10話 秩序の防人
城の最深部。そこには魔族領の運命を左右する、枢軸院の議事堂が鎮座していた。
円を描く議席には、この国を代表する議員たちが分野ごとに数十名。その最前列には、各代表六名。総勢二百人ほどが席を構えている。
その中に見知った顔、法務卿としてのアルトが。そして議席の中心には、魔王カリスが座している。通風口の中で埃っぽさを感じながら、私はそれを見下ろしていた。
(これが、この国の中枢か)
覗いているだけなのに、肌を刺すような圧を感じる。
ただ、議会の様子はイメージと違った。もっと薄暗い中で進む、世界を牛耳る連中の秘密会議みたいな印象だったのに。
実際は照明で照らされて、それぞれが机に表札を置いて、顔も立場も明らかにした上で議論が進められている。
(でも、アルトはなんで私を誘ったんだろう)
思い返すこと数時間前——アルトは私と合流するなり、迷いのない足取りでここに導いた。しかもどうやって手引きしたのか、ご丁寧に警備まで解かれている状態で。
保安上の都合なのか、どんな図面にも記されていない通風口。城壁の外から伸びていたからか、下調べした私も知らなかった、あからさまな秘匿情報だ。
『なんで、こんな場所を知ってるのよ』
『法務卿の特権、と言いたいところだけど。私もいろいろと"調べた"ことがあってね』
それ以上は語らなかったけど、どこか含みがある様子だった。これは秘密だよ、と念を押す時には、いつものアルトに戻っていたけど。
『この先は、君が知りたかった世界の姿だ。私もカリスも、そこで待っているよ』
地獄の入り口に立ったようなプレッシャーを感じつつも、その言葉に抗うことはできなかった。恐怖や警戒よりも、知りたいという好奇心が勝ってしまったから。
歪んだ世界も。アルトの真意も。魔王のことも——知らなければ始まらないと、前に進むしかなかった。
(……まあ、色々考えるのは見て、聞いてからか)
これを見るために四日間も奇襲を控えて、仕事に専念した。その間は装備の更新と、夜な夜な魔王の強さを自分の感覚に落とし込むぐらいしか出来なかったのだから、収穫くらいは得たい。
衣擦れの音ひとつ立てず、静かに議場を観察する。議事堂に響くのは、怒号でも罵声でもない。時折ガヤは混じるけど論理的で、基本的には静かな会話だ。
物流の最適化。資源の配分。税制。難しいことはわからないけど、場を引き締めているのは魔王の存在だろう。あいつの一挙一動で空気がピリつく。
「——陛下」
一際低い声を上げたのは、重厚な銀髪を撫で付けた壮年の男。表札に記された名前は財務卿、キース・エヴァン。
間違いない。ヒューイの父親で、国の金脈を握る実力者だ。背後に並ぶ議席を見るに、おそらくここでも最大の派閥を纏める頭だろう。
「此度の予算案、特に難民対応に割く数字が常軌を逸しております。我らの利益を削り、無価値な人間に分け与える……少々、過剰では?」
「価値を測る尺度が違う。脈は一つ潰したが、根絶やしには足りん。淀みを放置すれば、いずれ国そのものが腐る。卿も理解はしているのだろう」
(潰したって……あの夜のこと?)
北区の倉庫街に蔓延っていた奴隷商人の噂。確かに、あれ以降は耳にしていない。あれから魔王が動いて、解決したということだ。
紙切れを読んでるだけだと私は言ったけど……結果と数字は、魔王の行動を何よりも雄弁に示していた。
「無論。ある程度の許容は必要でしょう。しかし、保護の結果が穀潰しとなるようでは負担でしかない」
「労働は義務だ。分け隔てなく、全ての民に例外は無い。未だ奴隷商が跋扈していては、適切な把握管理すらままならん。支援策はスランバート卿に一任している」
魔王の言葉に、内務卿の席に着く蒼銀髪の女性——シュナ・スランバートが軽く会釈する。多数の議席からガヤがあがるも、魔王の一瞥で再び静まった。
「内務卿の手腕は私も認めますが、彼女は混血です。些か公平性に欠けるのでは?」
「卿のような権威側より反動を招かない。それも事実だろう。オレは血より行動で評価している」
(混血って……人間の血も混じってるの?)
