃さを確認し、良い塩梅に調節できたことを確かめると一度筆を置き、意識を背に集中――

 風に揺れる梢の音程度の羽音と共に、闇に溶ける翼が現れる。黒一色、まるで先ほど調節した墨がそのまま翼の形を取ったような、色濃い黒。

 室内でするにはいかがなものかという《変化》ではあるが、飛ぶわけではないのでまあ、大目に見てもらいたい。カラスの翼は広げれば片翼だけで俺の背を優に越えるが、畳んでいる分にはそこまで場所を取ることはないのだから。

 とはいえ、広げた場合はこの部屋では手狭としか言えないこともまた事実。手早くすべき事を済ますべく、畳んだ片翼を僅かに緩め、手を伸ばす。


「――ん」


 翼の上部を覆う小雨覆の一つを手に取り、引き抜く。小さな羽ではあるが、《変化》によって現れるそれは当然本物のカラスの物よりも大きい。手の平よりも二周りほど小さい程度のそれは、自然に抜け落ちた物とは異なり無理矢理引き抜いたため、根本部分に血液が滲む。

 じわりとにじみ滴となるそれを、落とさないよう硯の上に移動。ぽたりと一滴、赤い滴が黒い墨の中にこぼれ落ちた。

 それを確認し次第すぐさま《変化》を解き、血の混じった墨を撹拌し力の通りを確かめる。術符を作る最、触媒として術符に己の一部である血液などを予め混ぜ込む事によって、力の通りなどが向上する。己の一部が混ざることにより、体内の力がより馴染むため、だと考えられている。

 一方、こうした処置を施した術符は作成者以外の力をやや受け付けにくくなる。符術士同士の戦いとなった際、相手に術符を奪われたとしてもすぐさま術を発現させる事は難しく、逆に作成者本人が用いた場合は、力の浸透をしやすく、術の発動や効力が上昇傾向にある。このような処置を専属化と呼ぶ。

 専属化を施した術符は術者本人が使用するための物であり、他者に売る場合はこうした処置を施さないのが普通だ。

 小太刀で切り分けた和紙を取り出し、再び文字を刻む作業に移る。墨が切れれば作り足し、紙が少なくなれば切り分け、手持ちの術符を基にこれから作るべき術符を頭の中に並べ、片端からそれを作り出す。


 そうしてどれほど時間がたっただろう、気づけばあれほど瞬いていた星は姿を隠し、目にする事はできない。白み始めた空が夜の終わりを告げる。

 名残のように白い月が地平に沈む一方で、東の空から太陽が顔を出すのは、もうまもなくの事だろう。

 そろそろ集中力が怪しくなってきたことや墨も底をつい手きたところだ。きりがいいと作業を切り上げる。

 机の周囲に散乱した術符を踏まないように部屋の外へ。音を立てぬようそっと閉じた引き戸はこちらの意志を汲んでくれたよう静かなものだ。硯や筆、試し用の布や水入れなど使用した道具を抱え、そっと建物の外へ。

 こういった宿屋にはよくあるもので、裏庭に出ると小さな井戸がある。宿泊客も利用可能な共用スペースに配置されている。先ほどまでの作業でも使用していた水はここから頂戴したものだ。

 蓋代わりに置かれた板を数枚横に除け、縄の結わえられた桶を放り込む。しばしの間落下音が響いた後、水音。

 水面に落ちた桶にある程度水がたまっただろう頃を見計らい、もう一つの桶に結わえられた縄を引く。加えた力は一度滑車を通じて井戸に落ちた桶へと伝えられ、カラカラと滑車の奏でる音と共に桶が昇ってくる。水が入ったため、ずしりと重いそれを引き上げ洗濯用のタライに半分ぼど移す。

 硯と筆を隅々までよく洗い、試し布をもみ洗いし、水入れを濯ぐ。汚れは落ちたと納得できたところですっかり汚れてしまった水を捨てる。半分残した水で硯などを順に濯ぎながら、さらに残った水でタライを濯ぐ。最後に湿気が溜まらないよう少し隙間を空けつつ逆さに伏せた。

 そう時間を置かず宿の者や他の宿泊客などが起き出し、井戸を使うだろうが今は姿がないため蓋を閉め、道具を持って部屋に戻る。


「んー……、おう、黒か? 相変わらずは早えーな」


 極力音を立てないように引き戸を開けた先、寝具の上で上半身を起こした狼が寝起き直後といった体で、しかし存外意識ははっきりとしているようでそんな言葉が飛んできた。


「……起こしたか?」

「いんや、まぁだいたい起きる頃だしな。気にすんなって」

「……そうか」


 いつものようにひらりと手を振り、まだ眠気が残っているのか欠伸をかみ殺す。その姿にどことなく弟達の事を思い出しながら、乾かしていた術符を回収し、カビが生えないよう洗った硯などを干していく。


「黒は今から一眠りか?」

「……ああ」


 丁度入れ替わるような形で横になった俺に、狼はいつものように言葉をかける。


「毎度ご苦労さんなこって……。あー、一応静かにするようには言っとくけど、あいつ等起きたらそれなりに騒がしくなっから、覚悟しとけよ」


 いつもの言葉に、こくりと相づち。


「それと、ここ朝食は明けからやってるとか言ってた、あんま遅くなると昼の扱いになるから、それまでに食いにこいってことだ」

「……解った」


 元より、移動の際も長く寢転けたつもりもないのだが。

 そんなことを思いながら寝具に潜り込み、ゆるゆるとわいてくる眠気に身を委ねた。

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