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11話 剣帝の眼

「くそっ! くそっ!!」


 燭台の炎が揺れる、邸宅の大きな一室。

 ヒューイが悔しさと拳を机に叩きつけるたびに、積み上げた書類がぱらぱらと崩れた。

 五人。刺客を五人も送り込んで、全員が加減された上で返り討ちに遭った。その事実が頭から離れない。

 所詮は掃除婦のはずだ。あんなものは、どこかの辺境から流れてきた平民の小娘だ。それが……!


「見苦しいぞ。エヴァン家の男子であれば、常に平静を保て」


 いつの間にか開いていた扉の方から、冷たい声が降ってくる。ヒューイが振り返ると、父が書類を片手に立っていた。財務卿、キース・エヴァンその人だ。

 彼は隣室、書斎で公務に勤めていたはず。自分の行為がそれを阻害したなどとは考えもせず、ヒューイは苛立ちを露わにする。


「父上、あの女を何とかしてください! あんな得体の知れない奴が、下賎な掃除婦ごときが、私を見下すような目を……! しかも法務卿のゲーデルが後ろ盾についているなんて、おかしいです!」

「同じ話を何度もするな。ゲーデル卿の言葉は正しかった、というだけのことだろう」


 キースは息子の訴えを聞き流すように背を向け、窓の外に視線を向けた。眼下に広がる夜の王都を見据え、淡々と告げる。


「元よりリスクの大きい判断だった。陛下を牽制する手段としては使えると思ったが……現実に、陛下やゲーデル卿はこの結果も見越していた」

「それは……しかし!」

「ヒューイ、お前はいくつになった?」

「は?……二十六、ですが」

「もっと広い視野を持て。奢るのは勝手だが、見誤れば陛下と全面対立だということを忘れるな。お前の顔を立てて一度は聞いたが、二度は無い」


 ヒューイは押し黙るしかなかった。

 父は正しい。頭ごなしに否定もせず、自分に最大限の譲歩をした上でそう判断した。それがわかるからこそ、返す言葉も見つからない。


「新たな予算編成に、税制の改定もある。私はもう些事に構う暇がない」

「っ……ち、父上……!」

「私を継ぎたければ、いつまでも感情で動くな。駒は盤面に合わせて動かすものだ」


 それだけ言い残して、キースは部屋を出た。扉が閉まる音だけが、妙に大きく響く。

 残されたヒューイは、震える目で燭台の炎を見つめた。その金色に、静かな憎悪が灯っていく。


(些事だって? 私が、ヒューイ・エヴァンが、名前も知らない使用人に真っ向から宣戦布告されたんだぞ?)


 家名の失墜も同然だ。あのような小娘に、エヴァン家の嫡子が舐められたのだ。

 これを些事と引き下がるなど、それこそ屈するようなものではないか。


「……今に見てろよ。あの女っ!」


 ◇ ◇ ◇


 あれから数日。城内の空気にも随分と馴染んできた気がする。マーサ達と並んで廊下にモップをかけながら、頭の中では戦闘の感覚を何度も反芻していた。

 魔王の技を模倣したとはいえ、五人を一人で片付けた。まだ信じられないけど、未だにあの時の動きを意識してしまう。

 結局、倒した刺客はそのまま置いてきちゃったけど……まあ、魔族の生命力なら大丈夫だろうと思うことにする。エヴァン卿も魔王への影響を考えたのか、幸いにもあれから襲撃は無い。


