9話 裏側の常識
「……何これ」
更衣室で着替えたものの、与えられた制服は、想像していたそれとは程遠かった。
合わせ襟に、広めに設けられた袂。生地が厚いスカートにはヒラヒラとした装飾がある。東の国で近い意匠のものは見たけど、どう考えても掃除向けじゃない。
誰だ、これを採用したの……外で待っていたアルトは、この姿を見るなり感心したようにうんうんと頷いている。
「ここの制服だよ。とても似合ってる」
「掃除には不向きでしょ。襷が必須じゃん」
「もっと実用的だったんだけどね。ここ数年で、若い子達の要望でそうなったんだ」
この城に仕える使用人達は、随分と可愛らしい嗜好をお持ちらしい。自分の思考と比べると、改めて、生きる環境の違いを思い知らされる。
でも、露出が控えめなのは好都合だ。暗器を隠す場所も多いし、動きも悟られにくい。ポジティブに考えよう……少し可愛いし。
「今日はまずお試しということで。道具の場所や城内の過ごし方は先輩方に聞くといい」
「先輩方って?」
「初めてだし、ベテランに付いてもらうように言ってある」
アルトが手招きすると、廊下の先から数人の女性がやって来た。
年齢はまちまちで、年配の方は動きやすそうな格好をしていて、若い人達は私と同じ制服を着ている。どうやらここの掃除婦さん達らしい。
「新入りさんね! 私はマーサ・ドナ。アルト様から聞いてるから、何でも頼ってね」
丸みのある体格に快活な笑顔の女性が、そう名乗って私の手を握ってくる。他の皆も同じで、物怖じしない様子で次々と名乗ってくれた。
アルト様、なんて呼び方に違和感を抱いているうちに、本人はひらひらと手を振りながら廊下の奥へ消えていった。……丸投げじゃん。
「えっ、と……リン・エストルムです。よろしくお願いします」
「リンちゃんね。いくつなの? 娘と同じくらいかしら」
「二十歳、です」
「あら若い、うちのより少し上ね」
「若いのに城で下働きなんて大変ねえ。どこから来たの?」
「見ない髪色だけど、遠いところから来たの? 遠路で大変だったでしょ」
「あはは……そ、そうですね。東の辺境にある、小さな村の出で——」
皆で私を囲うなり、ひっきりなしに質問が飛んでくる。ここの主人を殺すために潜り込みました。なんて口が裂けても言えないし、とりあえず他の部分では誠実に答えながら、半分くらいは誤魔化すように笑う。
この人達は魔族だ。私が憎んできた側の種族だ。なのに優しくて、温かい。笑顔で言葉を交わすたびに、喉の奥が小さく締まる。
「でも、アルト様のご紹介なら安心ね。あの方、本当に気が利くんだから」
「アルト……様って、そんなに人気なの?」
「人気なんてもんじゃないわよ! 去年も息子が病気をした時に薬を手配してくれたし、お世話になりっぱなしよ」
「私なんて、母の葬儀の時に休みを融通してもらって……」
「立場があるのに、偉ぶらないでしょう? ああいう方は珍しいわ」
(……人望あるんだ、あいつ)
皆から次々と出てくるアルトへの賛辞。情報を小出しにして人を操る男だと思っていたけど、ここでの評判はそうじゃないらしい。
表と裏がある人なのか。それとも私の見方が偏っているのか。どちらかは、まだ分からない。
「それじゃ、今日から仲良くしましょ! 色々あって来たんだろうけど、うちの子達はみんないい子だから安心して」
そして、それはこの人達も同じだ。マーサが差し伸べてくれた手を、私は一瞬だけ見つめてから握り返した。
◇ ◇ ◇
午前中は城の西翼から掃除を始めた。
マーサ達が要領よく手順を教えてくれるので、作業自体は難しくない。それに覚えは特段早いから、みんなから驚かれながらも作業は進んだ。
ただ、歩くたびに色々なものが目に入って思考が止まらない。
忍び込んでいた頃の印象とは違う。兵士達は自分の持ち場をきちんと守っていて、巡回の間隔も規則正しい。雑談はするが、声を荒げる者はいない。
職場として見れば、むしろ整然としている。使えるものがあるか探っているうちに、そんなことばかりが見えてしまう。
「あのさ、マーサさん」
「なあに?」
「ここの兵士さんって、みんなこんな感じなの? なんか、思ったよりちゃんとしてる」
「あら、何を想像してたの」
おかしなことを言うのね、とマーサは笑う。魔王の居城だから殺伐としてるイメージだった、なんて正直に答えるわけにもいかなくて……なんとか愛想笑いで誤魔化すけど、これもいつまで通じるかな。
「陛下が厳しい方だからねえ。不正や手抜きは一切お許しにならないから……全部じゃないだろうけど、上が腐ってないと下もそれなりに真っ当になるもんでしょ」
ふうん、とモップを動かしながら考える。
魔王が統治者として真っ当な奴なのは分かる。けど城下の、外の世界の魔族を知っていると、ここの統治とギャップを感じてしまう。
目の届く領域以外は、どうでもいいってこと? それとも、別な理由があるの?
