13話 境界線の上で
『——人間ね?』
バレた。よりにもよって枢軸院の内務卿に。
この人は、正体を知ってて引き込んだアルトとは訳が違う。魔王に見込まれて議会に席を置く、れっきとした国士だ。
誤魔化す隙も、言い逃れの余地もない。アルトは何故か黙ってるし……この場で下手な言い訳は、できなかった。
「……はい。訳あって、ここにいます」
「うん。やっぱり」
スランバート卿の返事は、拍子抜けするほど短かった。
糾弾するでもなく、驚くこともない。ただ確認が済んだという顔で頷いている。
「アルト。少しこの子を借りるね」
「おや、私は退場かな?」
「あなたがいると、この子はあなたを見て喋る。方針は信じるけど、誰の言葉を聞くかは私が決める」
迷いなく断言されて、アルトは苦笑いしながら肩をすくめて背を向けた。
「わかったよ。しかし、手厳しいなぁ」
「事実でしょ。あなたの動きで全部が信用されると思う?」
「無理かもね」
「自覚があるのは尚更悪質」
茶化しながらも、互いに底を見て言い合ってる。そんな会話に聞こえた。
アルトはひらひらと手を振りながら、廊下の奥へと消えていく。やがて二人きりになると、瑠璃色の瞳が静かに私を捉えた。
「明日、時間をもらえる? 話がしたい」
「……はい」
拒否権なんて無い。そう答えるしかなかった。
でも状況とは裏腹に、この人の纏う雰囲気はどこか柔らかい。私の言葉を聞いて頷くと、満足そうに小さく笑って踵を返した。
「じゃあ、また明日。おやすみなさい」
足音が遠ざかっていく。人間だと知られたのに……なんだろう、この感じ。
この城で私の正体を知っていたのは、魔王とアルトだけだった。いくら二人の意図があっても、素性が広まれば良くて追放、最悪は打首だ。
なのに——。
(なんで、あの人は……温かく感じるの?)
◇ ◇ ◇
翌朝。
今日からあいつの執務室担当だ。そう意気込んで部屋を出たら、扉の前でスランバート卿が待っていた。
「す、スランバート卿!?」
「業務は調整しておいたから、行こう」
「でも私、今日から陛下の……」
「午前は借りるって陛下にも言ってある。後で叱られると思うけど……内務卿の視察を手伝わせるなら、何も問題ないでしょ」
昨日決まったばかりの配置なのに、もう覆す手続きが済んでいる。割と問題だらけだと思うけど、言い返せない勢いがあった。
歩き出した彼女の後を追いながら、疑問だらけの頭を何とか回転させる。この人の目的は……?
「あの、どこに行くんですか?」
「私の担当区域。あなたもきっと知ってる……ほら、もうそこだよ」
角を曲がった先で、思わず足が止まった。
城の東翼。中庭の一角に並ぶ簡素な長屋。
窓を拭く手を止めて、何度も上から眺めていた場所だ。
(……保護区だ)
スランバート卿は何も言わずに、ただ先を歩いて中庭へと入っていく。振り返った彼女に手招きされて、ようやく私もそこに足を踏み入れた。
衛兵が着ている服だろうか。同じ洗濯物がたくさん干されていて、子供達が笑いながら取り込む人を手伝っていた。城の中庭なのに井戸が掘られていて、周りでは女の人達が話し込んでいる。
「半年前は四十人だった。今は六十七人」
「増えてる……ってことですか」
「保護できたとも言えるし、それだけ被害が減ってないとも言えるかな。ここは狭いけど、まだ増やすつもり」
誇るでもなく、嘆くでもないように口にする。
ただ、子供達を見る表情はどこか穏やかに見えた。
「——お姉ちゃん! シュナ様!」
聞き覚えのある声。そちらを振り返ると、亜麻色の髪を揺らして少女が駆けてくる。
サーシャだ。あの夜から少しだけ頬がふっくらして、服も新しいものに変わっていた。
「サーシャ!」
「お姉ちゃんもここに来たんだ! 会いたかった!」
勢いよく飛び込んできて、思わずよろける。