「リンちゃん、どうしたの? さっきからぼんやりして」

「あ、ごめんごめん。ちょっと考えごとしてた」


 心配そうに覗き込んでくるマーサには、なんとか愛想笑いで誤魔化した。すっかり敬語も取れて喋れる仲にはなったけど、そこまでは話せない。

 議会を覗いて、刺客を撃退してヒューイに喧嘩を売ったなんて口が裂けても言えないし。


「大したことじゃないの。ちょっとびっくりする出来事があっただけ」

「ふうん……まだ住み込んで短いし、色々あるわよね」


 マーサはそれ以上は聞かずに、また床を拭き始めた。この人の距離の取り方が、なんとなく好きだ。踏み込んでくるけど、踏み荒らさない。


「この城、慣れるまで時間かかるのよねえ。私も最初の頃は毎晩ぐったりしてたわ」

「マーサさんは、いつからここに?」

「もう十二年になるかしら。陛下が即位されてすぐの頃に入ったから……あの頃は、とにかく空気が違ったわね。今とは全然」


 十二年。アルトの言葉を信じるなら、あいつが王位を継いだのと同じ頃だ。窓の桟に溜まった埃を払いながら、マーサはそのまま話を続ける。


「本当に大変だったのよ。陛下が即位されたばかりで、城の中がまだ落ち着いてなくて」

「落ち着いてない、って?」

「先王の体制から引き継いだ古い慣習とか、派閥争いとかね。当時はもっとぴりぴりしてたのよ。それを十六の陛下が一人で引き受けてたんだから……毎日、ひどく疲れた様子だったわ」


 私よりも若い身でそんな状況を潜ってきたのだと思うと、あの強さというか、全てに手慣れたような余裕も納得はできる。

 流石にあいつでも疲れるんだ。なんというか、知らない一面を垣間見た気がする。


「即位した頃の陛下って、どうだった?」

「当時から聡明で、今と変わらず公平な方だったわ。でも……議会が絡むと空気は違ったわね。表情は変わらないんだけど、どこか冷たい感じはあったかも」


 空気が違う。冷たい感じ。魔王と対峙したことはあっても、そう感じたことは無かった気がする。

 感じたことがあるとすれば、人攫いを制した時か。あれは世界そのものを壊してしまうような、強烈な重圧だった。


「今はアルト様もいるし、議会どころか城全体もだいぶ明るくなったわ。陛下が笑ったところは相変わらず一度も見たことないけどね」

「あはは……陛下が笑ったら、軽く事件だよね」


 あいつは笑わない。それは知ってるけど、私は時々見ている。

 無表情の奥に、何かが動いたあの一瞬。私に正義を語った時も。一緒に朝ご飯を食べた時もそうだった。

 いつもとはどこか違うあの感じ。あれは何だったんだろう……そんなことを考えていると、マーサがニヤニヤと笑みを浮かべてこちらを見ていた。


「……何、そのニヤニヤは」

「リンちゃんは陛下が気になるのね〜。何かあったの?」

「っ……! べっ、別にそんなことないって! あぃ……陛下に興味とか、そういうのじゃない!」

「先日の朝、食糧庫で陛下が二人分の食器を残したって聞いてるわよ」

「……え」

「城の中の話は、掃除婦の間じゃ筒抜けなの。覚えておきなさい」


 しれっと言い切るマーサに、思わず顔が熱くなった。

 いや違う。言い訳したいのに、毒を盛ろうとして朝食を一緒に食べていたなんて説明できるわけがない!