「アルト様が色々と動いてくれるのもあるわね。いつ休んでるのかしらってくらいに」
「そんなに忙しいの?」
「あの方も大変よ。枢軸院の中じゃ一番若くて、出自も平民の出らしいから、風当たりが強いんだって聞くわ。それでも飄々としてるのが凄いわよねえ」
いつも余裕そうにしているアルトも、相応に苦労はしているらしい。平民の出、かつ最年少で議席を持つなんて、並大抵のことじゃない。信頼の厚さから見ても、その行動力は窺えた。
ここでは、私の知らなかった情報ばかりが入ってくる。それなら——。
「なら、陛下はどう思う?」
私にとっては、まだ許しがたい敵だ。でも、ここに仕える人はどう思っているんだろう。
思い切って聞いてみると、マーサは少し考え込む素振りを見せた。
「……怖い方よ、正直なところ。何を考えているのか、私には考えもつかないもの」
「たとえば?」
「そうね。あまり大きな声では言えないけど……とにかく淡々としていて、冷徹な方なの。笑ったところを見たことがないもの」
魔王については想像通りだ。私が知るあいつと、だいたい合っている。中庭の見える窓を拭きながら、マーサは続けた。
「でも、理不尽なことは言わないのよ。あまりに規則的だから仕えやすいとは言い難いけど、感情で動かないから信用はできるわね」
「信用……か」
「それにご病気もせず、自分が一番働くから、恐れ多いところもあるわ」
「えっ、一度も?」
「即位してから聞いたことが無いもの。そういうところも城の規律に繋がってるのかも」
おかしいと思ったけど、あれだけ潔癖ならそうもなるか。病原菌が入る隙間も無いって感じだし。
秩序そのものである魔王に、脇を固める優秀な人達。その下で保護された平和。なんとなく、この城全体のイメージが掴めてきた——そう思った、矢先のことだった。
「誰に対しても贔屓しないし、公平なのよ。それこそ人間にすら保護区を設ける寛大な方でもあるわ」
「人間に、すら……?」
「そう、彼らは弱いからって。ずっと進めてきて、何年か前にやっと実現させたのよ。立派なことよね」
「——っ、……」
見下すな。と言いかけて引っ込める。肯定を言葉にできなくて、小さく頷くことしかできなかった。
そうだ。マーサも良い人なのは違いないけど、それが彼女の、魔族の常識なんだ。そこだけは覆らないし、忘れちゃいけない。
ただ、それだけに違和感が大きくなっていく。それが魔族の常識なら——。
(魔王は、あいつはなんなの?)
ここに来て分からないことだらけだ。これまで憎んできた魔王と、あいつの実像が違う。あいつが言った正義は、どうにもこの世界と噛み合わない。
何が正しくて、何が嘘なのか。確かに距離は近づいたのに、真実に近づいている気がしなかった。
◇ ◇ ◇
午後には掃除の技術も合格をもらって、単独での清掃を任せてもらえるようになった。私の担当は城の東翼、あいつの執務室が近いことを考えると悪くない。
迷いながらでも仕事は仕事だ。ひとしきり床を磨き終えて、窓を拭き上げていく。……その中で、ふと目に入ったものがあった。
中庭の一角。簡素だけど、人が暮らすには十分な大きさの長屋が立ち並ぶ、他とは風変わりな区画。賑やかに子供の声が響くと思ったら、見知った顔がそこにあった。
「あははっ、待ってよ!」
(あれは……サーシャ!)