小さな体は温かくて、あの日、腕の中で震えていたのが嘘みたいだ。
「元気そうで良かった」
「うん、お姉ちゃんも! お父さんもね、お仕事もらったんだよ!」
嬉しそうに報告するサーシャの頭を撫でながら、胸の奥が締めつけられる。
この子は救われた。助けたのは、私じゃないけれど……とにかく、今は笑っている。
安堵していると、いつの間にかスランバート卿が傍に屈んでいた。
「二人は知り合い?」
「うん! お姉ちゃん、私を助けてくれたの!」
「そっか。この後も回るから、お姉さんを借りるよ」
「はーい。またね、二人とも!」
促されて、サーシャは井戸の方へ歩いていく。その背中を見送ってから、スランバート卿は区画の視察を始めた。
魔王のお膝元にある、難民のための区画。まるで砂漠の中心にあるオアシスのような……この場についてぼんやりと考えながら、彼女の後ろをついて回る。
スランバート卿は、区画内で栽培されている野菜を見ながら話を始める。
「今まで会わなかったのは立場のため?」
「……はい。使用人が難民と親しくするのは、変に思われるかと思って」
「正しい判断だと思う。……でも、もう気にしなくていいよ。私がここに入れたから」
それって、どういう……? 少し歩いて、スランバート卿は区画の隅にあるベンチに腰を下ろした。
隣に座れという意味だと気付いて、おそるおそる横に腰掛ける。
「スランバート卿。あなたは——」
「シュナでいい。その呼び方、長いでしょ」
「……じゃあ、シュナさん」
「うん。二人の時だけね。それと、アルトだけなら大丈夫」
「……あなたの目的は何ですか?」
これまでの行動に理由はあるんだと思うけど、想像がつかない。話がしたいと言って、この人は私をここに連れてきたんだ。
暫く黙っていたシュナさんは、やがて膝の上に手を組み、小さく息をついて口を開く。
「人に聞く前に、自分が話すのが筋だと思った。だから、まずは私を知ってもらおうと思って」
「シュナさんのこと?」
「私の母は人間。父は魔族……この意味、わかるでしょ」
唐突だった。何の前置きも、躊躇いもなく告げられる。
それは、つまり——。
「人買い、ですか」
「うん。……混血だし、人と接する機会が多いからかな。その指輪があっても違和感に気付けた」
人買いの結果産まれる混血は、この世界では珍しいことじゃない。特に見た目が綺麗な人は、大抵の場合奴隷商人に狙われる。
シュナさんの髪や瞳は、珍しい色だ。恐らくはお母さんも……きっと、そういうことだろう。
「母は幼い頃に。父は十年前に病死して……残ったのは家の名前だけ。父に仕えていた人達も、みんな離れたから」
「シュナさんは、その後どうしたんですか?」
「人の集落を頼ろうと思った。でも私には、魔族の血も半分入ってる……追い返されて、結局この国で下働きをするしかなかった」
「……っ」
想定外のところから来た言葉に、一瞬息が止まる。
人間にも、シュナさんを拒絶する者がいた。当然のことなのに、その可能性から目を逸らしていたことに気付かされたから。
「線を引くのは、強い側だけじゃない。弱い側だって、線の内側を狭くしないと保てないから……私はその線引きを少しだけ変えたい。お互いが尊重し合う形に」
胸の奥が、ざらつく感じがした。
ずっと魔族が加害者で、人間が被害者だと思ってきた。少なくとも私はそんな世界で生きてきたはずだ。
でも——よく思い返せば、私の故郷だって同じような話はあった。逃げ延びてきた子連れを、混血は困ると追い返す大人達。当時の私は、それを何もおかしいと思わなかった。
(私も……ここに来るまで、線の内側にいたんだ)
黙り込んでいた私に、シュナさんは静かに問いを投げてくる。
「リン。ここに来る前に、魔族と話したことはあった?」