「何もないんだって! 偶然そこに居合わせただけで——」

「陛下が誰かと食事なんて、ほんと珍しいわよ。リンちゃん、変なところで度胸あるわ」

「度胸とかじゃ……!」


 言いかけて、やめた。あの朝のことを思い返すと、どうにも言葉が続かない。


「いいじゃないの。若いし色々あるだろうけど、あまり考え過ぎない方が気が楽よ」


 マーサは最後の一段を拭き終えて、満足げに頷いた。それっぽい言葉で丸め込まれた気がするけど……確かに、ここのところ色々考え過ぎているかもしれない。

 状況が状況だから仕方ないけど、私自身、考えるよりも動く方が性に合ってるとは思う。あとで剣でも振りに行こう。


「マーサさん、ありがとう。元気出た」

「そう、良かったわ。……ところで、陛下のどんなところが良いの?」

「だから、違うんだって!」


 ◇ ◇ ◇


 何も考えずにすることといえば、素振りだと思った。

 業務が終わって訪れた訓練場は、思っていたよりずっと広い。訓練時間外だからか、誰もいなくてがらんとしている。

 石畳の床に、壁沿いには木製の的と砂袋。中央には模擬戦用の区画が設けられている。訓練場なら、使用人が剣を握っていても言い訳はできる。


 壁にかけてあった剣を一本手に取って、隅の方へと移動する。

 素振りをまともにやるのはいつぶりだろう。路地裏での生活は基本的にぶっつけ本番で、型通りに振る機会なんてなかった。

 自然体を意識して素直に振ってみる。ヒュッ、と小気味良い音を立てて、切先は思った通りの軌道を描いた。


(……軽い)


 訓練用だからじゃない。体そのものが、今までより軽く感じる。

 今度は昨日の戦闘を反芻しながら、もう一度。形を意識しながら振ってみる。


(こうして、こう)


 初めて戦った魔王を思い出す。剣を構えた時の、肘の角度。踏み込む前の重心の移し方。足運びから、剣への力の乗せ方。

 悔しいとも思う。敵の動きを参考にしているなんて、笑い話にもならない。でも、今できることはそれだけだ。

 しばらく続けていると、頭の中がいくらか静かになってくる。マーサの言っていた通り、何も考えず体を動かすのは正解だったらしい。


(あまり考え過ぎない方が気が楽、か)


 もう一度構え直して、今度は少しだけ切先に魔力を込める。一切の無駄を省いた魔王の剣筋を想起しながら、真一文字に振り抜く。

 今はただ、気の向くままに剣を振ることにしよう。一振り、二振りと重ねる度、この剣技が馴染んでいく実感もある。そう思って、何度か剣を振っていた矢先——。




「——その剣技」


 瞬間、聞き慣れない声が背後から聞こえた。

 低くて圧のある、それでいてはっきりとした声。

 同時に理解した。自分に向けられている意思が、恐ろしく巨大な殺気であることを。


(っ……!)


 反射的に振り返ると、訓練場の入り口に人影が立っていた。

 小柄な老人なのに、目視でわかるほどに凝縮された筋肉。幾つもの戦場を潜り抜けてきた者だけが持つような、刃そのもののような気配。

 獅子を思わせる黒髪に、深緑の瞳。議会では黙って資料を見ていたけど、アルトからは注意すべき人物だと聞かされていた。

 スペルビアという国家を常勝無敗に導いた軍神——戦軍卿、ヴィンセント・エルロン。


「どこで学んだ。小娘」


 その一言で空気が変わった。

 問答無用。身構える間も、答える暇も、与える気が最初から無い。抜刀の動作が見えたのは、眼下で刃が空気を鳴らした後だった。


(速っ……!)


 首筋に死が迫っている。その感覚だけが、鮮明に時間を引き伸ばす。

 速すぎる。咄嗟に重心を崩して引いても避けられない。これまで対峙してきた誰とも違う次元の殺意だ。

 ダメだ、やられる……!


「——やり過ぎです。エルロン卿」


 澄み切った声が響き、訓練場の気温が急落する。

 突然、巨大な氷柱が地面から林のように突き出し、戦軍卿の腕を飲み込んで静止させた。

 凍えるような冷気の中、音もなく訓練場に現れた女性。議会で私の方を見上げた内務卿、シュナ・スランバート。

 場を制するように私を下がらせて、瑠璃色の瞳でエルロン卿を静かに見据えている。


「剣帝とも評される貴方が、使用人相手にその殺気……何事ですか?」

「口出し無用だ、スランバート卿」


 腕ごと斬撃を凍らせるという荒技に晒されても、エルロン卿は全く動じない。それどころか、面倒そうに力を込めるだけで腕を包む氷柱が粉々に砕け散った。

 なんなの、この人外魔境は……何も考えずに素振りしてただけなのに、とんでもないことになってない?