区画の中央、石畳の広場で子供達が笑いながら走り回っている。亜麻色の髪を揺らす後ろ姿は、間違いなく彼女のものだった。
それを見てようやく理解した。あれこそが魔王の手配した難民の保護区なのだと。調査をしていた時から、他と雰囲気の違う区画だと思ってたけど……まさか城の中、魔王のお膝元に難民の保護区があるなんて思ってなかった。
しかも、人間達の間で思われてるような待遇とは違う。見せ物にでもされるのを想像していたけど、サーシャはあの夜とは別人のように声を上げて笑っている。その姿に思わず口元が緩みそうになった。
(声をかけたい。けど……今はダメだ)
今は新しく入った使用人だ。サーシャが私の名前を呼べば、指輪があってもそれだけで立場が崩れかねない。私にできるのは遠くからその笑顔を見るだけだ。
一方で、魔王は約束を守った。彼女達を難民として保護して、あの夜の言葉を本当に実行した。どちらがあの子を救ったのかを考えると、胸の中がぐちゃぐちゃになる。
(でも、私の両親は……)
お父さんの背中に、お母さんの冷たくなった手。あの日の記憶はずっと消えないままで……サーシャを助けた魔王と、私の両親を奪った世界。その二つがどうしても繋がらない。
やがてサーシャは、別の子供と区画の奥へ走り去っていく。私はそれを見届けた後、静かにその場を離れようとした——その時だった。
グワァンッ!
大きな音が鳴って、背後から水飛沫が降りかかる。咄嗟のことで避けきれず、スカートは濡れて冷たく感じるし、靴の中まで水浸しだ。
何が起きたか分からないまま横を見ると、へこんだバケツが乾いた音を立てて転がっている。そのすぐ傍に立つ男が、一人。
「掃除道具など、もっと隅に置け。おかげで靴が汚れたではないか」
青みがかった黒髪に、金色の瞳。豪奢な装飾の上着を羽織った男が、心底不快そうにこちらを見ている。
バケツを蹴り飛ばした犯人は、探すまでもなかった。中央を大きく避けて置いたはずだけど、それでもお気に召さなかったらしい。
「……失礼しました」
「ふん。ところで、貴様は何を見ていた」
男の視線が、私がさっきまで見ていた方——中庭の一角へと向く。長屋の並ぶ保護区を見下ろして、その表情が小さく歪んだ。
「時折、陛下は妙な温情を見せるな。難民の保護といい、礼儀を知らん下賤な者の雇用といい……穀潰しだ。税の無駄が過ぎる」
「……あなたは、誰ですか」
「やはり世間知らずの貧民か。私はヒューイ。この国の財務を司る、キース・エヴァン卿の嫡子だ」
キース・エヴァン——王城の付近に巨大な邸宅を構える、この国でも指折りの有力者だ。その彼が財務卿と聞けば、むしろ当然に思える。
私が黙って様子を窺っていると、ヒューイは蔑むような目を向けて続けた。
「ここは陛下の執務エリアに近い。親からろくな教育も受けなかった貧民が寄るなど、身の程を弁えろ。不愉快だ」
「っ……!」
反応したら負けだ。わかっている。……でも親のことを言われたら我慢できそうにない。私の両親は、あんたら魔族によって奪われたんだ。
身の程? 不愉快? ただそう生まれただけなのに、あんたは何様のつもり?
「……身の程を弁えろって、どういうことですか?」
「その程度の生まれなのだ。貧民は貧民らしく、分を守って生きればいい」
「その分って、誰が決めたんですか。あなたの分は、どうやって決まったんですか?」
「貴様っ……!」
金色の瞳が見開かれ、ヒューイが私を睨みつける。
同じ理屈をぶつけただけなのに、何を怒ってるのか。こっちだって抑えるのが精一杯で、とっくに我慢の限界だ。
こういう魔族は何度も見てきた。生まれながらに自分は優位だと、疑問すら持たずに他者を見下す。その常識に踏み躙られた人間が、どれだけいるか知りもしないで……!
「生意気な口をきく。どこの出だ」
「辺境の小さな村ですが、関係ありますか」
「まともな教育も無い地域か、道理で礼儀を知らんわけだ」
(こいつ、まだ……!)