瑠璃色の瞳に、透き通るような肌と髪。混血と言われても反応が無いところを見ると、多分慣れているのかもしれない。
内務卿も良いとこ育ちの貴族かと思ったけど、アルトと同じでワケ有りっぽい? 魔王の基準は、他の魔族とは違うのかな。
やがてエヴァン卿は小さく息をつくと、視線の行き先を内務卿から魔王に向け直す。
「なら、相応の成果を待つとしましょう。……時に陛下。清廉潔白な理想の影で、最近は随分と可愛らしい野良猫を飼っておられるとか。我が息子も、不快な思いをしたようで」
理解できないうちに話が変わって、エヴァン卿の視線が鋭く光る。野良猫って、私?
いや、あんなの自業自得でしょ。それに私も喧嘩売ったけど、アルトの方がヒューイを怒らせてたし!
「経験不足の愚息ではあるが、私も親だ。同じことが起きぬよう、少しばかり教育を手配しております」
(教育って……えっ!?)
「くははっ、エヴァン卿。それは手荒すぎるだろうに」
あまりにも大胆すぎる牽制。長い黒髪に無精髭の男、外務卿のゼファー・マグニスだけは内容に触れるも、議場は一気に静まり返る。
この衆目の中で、堂々と刺客を差し向けたことを宣言した。つまり財務卿には、それだけの力があるんだ。
まだ私が人間とはバレてないみたいだけど、だからこそ教育の意味が食い違うわけで……どうするのかと魔王を見ると、全く動じていない様子だった。
「オレが飼っているわけではない。勝手に住み着いているだけだ」
「ほう、つまりは?」
「好きにしろ。そんなことで死ぬほどヤワな器でもないがな」
(いやいやいや、あんただから! 何度でも殺しに来い、とか言ってたの!)
見捨てておいて、変に信頼感あるような言い方をしないでほしい。もしかして、覗いてるのに気付いてて言ってるとか……いや、あいつは多分どっちでも同じこと言いそうだ。
魔王とエヴァン卿がやり合っている横で、外務卿は傑作だと笑い、内務卿は溜め息を。残りの二人は、この角度だと表札が見えない。でも、無視して資料に目を落としている。
そしてアルトは二人のやり取りを見ていたかと思うと、ふと、視線をこちらへ向けた。
(……何、笑ってる?)
いつもの胡散臭さや、軽薄さを感じるものとは違う。何か確信を持っているような、強かなものだ。
まるで「今の話を聞いたか?」と確認するように。アルトが何の意味もなく、そういうことをするとは思えなかった。
(なんとかしてみせろ。っていうこと?)
「——ゲーデル卿。何を見ているの?」
一人だけ周囲の様子を窺っていた内務卿が、アルトの挙動に反応する。不審な視線の先を追うように、冷たい瞳がこちらを見上げてきた。
(っ……!)
考えるより先に動いていた。音を殺して、息を殺して、うるさく鳴る心臓を押さえて、来た道を全力で引き返す。
あの場にいる全員が私の敵だ。瞳に捉えられた瞬間、それが現実になった。魔王一人に挑むのとは違って、世界と向き合うようなものだ。
それは重すぎる。私には無理だ。……でも、あいつはやっていた。その気になれば力で押し通せるだろうに、暴君になるわけでもなく、一人で対話していた。
(なんでだろう。あいつは……魔王じゃないの?)
◇ ◇ ◇
通風口を出た私は、城壁内の通路から自室へ戻る回廊へ向かっていた。昼下がりなのに、不自然に人気が無い回廊。石畳を踏む自分の足音だけが響く。
議会の余韻がまだ頭に残っている。世界を相手に堂々としているあいつの姿が、どうしても頭から離れない。
だからか、気付くのが少し遅れた。これは——殺気だ。
「……こんな使用人を囲んで、どうするつもり?」
振り返る前に言葉にする。虚勢ではないけど、先に言わなければ体が震えそうだった。
影から滲み出るように現れた黒装束が五人。気配の消し方、間合いの取り方を見ても、明らかに手慣れている。
こんなにも早く、白昼堂々と……エヴァン卿の新人教育は、随分と過激で恐ろしい。魔族の体ならともかく、人間の私はその教育で命を失うことになる。
「黙ってやられるくらいなら、戦うよ」
背筋に沿わせて仕込んでいた剣を引き抜く。言い聞かせるように呟いた言葉は、相手よりも自分に向けたものだ。
そう言いながらも、使用人としての立場もある。あまり過激なことはできないし、撃退か逃げるの二択だろう。襷を背中に回し、袂を縛って構えた。
「ほざけ、小娘」
最初の一人が踏み込んでくる。最短の軌道に無駄のない初速。間違いなく本物だ。
以前の私ならまともに反応すらできないまま、恨み節を吐いて死んでいたかもしれない。でも——。
(今は、見える!)
