おまけ 翌日の朝
シアは目を覚ました。
見覚えのない天井が目に入る。体に巻きつく温もり。耳元には人の寝息。
そろりと横を見て、彼女は驚愕に目を見張った。
少し癖のかかった赤毛を子供みたいに散らして、国王が眠っている。
彼女は慌てて飛び起きた。
今は何時だろう。いつのまに人のベッドにもぐりこんで寝入ってしまったのだろうか。ここに泊るわけにはいかない。早く教会に帰らないと。
彼女は不安と焦りに泣きそうになりながら、ベッドを降りようとした。
が。
「おはよう、シア」
腰にまわっていた彼の腕に、ぐいっと引っぱりよせられ、動きを止められる。
「は、離してくれ。早く帰らないと」
「教会へは連絡を入れさせておいた」
王は欠伸をしながら言った。そして、のそりと起き上がる。
すると、彼の胸の内へ抱きこまれるようになり、彼女は体を強張らせた。そっと体を離そうとするが、彼の腕はびくともしない。
心臓が早鐘のように鳴って、苦しくてたまらなくなる。彼女は喘ぐように、王に尋ねた。
「連絡とは?」
「あなたを教会へは帰さないと」
シアは鋭く息を吸い込んで、息を止めて、振り返った。あまりの驚きに、声が出ない。それでも、何か言わなければと、はくはくと口を動かす。
「私の寝室で一晩を共に過ごした女性を、そのまま帰すことはできない」
体を密着させながら、王が恐れていたことを告げた。
「わ、私は」
「真実がどうであれ、規範は曲げられない。それは、あなたなら、よくわかっていよう?」
シアとて王族だ。後宮で育ったのだ。王の言うことがわからないわけがなかった。
「でも」
「あなたは不本意かもしれないが、私は嬉しい」
王の腕に力が入り、抱きすくめられる。頬が彼のこめかみのあたりに押し付けられ、まったく動けなくなった彼女の耳に、情熱的な囁きが吹き込まれた。
「私は、出合った時から、あなたを愛しているんだ」
彼女の全身で、ドクリと血が脈打った。かっと一瞬でどこもかしこも熱くなる。
あ、愛してるって。
だって、なんで、そんなこと。
思考がとり散らかり、まともに何も考えられない。
なのに王は、もっと熱を注ぎ込んできた。
「もう、あなたを片時も離したくない。どうかお願いだ。私の妃になってくれ」
その瞬間、シアの中で、何かが許容量を越えた。
堪えきれなくなった分が、全部外へとあふれ出てしまう。
「ふ、うええええええ~。いやだぁ~」
彼女はぼろぼろと涙をこぼしはじめたのだった。
いやだ?
泣くほど、嫌なのか!?
王はショックのあまり、固まった。
熱に浮かされたような気持ちが、いっぺんに冷えてしぼむ。
腕の中の愛しい人は、己の告白を聞いて、嫌だといって泣いている。身も世もなく、子供みたいにわあわあと。
どうすればいいのかわからなかった。
王は現実逃避気味に、夜中に目が覚めて、彼女が自分にもたれかかったまま眠っているのを見つけたときに、起こすべきか迷いつつも、ベッドの中に引っぱりこんだ愚かな自分を、力の限り罵倒するしかなかった。
近頃の彼女は、律儀に親切ではあっても、どこか苛々として、よそよそしかった。だから彼も不安で、ついこれ幸いと、彼女の失敗につけこんでしまったのだ。
馬鹿な真似をした。時間をかけて、信頼と愛情を育もうと思っていたのに、台無しにしてしまった。
それでも、後戻りはできない。これを、なかったことにはできないのだ。
ならば、彼にできるのは、誠意を見せることだけだろう。
やっとそこに辿り着き、彼女に話しかけた。
「私には、あなただけなんだ。あなたを大切にすると誓う。だからどうか、」
泣かないでくれ。そう言うつもりが、声に詰まった。彼の方こそ胸が痛くて、泣きそうになったのだ。
ところが。
「嘘」
涙の間に、妙にはっきりと彼女は言い返してきた。
彼は、むっとして彼女を見た。この気持ちが、嘘だと!?
「嘘なんかではない。勝手に決め付けるな」
さっきまで考えていたことなどすっかり忘れて、激情のまま声を荒げれば、彼女もキッと睨み返してくる。
「すぐ嘘になる。重要なことを、簡単に約束するな」
「嘘ではないと、言っているだろう。何を根拠に人の気持ちを否定するのだ」
「一国の王が、妃が一人きりですむわけがないだろう。なのに、あなただけだなんて、気軽に言いおって。これを嘘と言わず、何と言うのだ!」
憤慨して涙も止まったらしい彼女は、しゃくりあげながら、彼を責め立てた。
そんなふうに、怒りに我を忘れている彼女もまた綺麗で、そんな場合ではないというのに、彼は思わず見惚れてしまう。
それで言い返すのが遅れたら、彼女は興奮しきりに、さらに言い募った。
「私は嫉妬深いぞ! 虐めの手練手管は厭というほど知っているからな。新しい妃なんか、いびりたおすからな! そんな女、いくらあなただって、嫌だろう!!」
王は、彼女の顔を、穴が開きそうなほど眺めた。
彼女は真剣以外の何ものでもない。嘘も冗談も言ってないようだった。
しかし、だとすると、
「あなたは私が好きなのか?」
嫉妬するほど?
信じられない思いで尋ねてから、しまった、もっと他に聞きようがあっただろうと、内心慌てる。
しかし、彼女がさっと顔色を変えて、上目遣いに再び涙ぐむのを見て、それも吹き飛んだ。彼女の表情が、すべてを語っていた。
得た確信に、とどめようもないほど、心の奥底から喜びが次々にわいてくる。
彼は笑み崩れて、もう一度彼女に、真摯に語りかけた。
「私には、あなただけだ。神に誓う。あなた以外に妃など持たない」
彼女は、黙って黙って黙った末に、唇を震わせて、声を絞り出すようにして言った。
「破ったら、罰があたるぞ」
王は力強く頷いた。
「それでいい。この命は、あなたのものだ」
彼女の双眸から、再び涙がこぼれだす。ほろほろと肌理の細かい肌の上を転げ落ちる。
彼女の肩をそっと抱き締めなおせば、彼女は素直に頬を寄せてきた。
細い指がはいのぼり、ぎゅっと彼の夜着を掴む。
きっとそれが、彼女の答えなのだった。