「門外不出の剣を振る小娘だ。寸前で止めて様子を見ようと思ったが……咄嗟の反応を見ても間違いない。盗み得たのなら切り捨てるのみ」

「話を聞くくらい、してからでもいいと思います」

「指南役としては見過ごせん。カリス……陛下に与えた技が、一介の掃除婦に伝わることなど無いからな」

(まずい、完全に目をつけられてる。戦軍卿があいつの指南役なんて知らなかったよ!)


 最悪だ。よりにもよって源流の目の前で盗んだ技を披露したらしい。うっかりなんてレベルじゃないミスだ。

 今になって、初めて身をもって思い知った。魔王を殺すために潜入することの意味……世界の中心を暗殺するということは、相応の相手に囲まれに行くという意味でもあるということを。

 二人が臨戦態勢で向かい合う最中、私はただ萎縮することしかできなかった。


「この子のことは、陛下に確認なさった方がよろしいかと」

「そんなことが必要か?」

「思うに、この子は陛下とエヴァン卿が話していた——」

「双方、矛を収めろ」


 鋭く割り込むような一言。その場の全員がそちらを見ると、魔王が入り口のすぐ脇に立っている。

 気配は感じなかった。ただ、最初からそこにいたかのような自然さで、壁に背を預けてこちらを見ていた。

 空気が軋むような圧を纏いながら、ゆっくりと歩いて二人の間に立つ。


「騒がしいと思ったらお前か、リン」


 震えそうになる手を、剣を握ったまま押さえる。逃げるわけにはいかない。言い訳も、たぶん通用しない。

 この城に居続けていられたのは、魔王の許容があったからだ。その境界線がどこにあるのか、私はまだ分かっていなかった。

 二人きりならまだ良いけど、今は第三者が見ている。返答を間違えるな、私……!


「お、お騒がせしてすみません。陛下」

「……お前にそう呼ばれると寒気がする」


 いや、台無しだよ!

 距離感とか、立場とか、どう振る舞うか色々考えてたのに全部ぶち壊された。

 私が気をつけても、あんたがそれだと意味ないじゃん!


「カリス。この娘は何だ」

「私も、気になります。議会で話されていたのはこの子でしょうか」


 二人の視線が再び私に集まり、答えを待っている。いや、答えを出すのは魔王だけど。

 何て言うつもり? 雇った使用人とでも言うのか。それとも、ここで全部終わりか。

 固唾を呑んで待っていると、魔王は二人を一瞥してから、ひどく事務的な口調で言った。


「場所を変える。そこで雇い主も交えて話してやる」


 雇い主。つまり、アルトも呼ぶということだ。

 戦軍卿 ヴィンセント・エルロン。

 内務卿 シュナ・スランバート。

 この二人を前にして、魔王が裁定を下す。最悪の場合、ここで全部終わる。


(……切り抜ける、しかないか)


 剣を壁に戻しながら静かに息を吐く。頭の中では、走馬灯のように記憶が巡っていた。

 城に潜り込んでまだ一月も経ってない。正体を隠して働き、議会を覗いて、刺客を片付けた。

 そして今日、どう転んでも言い訳のできない立場で、よりにもよって一番まずい相手に素振りを見られた。

 考えろ、言い訳を……!


「——リン」


 低く、よく通る声で呼ばれた。

 執務室の方へと続く通路に向かいながら、魔王はこちらを振り返る。


「来い」


 命令ほど冷たくはなくて、誘いほど温かくもない。

 ただ、今だけはその力強さに頼ろう。


「……参ります、陛下」


 声だけは、なんとか平静に出せた。顔を見合わせているエルロン卿とスランバート卿を横目に、その後ろに歩み寄る。

 前を歩く魔王の背中を見ながら、ひとつだけ確かなことを考えていた。この危機を生き延びたら、絶対こいつに一太刀浴びせてやる、と。

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