12話 困らせるな
「なるほど。それで私が呼び出された、と」
呼び出されて事情を聞いたアルトが、肩を竦めて首を傾げる。
秘密会議の場に選ばれた魔王の執務室は、十分な広さがあるはずなのに、この現状では異様に狭く感じられた。ここにいる、一人一人の存在感が大き過ぎるせいだ。
魔王 カリス・スペルビア。
法務卿 アルト・ゲーデル。
戦軍卿 ヴィンセント・エルロン。
内務卿 シュナ・スランバート。
そして、私。
顔ぶれを改めて確認すると眩暈がする。まるで裁判にでもかけられたような気分だ。
アルトはいつもの調子を崩さないで笑っている。それが救いなのか絶望なのか、判断できないでいる。
「掃除婦一人の身元確認に、よく集まりましたね」
「笑い事ではないぞ、ゲーデル卿」
低い声が執務室に響く。エルロン卿の視線が私を射貫いていた。
議会ですら沈黙していた男が声を上げると、それだけで部屋の温度が変わる気がする。
「あの精度で技を盗まれた以上、看過はできん。どこであれを学び、誰に仕込まれた」
「学んだというか……実際に見たことがあって、思い返しただけで、自然に体が動いたというか」
言い訳にもならないと分かりながら、それ以外に言葉がなかった。無茶苦茶を言ってるのは分かるけど、事実だから。
取り繕って嘘がバレるくらいなら、正体を隠せる範囲で正直に答えるべきだ。思った通り、エルロン卿は納得していないようだけど。
「修練も積まず、学ぶこともなく体が動いた。それをそのまま信じろと?」
「嘘ではないです」
「戯言を。そんなことが可能な存在など……それに、事実だとしても問題だ」
矛盾しているようだけど、言いたいことは分かる。嘘で説明がつく方が、まだ処理しやすいんだろう。
エルロン卿は自分の目で私を見て、魔王の剣技だと判断した。嘘を言っていないなら、この小娘は何だということになる。
「これまでもカリスを殺そうと、他国の組織が刺客を寄越すことは珍しくはなかった。お前も同じだろう」
「組織なんてもの……私、何も知りません」
「ならばますます、お前は何だ。辺境の村から出てきた使用人が、我々の剣技を盗み得るなどあり得ん。背後に誰かいると見るのが自然だろう」
反論できない。それどころか、全部本当のことを言われているのが性質が悪い。辺境の村から出てきて、城に勤めるなりこれだ。疑うなという方に無理がある。
ただ、これを仕込んだのは他でもない魔王自身で、手引きしたのはアルトだということも、同じように信じてもらえないだろう。
この疑惑は私じゃ晴らせない。ちらりとアルトを見ると、小さく頷いて立ち上がった。
「エルロン卿。雇い入れた者として、私からも意見を……私も最初は同じことを思いました。模倣に特化した暗殺者にもなり得る、とね」
よくもいけしゃあしゃあと……でも、援護射撃としては頼もし過ぎる。
アルトは紛れもない事実を前提に告げながら、それを覆す嘘を通す下地を整えていく。
「彼女の場合は、私が不法居住区の視察中に拾いました。磨き損ねていた原石を見つけた気分でしたよ」
「勿体ぶらず、結論を聞かせてくれ」
「学習速度が異常に高い。文字通り、彼女は事象を一目で理解する才を持っている。私も詳しい仕組みは分かりませんが、実物を見れば納得するはずです」
「ならば、見せてもらおう。できるな?」
エルロン卿の言葉で、自然と全員の視線が集まる。ここで疑念を晴らせなかったら、すぐにでも刃が抜かれるだろう。
魔王の方を見ると、全く動じていない様子でこっちを見ている。……やるしか、ない。
「……お見せします」
アルトの肩が一瞬動く。魔王は、相変わらず何も言わない。
間違えれば、死ぬ。でも……庇われっぱなしなのも、私を置き去りに話が進むのも、いい加減に嫌だった。
「剣をお借りしても良いでしょうか」
「……いいだろう」
エルロン卿は僅かに目を細めると、腰の剣を鞘ごと抜いて放ってきた。
速い。というより、重い。受け取るというよりも、飛んできた剣を両手で受け止めるという形になった。……絶対わざとだ、これ。
鞘に覆われたままの剣を、腰に携えて構える。
「振ってみろ」
疑いを晴らすなら、どうする……?
魔王の剣なら、何度も見たし再現できる。それこそ源流に目をつけられるほどに。
でも、それだと足りない。あらかじめ知ってたと思われれば、刺客である可能性までは拭えない。
だったら、再現するのは初見の技だ。
思い出す。首筋まで迫っていた一太刀を。
抜刀は見えなかった。踏み込みも、音すら聞き取れていない。でも、刃が空気を鳴らしてからの軌道は、今でも目に焼き付いている。
魔王と同門、その源流なら……動き自体は、あいつのそれでも補完できるはず!