「いえ、ほとんどなかったです。避けてたし」
「なら、今は?」
「……マーサさんとか、皆さんと話してます。普通に」
言いながら、自分でもおかしかった。目的は魔王の暗殺で、そのために潜入したはずなのに、いつの間にか普通に話せるようになっていた。
視線の先では、サーシャが他の子供達と井戸の水を運んでいる。それを見るシュナさんの横顔は、涼しげな様子の中に、少しだけ熱を含んでいるように見えた。
「普通に接してくれる相手が一人でもいれば、人はそこにいられる。それこそ種は関係ない……私がここにいるのも、それだけ」
「……陛下、ですか?」
「陛下は混血でも差別しない。私にとっては十分な理由だよ。あとはアルトが私をこっちに引き込んだから、今は救う側に回れた」
私の方はそんな感じ。と付け加える。淡々とした言い方だったけど、言い知れない重さがあった。
シュナさんは少し間を置いて、こちらに向き直る。静かな光を宿して、瑠璃色の瞳が真っ直ぐ私を見ていた。
「ここからは私の質問。リンはここで何を変えたいの」
何を、変えたい……か。城に潜入した時の私なら、迷わず「魔王を殺して世界を救う」と答えていただろう。
でも、今は——。
「……魔族に虐げられてる人達が、今もたくさんいます。そういう人達を見てきたし、両親もそれで失った。それを変えたい」
あいつを殺す、とは言えなかった。
ここが城内だからじゃない。多分、あいつがどんな王か知ってしまったから。
理不尽に奪われる世界を変えたいという気持ちは何も変わっていない。そのためなら……とも、まだ思ってはいる。
「……リンの立場ならそうだよね。その手段は?」
その一言に息が詰まる。
多分、嘘は通用しない。この人は私の答えも含めて判断材料にするだけだ。下手に誤魔化しても、それを含めて私を測るだけだろう。
かといって、正直に言えるわけがない。だったら——。
「……言えません」
「どうして?」
「言ったら、シュナさんは私を止めないといけなくなる」
言い切った後で、指先が冷たくなった。これでは白状しているのと大差ない。
人間で、正体を隠していて、目的も言えない。そんなの答えは限られてる……エルロン卿の言っていたことは、殆ど当たっている。
長い沈黙が落ちた。洗濯物が揺れて、子供達の笑い声が聞こえてくる中、シュナさんは小さく息をついて笑った。
「嘘もつかず、黙らない。自分で線を引いて、そこまでは見せた。……なら私も同じようにする」
「同じように、って……?」
「あなたのことを言わない。この区画を、この国で暮らす普通の人達を傷つけない限り」
条件付きの、けれど明確な約束だった。
立ち上がって、シュナさんはスカートの裾を払う。用は済んだと言わんばかりに、保護区の外へ歩いていく。
「い、いいんですか? まだ何も話してないのに」
「陛下達は、その秘密を知った上でここに置いてる。なら、私が求めるのはそれだけ」
「……何もしてない人を傷つけるなんて、私にはできません」
「うん、そう言ってくれると思った。私はリンを信じるよ」
角を曲がって消える背中を見送って、私は暫く動けなかった。
少しして、保護区に視線を戻す。目の前に広がる平和で幸せそうな光景を見ていると、頭の中に声が浮かんでくる。
『リン。その力で、魔王を殺すんだよ』
『くそっ、魔族に娘が……!』
『あんな魔王がいるから、魔族がつけ上がる』
育ててくれた叔母。村のみんな。外の世界で見た人々。みんな、理不尽に傷つけられてきた人達だ。
両親を奪われた私も同じだった。だから疑うことも無く、ただ魔王を殺すために時間を費やしてきた。
剣を振って、色んな技術を身につけて、一年前に村を飛び出して。ようやく魔王の喉元まで来たはずなのに。
(……本当に、全部そうなの?)