筋肉の収縮。魔力の流れ。集中して意識すると、それが水面を揺らす波紋のように伝わってくる。突き出るナイフの軌道が見えて、考えるより先に体が動いていた。
一歩だけ横に滑ると、刃が空気を切る。その流れに乗って死角へ回り込み、魔力を纏わせた峰打ちを膝関節に当てる。
「ぎっ……!?」
鈍く折れる音が響く。悲鳴を上げる間もなく、一人目が崩れ落ちた。
まだ。間髪入れず、背後から暗器が飛んでくる。
「くそっ、調子に乗るな!」
(ここで、こう。そのまま断つ)
腕を薙いで弾く。魔王がやっていた動きの残像が、体の中で勝手に再生される。完璧ではないけど十分だ。
二人目、三人目。流れるように潜り込んで足の筋を断ち、峰打ちで関節を潰す。
視界の端から来る魔術を、魔力の壁で弾く。落ちたナイフを拾い上げて、それを投げつつ四人目に接近——そのままナイフを弾く刺客の視界から外れて、意識の外から逆袈裟で首筋を叩く。
毎晩イメージした動き。それに合わせた無理な動きで、体が軋むように痛い……でも!
「っ……最後!」
指先に魔力を込めて、糸のように伸ばして五人目を縛り上げ、そのまま隙だらけの眉間に一撃。あいつの魔術を得意の闇属性で再現したけど、上手くいったらしい。
私の技量でここまでやれるとは思ってなかったけど、あいつの動きと思えば納得ではある。気付けば、廊下には痙攣しながら伏した黒装束が並んでいた。
肩で息を整えながら、襷を解いて剣を納めていると——柱の影から、気配が一つ。
「……嘘、だろ?」
怯えと驚愕を孕んだ声。何度も聞いたわけでもないのに、腹立たしくて覚えている。
声のした方。背後を振り返ると、ヒューイが顔面蒼白で立ち尽くしていた。
「何を、した。掃除婦ごときがこんな……!」
「……やっぱり、あんたね。こんなことするのは」
「だ、黙れっ! 許可なく喋るな!」
あんたの許可なんて要らないと、すぐに剣先を向けたかった。でも、この城の使用人として立っている以上、ここで刃を向ければ守れるものも守れなくなる。
今じゃない。目的を果たすまでは……だから言葉だけを、できる限り真っ直ぐに向けた。
「私、負けないから。あんたにも……理不尽な世界にも」
ヒューイが一歩引いて、その顔が歪む。
何か言いかけようとするけど、飲み込んだように舌打ちをして踵を返した。
「ちっ……!」
足音が遠ざかる。きっとその足で父親のところに行くんだろうけど、今は気にしても仕方ない。残されたのは静寂と、廊下に倒れ並ぶ黒装束。そして私だけだ。
とにかく、再生する前に離れよう。伏して悶絶する刺客達に背を向けて、走り去ろうとする……が、どこか違和感があった。
これまでの魔族相手にしてきた戦闘と違って、どうにも手応えがあったように感じる。ちらりと背後を振り返った時、その正体に触れたような気がした。
「……もしかして、治ってない?」
立ち止まり、遠目に一人の足首を見る。筋を断った傷口から、じわりと血が滲んだままだ。塞がる気配がない。
再生するならもっと早い。骨が砕けようが、腕が落ちようが、なんなら死んでも、立ち所に煙を上げながら修復していく。
今はその気配すらない。即死した酔っ払いですら、十数秒もあれば再生したのに。
「……そうか。すっかり抜けてたかも」
ずっと魔族を倒す方法を考えてきた。不意打ちで死因を悟らせないか、魔王のように理解を超えた力で圧倒するか、一撃で完全に意識を断つか。私には最初の一択しかないと思っていた。
でも違う。完全な不意打ちでなくても、傷がつく瞬間さえ理解させなければ。正面から戦って顔を見られても、意識の外から原因を悟らせずに命を刈り取れば、再生の条件を満たさせずに終わらせられる。
今まで考えもしなかったのは、そんな芸当ができるほど強くなれるとは思っていなかったからだ。
(もしかして、今ならできる?)
ぞわりと、背筋を冷たいものが走る。
魔族を人間と同じように、再生させずに殺せる可能性——再生の弱点、というより性質の新しい部分に、私は初めて正面から触れた。
魔王に通用するかは別の問題だけど、少なくとも選択肢が増えたのは間違いない。
自分でも気付かないうちに、私は魔族の本質的な部分に踏み込み始めていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
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