「はっ——!」
最短、最速の抜刀による一閃。
空気が短く鳴って、執務室が静寂に包まれる。
やがて、エルロン卿が小さく一息ついた。
「……なるほど」
その一言から、次の一言までが妙に長かった。
ただ、気配が変わったのは感じ取れる。重くのしかかっていた圧が一気に軽くなった。
深緑の瞳が私の手元をじっと見ている。
「カリスはともかく、俺が剣を見せたのは先ほどの一度きり……確かに、本物だ」
「っ、なら……!」
「訓練された刺客ではない。それは理解できた」
一目見ただけで……この人、本当にすごい。同時に、肩から力が抜けそうになった。
エルロン卿の視線が、私の手元から、それから目へと上がってくる。値踏みでも、疑念でもない。もっと別の何かを確かめるような目だった。
「……何か、ありますか?」
「いや、今はいい。確認したいことはあるがな」
その表情に見えるのは、納得よりも、もっと別のものに近い気がした。この人は私の何を見て、何を考えていたの?
剣を返すと、エルロン卿は鞘を腰に戻しながら小さく首を振る。
「……その手の才能に、前例を見たことはある。が、納得はできん。敵対勢力でなくとも危険に変わりはない」
「もちろん、その気になればいつでも処分できる管理下で働かせていますよ。あくまで私が個人的に拾った才能ですし、陛下によるお目通しも済んでいる」
「ゲーデル卿。この国の秩序を守るのに、我々以外の大きな力は必要か?」
「落ち着け、ヴィンセント」
静観していた魔王が、初めて口を開いた。その一言だけで全員が耳を傾ける。
元々が剣の師弟ということもあるんだろうか。名前で呼び合う魔王とエルロン卿には、どこか信頼が見え隠れしていた。
「……ゲーデル卿の言葉は真実か?」
「ああ。オレも興味深いと許可を出した。確認が必要なら、相応に示しを付けよう」
「お前が言うなら、否定はせん。だが——」
「分かっている。卿の懸念も、アルトの甘さも」
魔王が椅子から立ち上がる。その動作だけで、場の重心が変わった。
審判の時、とはこういうものを言うんだろうか。裁定者として、魔王は自分の決定を言い渡す。
「以後、こいつの配置を変える。オレの身辺周りの掃除を一任させる」
「陛下直属、ということですか」
「目の届く範囲に置けば、ヴィンセントの懸念も解消されるだろう。不審な動きがあれば、オレが手ずから対処する」
スランバート卿の問いに、魔王はそう答えた。
つまり監視だ。直接的な言葉は使わなかったけど、意味はそういうことだ。
行動範囲を限定して、常に目の届く場所に置く。城の中で動ける範囲が広がるどころか、狭まるかもしれない。
(最悪だ。だけど……)
でもそれが今の最善なのだと、言い聞かせる前に頭が理解している。
エルロン卿の疑念は本物だ。的を射ている。このまま何も変わらなければ、次に疑われた時点で即処断されるだろう。
「異議はないな」
問いかけではなく確認だ。エルロン卿も魔王の決定には一拍置いて、静かに頷く。
「カリスがそう判断するなら、任せよう。……が、怪しい動きを見せれば即処断するぞ」
「構わん。アルト、お前も構わないな?」
「ああ。私もそれなら大丈夫だ」
全部知っていたくせに。という言葉を飲み込む。
いつものことだ。アルトは私を駒として動かしながら、私が望む方向に駒を動かす。どこまでが計算でどこからが善意なのか、未だに分からない。
場が解散に向かい、皆が部屋を出ていく。最後にアルトが私に目線だけで何かを伝えようとしていたが、読み取れないまま扉が閉まった。
残されたのは、魔王と私だけだ。
沈黙が、やけに長く感じる。
魔王は窓の外に視線を向けたまま、こちらを見ていない。先に喋るべきか判断できないでいると、低い声が先に落ちてきた。
「リン。分かっているとは思うが、お前の力は既に隠せるものではない」
反論できなかった。どれだけ使用人のフリをしていても、もう剣を一度振れば分かる。
枢軸院の化け物達が、私の存在を認識した。次に隙を見せれば終わりだ。
「残りたければ選べ。もっと強くなり、ボロが出ないうちに目的を果たすか。そのままヴィンセントに疑われ、次は首を刎ねられるか」
「……ずいぶんと選択肢が極端じゃない」
「事実を言っている。それとも、王都の外へと逃げ帰るか?」
確かに、他に選択肢は存在しない。まだ疑いが晴れていない以上、エルロン卿は次こそ本気になるだろう。
そして私にはそれを跳ね返す力もないし、魔王の暗殺にも今まで以上に気をつかう必要がある。
でも、終わるわけにはいかない。終わりたくない。
ここに来るまで、それこそ血を吐くような思いで生きてきた。奪われたものだって、何一つ戻ってこない。
こいつを——魔王を倒して世界を変えるまでは、何があっても諦められない!