「——失礼、ヒューイ」
重い空気を破るように響く、軽やかな声。背後を振り返ると、そこにはいつの間にか、アルトが立っていた。
ヒューイがあからさまに嫌そうな顔をする中、アルトはいつもの笑みを崩さず、間に入るように前へ出る。
「アルト・ゲーデル……何の用だ」
「彼女は私が手配した新人だ。東翼の清掃も、掃除婦長の判断なら正当なものだろう?」
佇まいや態度を見ても、明らかに余裕の差がある。けど、ヒューイも簡単には譲らない。
「こんな野良猫を城に引き込むとは、議会に身を置く者としてどうかと思うがな」
「そうかな。陛下の利になると判断したからこそだよ」
「随分と寛大な解釈だ。生まれが知れるな、ゲーデル。やはりお前は陛下の七光りで成り上がっただけの——」
「ヒューイ」
差し込まれるような一言。柔らかいのに、同時にどこか冷たい声は、普段のアルトとは少しだけ違った。
ほんの一瞬だけ、笑顔に何か別のものが過ぎったけど……それが何か読み取れないうちに、すぐに元の穏やかな表情に戻る。
「口の利き方には気を付けた方が良い。……それと、使用人の業務に口を挟む権限は君にはない。エヴァン卿のご子息であれば、そのくらいはご存知のはずだけど」
「ぐっ……、ぅ……」
「付け加えるなら、この子に手を出すのはおすすめしない。陛下の機嫌を損ねたくなければね」
「ばっ、バカな。陛下が……!?」
狼狽えるヒューイは、何か言い返そうと言葉を探して、結局見つからなかったようだった。アルトは笑顔のまま更に踏み込んで、何気ない様子で続ける。
「ああ、そうだ。先日の予算審議、エヴァン卿の手腕は見事だったよ。あの短期間で保護区の予算を削らず数字を合わせるのは、他にはできない芸当だ」
「それは、父上の話だろう」
「私は君にも期待しているんだよ、ヒューイ。エヴァン卿のご子息であれば、議会を唸らせる案も出せるはずだと」
その一言に、ヒューイの肩が僅かに強張った。
褒めている。少なくとも言葉の上では。なのに……なんだろう。さっきより空気が重い。
「……覚えておけ」
吐き捨てるように言って、ヒューイは廊下の中央を歩き去っていく。その背中を見ながら、私は妙な違和感を覚えていた。
あれだけ威勢が良かったのに、最後の方は明らかに口数が減っていた。言い負かされたから、ではないと思うけど……疑問を遮るように、アルトは私の方を見て口を開く。
「災難だったね。初日、どうだった?」
「……複雑」
「だろうね。浮かない顔をしてるし」
この城には良い人達もいる。ちゃんと笑える場所があって、その維持には、この国の魔族が納めた税も使われている。魔王が作った仕組みの中で、サーシャはかつてない安心に包まれて笑っていた。
同時に、ヒューイのような奴もいて、その価値観が当然として通っている。魔族としては当たり前なんだろうけど、反対側の常識はまるで別な世界のようだった。
敵だと思っていた存在に、間違っているはずの世界。どっちも想像よりずっと複雑で、大きい。
もっと知れば、いろいろ見たら……私も答えを出せるんだろうか。
「もっと知りたい、って顔をしてるね」
「心を読んだ?」
「まさか、顔に出てるよ。……ちょうどいい。私から提案だ」
そう告げると、アルトは少しだけ表情を変えた。楽しそうに、でもどこか真剣に。胡散臭さは感じない。
「今度、枢軸院の定例議会が開かれる。私とカリスも出席するけど、覗いてみるかい?」
「……それ、あんたの口から言うの?」
「法務卿としては失格だけど、君のファンでもあるからね。少しは裏側を見られると思うけど……どうする?」
しれっと法務卿だなんて打ち明けておいて、その言い分はずるい。本当に食えない人だ。
この国の最奥。そして私が知らない魔王の顔。そんなの知りたいに決まってる。
どんな答えを得ても、私はあいつを殺さなければならない。それは変わらないはずだけど……納得できないままでは、あいつを殺せる気もしなかった。
「……分かった。行く」
「なら、その日の朝はここに集合しよう。それまでは、なるべく目立たないように働いていてくれ」
「たった今、あんたが目立たせたばかりだと思うんだけど」
「彼の場合は、ああでもしないと向こうから突っかかってくるからね。せめて現場では、うまく溶け込んでほしいな」
アルトはそう言って、悪戯っぽく人差し指を立てる。
保証はできないけど、私もできる限りは努力しようと小さく頷いた。
「さて……濡れてしまったね。マーサには私から伝えておくから、風邪を引く前に着替えてくるといい」
アルトは満足そうに言い残して、廊下の奥へと去っていく。また口車に乗せられてしまった気もするけど、ひとつだけ確かなことがあった。
魔王のこと。アルトのこと。この世界のこと。
答えを出すためにも、私は——。
(……もっと、知りたい)