ここには、私に仕事を教えてくれた人達がいる。
シュナさんは、そんな人々の笑顔を守っている。
魔王とアルトは、それを管理と謳いながらも広げてきた。
何も知らないままなら、考えずにいられたのに。世界の裏側は思ったよりも複雑で、知れば知るほど——。
(……どんどん、自分がズレていく気がする)
◇ ◇ ◇
午後になって、私はようやく本来の持ち場についた。
生死の狭間に追い込まれた執務室。扉を開けると、そこでは魔王が椅子にかけて書類を読んでいる。魔王が私の方を見ると、自然と視線が合った。
「リンか」
「今日から、担当だから」
正直、どうかしてると思う。朝ごはんを一緒に食べて、今度はこいつの部屋を掃除することになるなんて。
僅かに気まずい沈黙の後、やがて魔王は視線を手元に戻した。
「好きにしろ。邪魔はするな」
「……あっそ」
その答えに拍子抜けして、モップを手に取る。
聞かないんだ、こいつ。私がシュナさんと何を話したかなんて、興味も無いってこと?
なら、私もやることをやるだけだ。窓際から順に床を磨きながら、スカートの内側に仕込んだものを指先で確かめる。極細の高張力ワイヤーが一束。固定用の杭が数本。それと、毒針が一本。
(……これは、やめておこう)
毒針を袖の内にしまう。あの朝を思い出して躊躇するくらいなら、最初から無しだ。
だったら、あとは——。
◇ ◇ ◇
数刻後。陽が傾く頃、執務室から玉座へと続く廊下にワイヤーを張り終えて、私は角に身を潜めていた。
この時間、ここを通るのは魔王だけだ。あいつが玉座へ向かうまで、いつも通りならあと数分。足元、胴、首の位置にそれぞれ、両端を杭で石柱にしっかりと固定した。
引っかかれば、殺せなくとも確実に体勢を崩せるはず。やがて廊下の奥から、規則正しい足音が近づいてきた。
(来い……!)
魔王が角を曲がる。一歩、二歩、そのままワイヤーに足がかかる——はずだった。
魔王が立ち止まる。鋼線を見下ろし、それから柱に固定された端を一瞥した。
「城を傷つける気か」
低く、呆れたような声で呟く。魔王は屈んで鋼線の下から手を持ち上げると、そのまま限界まで引き伸ばして三本全てを同時に掴んだ。
力任せに手首を捻った瞬間、鋼線は悲鳴を上げて千切れた。柱も、壁もほとんど無傷のまま……隠れることも忘れて、私は呆然としていた。
「嘘、でしょ?」
「埃の乱れで位置は概ね分かる。そしてこの強度なら壁が持たない。だから切断した」
いや、素手で? 言葉にできないうちに、魔王はワイヤーを落としながら淡々と告げる。
「それと、柱に穴を開けたな。補修費は報酬から差し引く」
「えっ、ちょっと!」
「片付けておけ。この手の罠は何度仕掛けても同じだ」
何事も無かったようにそう告げると、魔王はそのまま歩き去る。鋼線を拾い上げると、引き裂かれた繊維が不揃いにひしゃげていた。
強い弱いとか、そういう次元じゃない。最初から危険とすら思われていない。いつかは隙を突けるかもなんて、漠然と考えていたのが馬鹿馬鹿しくなる。
(このままじゃ、飼い慣らされる)
その恐怖が、喉元を掴んで離さない。そもそも、この配置換えだってエルロン卿から守るためだ。
寝床も、食事も、清潔な服も、命すら、全部あいつの許容で成り立っている。全部あいつの掌の上で。
(……これ、同じじゃん)
シュナさんが引いた線の内側。安全な場所で守られて、笑っている人達。サーシャの笑顔。あんな場所が、もっと広がればいいと思った。
でも、今の私は? 魔王とアルトが引いた線の内側で、何も出来ずに守られて——そう思った途端、足元が抜けるような心地がした。
私は魔王を倒すために、世界を変えるためにここまで来たんだ。
このままじゃ何もできない。いずれ疑われて、何もできないまま殺される。
(私は、守られに来たんじゃない……!)
守られる側じゃなくて、選ぶ側になるために。自分の力で、その境界を踏み越えるために。今はとにかく、力と知識をつけないと。
無惨に千切られた鋼線をもう一度だけ見て、静かにポケットに押し込む。夜の訓練場に向かって、私は走り出した。