「……強くなるよ。私、まだ何も成し遂げてない」
「なら、せいぜい励め」
振り返ることもなく言う。最初からそっちを選ぶと分かっていたような言い方だった。
なんというか、こいつはずるい。アルトとは別な方向に、全て私のためになるような言葉を投げてくる。
自分を狙っている私のために、なんでここまでするのか……こいつの考えは、アルト以上に分からないままだ。
「ヴィンセントの対応はオレがする。お前も、鍛錬は朝か夜にしろ」
「……分かった」
「話は終わりだ。あとはアルトの指示に従って動け」
魔王は執務机に着き、何事も無かったように公務を始める。私も部屋を出て行こうと足を進めるけど、扉を開ける直前、書類に視線を落とすその横顔が見えた。
表情はいつも変わらないし、笑うことも無いけど。こうして二人きりになると、さっきまでの圧も、冷徹さも、少し遠くなったような気がする。いや、考えすぎか?
「何を見ている」
ジロジロと見過ぎたのか、魔王がこちらを見返してそう聞いてくる。こいつが用件の無い話をするの、珍しくない?
「……なんでもない」
誤魔化すように答えて、もう一度扉に向き直る。
そもそもこいつが原因ではあるけど、助けてくれたことは素直に嬉しかった。ただ、向き合って礼を言うのも気恥ずかしい。
今度こそ出て行こうと扉を開けた、その瞬間——背中越しに、かすかな溜息が聞こえた。
「……あまり、困らせてくれるな」
聞き間違いかと思った。幻聴かとも思った。
でも振り返る勇気なんてなくて、私は逃げるように廊下へと飛び出した。
(困らせるな? あの魔王が。私のことで……?)
ただの空耳だ。絶対にそうだ。
けれど、そのどこか人間臭い響きだけが、私の頭の中で何度も反響していた。
◇ ◇ ◇
「やあ、お疲れ様。見事な生還だね」
夕暮れ時の回廊。執務室から少し離れた角で、アルトが壁に背を預けて待っていた。
完全に待ち伏せだ。いつもの胡散臭い笑みが、今は少しだけ恨めしい。
「……助けてくれて、ありがとう。おかげで首が繋がった」
「どういたしまして。君が前に出た時はヒヤヒヤしたけどね」
「だって、あのままじゃ私抜きで結論が決まってたし……魔王直属なんて、とんでもなく動きづらいけどね」
「エルロン卿に疑われた以上、仕方ないよ。それに一番安全で、一番カリスの首に近い場所に潜り込めたとも言える」
どう転んでも自分の都合の良いように解釈する。その強かさが、今日ばかりは頼もしかった。
実際、あの状況から生き残れただけで御の字だ。私はこれまで通り、慎重に、そして大胆に機会を窺うしかない。
「あんたが私を雇って、議会なんて連れて行かなければ、こんなことにはならなかったんだけどね」
「それは否定しない。ごめんね」
「……でも、意味はあったと思う。色々、見えるものが違ってきたから」
あのまま何も知らずに掃除婦を続けていれば、いずれどこかでボロを出して殺されていたはずだ。それこそエルロン卿以前に、この前のような刺客の襲撃で、だ。
知りたいと願ったのは私自身で、現状はその結果だ。この数日で得たものは、背負ったリスクに見合うだけの価値がある。
「まあ、なんとかなったし。今日はもう休むよ。明日からあいつの直属なんて、絶対気疲れするし」
「うん、それがいい。ゆっくり……」
「——やっぱりあなたの手引きね、アルト」
不意に、静謐な声が回廊に響いた。影が落ちる曲がり角から、音も無くスランバート卿が現れる。
いつからそこにいたのか。気配を消すことにかけては路地裏で鍛え上げたつもりの私ですら、彼女が声を発するまで全く感知できなかった。
「相変わらず、君は気配を消すのが上手いね。私としたことが気付かなかったよ」
「茶化さない。あなたの悪い癖だよ」
アルトはいつもの調子だけど、スランバート卿の纏う空気は、先ほどの執務室での冷徹な内務卿のそれとは違っていた。言葉にするのは難しいけど、どこか穏やかで、ふんわりとした雰囲気が混じっている。
この人は……まだ分からない。さっきの場でも殆ど沈黙していたし、どこか他と違う気もする。ステンドグラスを通して差し込む夕陽の光が、彼女の透き通るような肌と瑠璃色の瞳を淡く照らしていた。
「リン、だったね。怖い思いをさせてごめんなさい。……でも、エルロン卿の懸念も分かってほしい」
(……なんだろう。さっきまでと雰囲気が違う?)
「聞きたいことがあるの。アルトじゃなくて、あなた自身の口から答えてほしい」
彼女は私の前へと歩み寄ると、周囲を見回して人がいないことを確認する。
逃げ場のない、真っ直ぐな視線。彼女は私の根源を見透かすように、確かな声で問いかけた。
「——あなた、人間ね?」




